今の目標は親父です!

私の父は教師でした。もう亡くなってはや8年になろうとしています。
最初は大阪市の中学校の数学の先生でしたが、その後、若くして教頭先生に昇進したのですが、最初の赴任先が問題のある中学校で、そこでの悩み、葛藤があり、最終的には退職をすることになりました。その後、私立の中学校へ転職して、70歳まで教師人生を送りました。先生が似合う人でした。

父はよく働く人でした。平日も学校が終わった後、家庭教師をやり、日曜日には少人数の塾のようなものを家で開いていました。当時は先生の副業は認められていたんですね。今だとあり得ないでしょうが。
その当時は毎晩、遅くに酔っ払って帰って来るとしか思ってませんでした。楽しみはお土産のお寿司でした、まあ大体、端っこによったグチャグチャの握り寿司でしたけど、美味しかったのは覚えてます。

それで中学時代は、私も家で他の生徒に混じって授業を受けていました。
当時の父の指導は熱血指導だと記憶してます。でも、当時の私には先生という職業があまり好きではありませんでした。
自分の学校でも、当然ですが、みんな先生と呼ばれてました。それに違和感を覚えていました。当時は先生というのはお医者さんを代表する頭の良い人がなる職業でのみ、先生と呼ばれるべきであり、学校の先生というのはちょっと違うのではないかと。
なのに、学校では先生と呼ばれ、親もペコペコしているのをみて、こういう人になったら、自分は勘違いするのではないかと思ったのです。医者は無理でも先生にはなれそうだったので。。

また、当時は反抗期というのもあり、父の仕事、つまり学校の先生に対して抵抗があったように思います。
その時の自分は、先生という名のつく仕事ではなく、頭を下げる仕事の方がいいかなと思ったのです。
実は父のお父さん、私の祖父は洋服の仕立て屋をしていました。1歳の時に亡くなったのでほとんど記憶はありませんが、家には当時のハンガーなどが置いてありました。なので商売というのは自分に向いているのかなとも思っていました。
でもうちの家系は元々は先生の家系だそうです。曽祖父は校長先生だったとか。

それで会社に入った時は将来、会社をやめて本でも書いて、大学の教授になるのが当時のぼーっとした目標だったように思います。
で、先生とは真逆の「頭下げてなんぼ」の世界に入ったのです。小売業界に36年間身を置いてきましたが、営業の現場にいたのは6年間。でもその時に小売の厳しさと楽しさを得ることができました。お客様から、お金もらって、ありがとうといってもらえるなんてなんて素晴らしい仕事かなと思いました。
でも、今思えば、会社の中でも、いろんな勉強会したり、講義をしたり、先生みたいなことやってたなと今振り返ると思いだします。

そして今日のテーマ、今、なぜ、私の目標は父なのかです。
昨年の10月の命日、つまり7回忌の翌年なんですが、私は当時シンガポールにいました。7回忌ではないので。
その日に、なんと、父の教え子、つまり卒業生がわざわざ、お参りに来たというのです。
7回忌でも凄いとなりますが、その次の年です。
私は凄いなあとしかなかったです。中学時代の恩師が亡くなっても毎年家までお参りに来る人がいるというのも凄いことですが、そうさせた父は一体何を教えていたんでしょう、どういう生徒との関係性があったのでしょう。
私は正直なところ、負けたと思いました。

父は若い頃から家庭よりも学校、生徒を大事にする人でした。なので晩年も母は父のお世話で大変苦労していました。本当にひどい父だなと思うことは何度もありました。でも亡くなる前にはとても柔和な人になり、素晴らしい笑顔を見せる良いおじいさんとして息を引き取りました。
でも、だからといってその時には父を目標にしようなんて全然思っていませんでした。

そして7回忌がやってきたとき、卒業生が7人くらいで家にお参りに来たのを母から知らされました。
この時に、もう負けたなと思いました。自分が死んで7回忌に来てくれる会社の人なんて絶対いないと思ったからです。
そして、昨年の命日にまたやってきたのを聞いて、いやあ凄いと。

良く人の評価は死んでからわかると言われますが、本当にそうだなと。
私はこれからの人生はできれば、父と同じ教育に関わる仕事をしていきたいと思っています。やはり、血がそうさせるんでしょうかね。
そして少しでも父に近づけることができるように、人との関係づくりをやっていきたいと思います。

でも父には勝てないなあと。。。
参りました、お父さん




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