強い気持ちを持ち続けるにはどうすれば良いか

また、コロナ感染者の増加が世界的に起こっている。また、世の中が混沌としている気がする。

しかし、日本を見ると感染者はそう急増はしておらず、Go to travelの影響もあり、日本経済は大丈夫だと思ってる人は多いのではないか。

しかし、私はそうは思わない。今回の経済状況はリーマンショック以上であり、今はそんなに酷いとは思っていないと感じてる人は意外に多いのではないか。

特に中流階級と言われる大企業やIT関連企業にお勤めの方はそうかもしれない。しかし、今からが経済改革というか、経済モデルの大変化が始まりのだ。今の経済モデル、社会システムは崩壊する。

私の友人は今から戦国時代の始まりだと言うが、確かにそうかもしれない。

こういう時に大事なのは、まず自らが強い気持ち、自信を持つことだ。

強い気持ちを持つ事で、自分の中にパワーが生まれる。そのパワーを持つものが集まることでさらに大きなパワーになる。

NHK大河ドラマ、麒麟が来るを見ていて、感じるのは自分に自信を失う事が最も危険だという事。そして誰と組むのかも大事だと。あと、大事なのはお金儲けを目的にしてる武将、貴族、官吏はことごとく破滅している。

強い気持ちは自分が生きている意味をしっかりと持つ事だ。周りからどう思われているかではなく、自分が何に価値観を持つかだ。

私の気持ちを強く持つ方法の一つは何でも良いから人から感謝されること、褒めていただける事を素直にする事だ。

しかし、私も時々、心が折れそうになることがある。そういう時こそ、家族、友人が必要だと。だからこそ家族、友人を大切にすることか今一番大事ではないかと。

自分の友人の棚卸しというか、見極めをするには絶好の機会のように感じる。

間違いなく、来年は戦乱の世になる。その時にこそ、この社会に役に立つ事を始めたいと思う。

これからはオンラインとリアルをどうつないでビジネスをするかしかない

教育も小売もオンラインだけでは成立しないことははっきりした

コロナで自宅隔離生活を余儀なくされた3−6月は教育の現場ではオンライン授業へと、みんなが流れた。しかし外出禁止解除が解けると、やはり学校の現場では生徒も先生もリアルの教室に戻り、オンライン教育、いわゆるEdTech事業は陰りを見せ始めた。


確かに自宅で自分のペースで学習ができるオンライン教育は効率的だ。ただ、多くのエドテック事業は双方向ではなく、オンラインでプログラムに沿って学習する自習である。チューターに質問をチャットで聞くことはできるが、これも双方向とは言えない。

みなさんも経験があるだろうと思うが、ZOOMなどのオンラインセミナーを受講しているとどうしても集中力が続かない。双方向ではなく一方通行の授業で、みられていないのが分かると集中して聞くことは難しい。
私もコロナで自宅謹慎中にウェビナーのセミナーをいくつか受けたが、あまり面白くないセミナーでは、テレビを見たりメールをチェックしながらが普通であった。
これではセミナーの中身が頭に入ってこない。

オンラインの教育もそうで、一方通行の授業を受けるだけのアプリなどはどうしても継続して受け続けるのが難しい。いつでもできるという余裕が全然しなくなるのだ。

一方で双方向の授業であれば、緊張感が出てくる。また双方向のやりとりで興味も湧いてきたり、少人数での意見交換などがあればさらに楽しい知的空間となる。

リアルの教室という空間は、少人数であればまさにそういうところだ。仲間がいて、その仲間との競争関係やコミュニケーションがやる気を生み出す。それをうまく引き出すのが先生の役割なんだと思う。
リアルの良さを今回、オンラインでの授業を受けた子供たちは実感したのではないだろうか。

つまり、リアルでの人間と人間の触れ合い、切磋琢磨が絶対に必要なんだと。

このリアルが絶対必要なのは小売の現場でもそうだと思う。
例えば、今回スーパーやホームセンターが絶好調なのは、巣篭もり消費ということもあるが、やはり実際の目で色々な商品を見て選びたいという気持ちがあるのではなかったかと。

オンラインだけで消費を完結することは必需品であればそれでいいかもしれない。しかし、買い回り品、専門品を買うことは商品そのものを買うことによる価値の獲得だけでなく、買うまでのプロセスを楽しむこともある。そしてその中では、販売員との会話やお友達、家族との会話によるコミュニケーションも含まれてくる。

