無茶って言葉はどういう意味だろう?

ルールのない時代に入ってきたかもしれないコロナの世界

大阪都構想も否決された。トランプ大統領もどうやらまた勝利しそうな雰囲気。
今、予想とは違うことが起きている。

なんだか、世の中はどんどんルールよりも、自分たちが良ければ良いという、時代になってきたように思える。全体最適から個別最適に人々の目は向いてきているように思う。

私は茶道を習っているが、たまたま読んだ本で無茶という言葉の意味を解説していた。
茶がないという無茶は、この本では茶道には色々と難しいルールがあり、お茶をもてなすための決まり事がきちんとある。しかし、もしこのルールがなく、なんでも良いからお茶を提供しても良いとなったらどうなるのかを想像して欲しいと。全く無秩序なものになってしまい、茶道そのものをが成立しなくなる。

そうなると、お茶でお客様をもてなすことはできなくなる。なんでも良いとなると自分のやりたいようにして、それが相手にとって気持ちの良いものかどうかは計れなくなる。
こういう状況を茶のルールが無い。無茶というそうだ。

確かに茶道の所作は覚えるのに時間がかかる。特に頭で覚えるのではなく、体で覚えなさいといつも先生から指導を受けている。
最近、やっとなぜこういう動作をしないといけないのかが少しづつ分かってきた。そしてなるほど、この動作がいかに合理的なのかも理解できるようになってきた。時間がかかる。

茶道を習う人はどんどん減っている。確かに簡単に始めるにはハードルが高い。また始めるとすぐに入門、御免状やらとお金がかかることもある。そしてやはり少しお茶が楽しくなるのには時間がかかる。ルール、決まりごとを覚えるのが大変だからだ。またいろんな教養も求められる。
そうなると続ける人は減ってしまう。

最近、簡単にお茶を楽しむ方法を提案する企業も出てきた。私は良いことだと思う。
しかし、お茶の心を伝えることが一番大切だと思う。茶道の本質は禅であり、お茶を振舞うことでは無い。

でもどうやれば伝えることができるのだろうか。

それは無茶という言葉と茶道にはこんなつながりがあるんだということを知らせることから始まるのかもしれない。

ルールの無い世界には未来は無い。でも時代に合わせたルールが必要であり、修正していくことも大切だ。

つまり、これまでの常識をどう捨て去り、新しい常識を作るかだ。

そのために、自分の心にある常識をまずぶち壊すことから始める必要がある。

withコロナには新しい常識が必要なのだから。


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