これこそ、双方向のコミュニケーションでなければいけないのである。

今、百貨店では外商でオンラインによる双方向の外商販売を強化しているようだが、これは結局はZOOM飲み会と同じレベルなのだ。
自宅謹慎中であれば、それで満足できるし、遠い地域に住んでいる人にとってはとてもありがたいと思える。
しかし、今、ZOOM飲みを誰がそんなに頻繁にやっているだろうか?やはりリアル飲み会に勝るものはないと思っていないだろうか。
しかし、海外の友人とZOOM飲み会は続いている。これがコロナの恩恵だと思っている。

教育でもズームで双方向でやる授業もやはりZOOM飲み会と同じレベルなのだと思う。そこに工夫が必要なのだろ

デジタルの力を使いながら、双方向でよりヒューマンタッチで、リアル感を持ち、仲間と切磋琢磨する環境を作るというのは教育も小売の商売も同じだなと思う今日この頃である。

今でもZOOM飲み会が大盛況なところのノウハウがヒントになるかもしれない

ニトリの過去最高益に思う

これは日本にとっていいことなのだろうか

ニトリの中間決算が発表され、巣篭もり消費の追い風もあり過去最高の利益を達成したらしい。来年度もこのペースで収益を向上させていくと似鳥社長は自信満々であった。

さてこのことを私たち、日本人は喜ぶべきなのか、どう考えればいいのだろう。
マーケティングの観点からいうと、顧客が欲しいものを提供する企業が売上を伸ばすことは当たり前だ。特に今の将来不安で節約志向になり、またお家での生活が増えている中で、高品質低価格のホームグッズは需要が高い。

ニトリの商品は確かに安い。しかし、その商品を一つ一つ見ていくと、決してお値段以上のモノばかりとも言えない。先日、エアウイーブのマットレスに非常によく似た敷き布団パッドをニトリで購入した。値段はエアウイーブの半分程度であった。
私は自分の家ではエアウイーブを使用しているが、最近大阪の実家に泊まることが増え、実家の敷き布団では寝にくいと感じたので、実家近くのニトリで同じような敷きパッドを見つけたのだ。

見て触った感じは同じようであり、値段も安く、購入したのだが、やはり寝心地は全然違っていた。良いものにはそれなりの値段の価値があるだなと実感した。

価格は確かに全ての消費者にとって大きな武器と言える。しかし、やはり使って感じる価値、品質に差が出るものは、後から大きな後悔というかショックを受ける。

良い例がアマゾンや楽天などの通販サイトで安物買いの銭失いを経験した時だ。
誰しも、通販サイトで安くて良さそうに見えるものをポチッとして衝動買いした経験があるだろう。そして届いてから想像していたものとは違い、そのままゴミ箱行きになったケースもあるのではないか。これは値段そのものが非常に安く、騙されるのを覚悟で買うというこちら側のリスクを十分考えての購買行動だ。
これは宝くじ、ロトを買うようなものだ。まあ外れても仕方ない。この値段で良いものが手に入ればラッキーと思えるからだろう。

このような宝くじ的買い物は通販サイトではよく見られる。
しかしニトリの場合は、実際に店頭でものを見て買うのである。だから、キッチン用品やホームグッズなど手にしてその品質が確認できるものは問題ないかもしれない。
しかし、実際に購入して何度か試さないとわからないものは難しい。

私の経験ではベッド、デスクなどの家具はイケアと同じで、デザインなど表面的には良いように見えるが、結局は数年で故障する可能性が大ではないかと思う。
昔、米国に留学した時に多くの生徒がイケアで家具や生活用品を揃えていた。見た目は良いが、すぐに潰れる。でも彼らには数年使えればそれで良いのである。学生時代に使えればそれで良いと。
家具も消耗品なのであった。割り切って買っていた。

若い世代にとって、インテリア家具も消耗品だとすればそれもありなのかと感じる。
しかし、アフターコロナではより環境にも配慮し、マクドナルドの紙袋のようにもらった瞬間にごみになるという使い捨てをやめて、捨てずに長く使うという考えがこれからにはぴったりだ。また家にいる時間が増える時こそ、生活クリオリティをあげるべきだと。

だとすると、これからの家での生活を大事にするならば、生活用品も良いものを長く使うという考え方が大事なのではないだろうか。

この考えに立つと、ユニクロ、ワークマンなども同じカテゴリーに入るかもしれない。
良いものは値段は高い。でもそれを長く使うことで、結果的には経済的にメリットのある暮らしができるのではないかと。いわゆるヨーロッパ型の消費スタイルだ。

マーケティングとはお客様の気持ちになり、その人がもっとも幸せになる生活スタイルを提案することではないだろうか。

だとすると、単に値段が安いということだけにフォーカスするのではなく、もっと生活そのものを考える提案が必要な気がする。高くても品質の良い、長持ちする商品をどう提案していくかが小売業には問われている。

そういう意味では私は無印良品が好きだ。彼らには哲学がある。ウエアでもあまり流行に左右されず、無印らしいシンプルでモダンなデザインになっている。

昔、20代のころ、コムデギャルソンが好きでよくスーツを買っていた。コムデギャルソンには」黒のスーツしかなかったけれど、毎年その黒の色が微妙に違っていた。また微妙にシルエット、デザインに変化があ利、それにとても魅了されていた。なんとなく、コムデギャルソンの世界観が好きだったのだ。

同じようなモノばかり着ていてはつまらないし、飽きてくる。でもその商品に哲学があれば満足できるのではないかと。

今の商品で哲学を感じるものは少ないように思える。哲学とは企業理念ということになるかもしれないが、そういうはっきりとしたメッセージのある商品、企業がこれからの時代には必要なのかもしれない。

どんどん商品を安くすることは一見良いように見えるが、物価は上がらず、デフレが続き、日本の経済はいつまで立ってもよくならないような気がする。

まだまだ親は子供に最大公約数の教育をしている

良い大学出て、良い会社に入っても将来は約束されないけど、やはり東大、京大に行かせたいのが親の本音か

今の日本では昔の常識は通用しないのは大体親世代は理解している。日本の経済そのものが右肩上がりでいくとは思えないし、昔の日本の電気メーカーの強さは今はもうない。どんなに有名な企業に就職したところで、将来が安定する保証はどこにもない。都市銀行や鉄鋼会社がその例だ。

この認識は今の30代から40代のお父さんお母さんはしみじみと感じているだろう。
だからこそ、自分の子供には良い会社に入るための教育ではなく、自分の子供の未来の可能性を最大限に広げられる教育を望んでいるように思える。

ショックだったのが、40代の小学生を持つお父さんの話だった。私が小学生だった頃からすでに50年近くが経っている。だから相当小学校の雰囲気は変わったのだろうと思っていた。だが、彼曰く、私の時代、彼の時代と学校の雰囲気は全く変わっていないと。結局、4年生になるとみんな中学受験を意識して、塾に通わせるようになる。それも関東ではSAPIXと四谷大塚だ。まず、ここに入れるかどうかがスタートなのだと。

いわゆる過酷な受験戦争のスタートだ。東京では小学校受験ですでに幼稚園から塾がスタートしている。私の時代には小学校受験はほとんどなく、中学校受験もほんの一握りであった。
今は、中学校受験は東京では当たり前になっている。

しかし、ここでも教育の二極化が進んでいるようだ。ある一定の所得層以上は、必ずこの中学受験をさせている。そして高所得層は小学校からインターナショナルスクールに通わせたりしはじめている。お金があればあれば良い教育を受けれるというのは現実だろう。そして低所得層は公立中学に行かせるしか選択肢がない。そして同じことが高校でも起こる。

今回、この富裕層はさておき、中流層以上では、最初に話をした教育のゴールは東大、京大ではないと理解しつつも、親としては子供に最大限の選択肢を与えるためにはできるだけ上位の大学に行かせたいと思っているようだ。

これは事実であり、どうしようもない現実だと思う。
しかし、一方で東大、京大に入るだけでなく、その子供たちには色々な知識を身に付けて欲しいと考えている親たちが多いのも事実だと言える。

私の友人が運営するカルチャーセンターでは小学生の習字、ソロバンが大人気だそうだ。これらが上手くできても東大には入れない。でも人間としての教養を身につけさせたいという親の気持ちの表れだ。

またプログラミング教室やスポーツ教室も盛んだ。

しかし、最大公約数的に教育してもなかなか成果は出ないのも事実だ。
戦略を考える時にもっとも大切なことは、「何をしないかを決めること」だ。

選択と集中という言葉を戦略論ではよく聞かれる。
自分の置かれている環境の中で、自分の強み、弱みを理解した上で、どこに絞って戦うのかを決めることが戦略の基本だ。

例えばスポーツでいえば、自分の身体能力に合わせてもっとも適したスポーツに打ち込むことが上達の近道だ。
実際、私が昨年手掛けたバイリンガル幼稚園では毎年フィジカルテストを行う。そこでは、東大の先生監修の元、一人一人のデータに基づいて最適なスポーツを一人一人に提案することができる。
このテストはものすごく評判がよく、これを目当てに入園した家族もあると聞く。

このように親としては、子供の将来にできるだけ未来の可能性を幅広く与えながらも、これをやれば人よりも優れた才能を開花させることができる分野を探しているように思える。

昨日、テレビを見ていると何でも当てる占いの先生が芸能人を占って、バンバン当てていた。
私に小学生の子供がいたら、その占い師に自分の子は将来に何に向いているのかを聞いてみたいとふと思った。おそらく、ほとんどの親は自分の子供が何に向いているのかがわからないのだ。
しかし、占いに頼って子供の将来を決めるのはどうかとは思うが。

そうすると、いろんなことをさせて、興味を持つこと、成果の出たことに集中させようとするのが親の気持ちだ。

私は会社にいるとき、社内教育でいつも言っていたことがある。
これからのグローバル社会ではまず語学、特に英語が話せなければいけない。そして少なくとも自分の国の文化や特徴を英語で説明できなければ海外では日本人として認めてもらえないと。

今は英語は当たり前、もう一つの外国語、中国語が必要だと感じている。

そしてビジネスリーダーとしての知識だ。
戦略、マーケティング、統計、会計、ファイナンス、マネジメント、ネゴシエーションなどである。
いわばMBAで勉強することばかりだ。

でも一番大切なのはMBAで知りあった人との繋がりだ。私のMBAの経験でもこれが一番の財産になっている。

東大、京大を出ることに意味があるというよりも、やはりその時に知り合った人間関係が最高の宝物なのだと思う。

私見だが、日本という狭いフィールドだけで将来活動するのであれば、やはり東大、京大が目指すべきゴールのように思える。

しかし、将来、グローバルに活躍したいなら、東大、京大ではなく、私は間違いなくシンガポール国立大学に進むべきだと思う。

これからはアジアの時代だ。アジアで人脈を作るなら、シンガポール国立大学しかないと思う。

フィールド、自分の目線というか視野をどうおくかだ。これは小学生には無理だ。

だからこそ、お父さん、お母さんの視野がどうなのかが問題なのだ。

自分の子供の将来を日本ではなく、地球レベルで考える人間に親がならないと、子供はチャンスをなくすかもしれない。

結論は子供の将来はお父さん、お母さんの視野の広さ、目線の高さで決まるということだ!

頑張って、お父さん、お母さん!!

これからの教育はオンラインかリアルか?

教育って結局は人間関係づくりになるのではないのか

今日テレビである私立大学が今年度初めてのキャンパスでの授業をスタートしたことを伝えていた。
1年生の皆さんは場所がわからない人もいたり、また初めてクラスメートとリアルで会って興奮している様子がとても感じられた。その中である生徒はリアルだと自分のモチベーションが全然違うと。私はやはり若い子でもそうなんだと思った。

これからの教育はどうすればいいのだろう?
例えば、先進的な取り組みをしているミネルヴァ大学では固定キャンパスを持たず、4年間を通して全世界に生徒が移動しながら授業を受けるが、授業そのものはオンラインだ。しかし、生徒たちはリアルでは世界中を移動し、寮生活を体験をしながら、勉強を続けている。
https://ix-careercompass.jp/article/822/

オンラインの良さはどこにいても、授業をいろんな人から受けることができる。
例えば、福岡で進められている子供のためのプログラミング授業は授業はオンラインでシアトルからアメリカ人のエンジニアが英語で教えている。授業を受けているのは福岡の飯塚市の小学生だ。
飯塚市と言う片田舎の小学生が、シアトルのトップエンジニアから直接プログラミングを教えてもらえる、しかも双方向でつながっているのはオンラインだからこその利点だ。
でも授業は教室で受けている。なぜなら、英語の分からない小学生もいるため、チューターとしての大人がヘルプが必要だからだ。またリアルの場所にいるからこそ、友達との交流が進み、また切磋琢磨しようとする。健全な競争環境がないとダメだ。
https://kidscodeclub.jp/

私がシンガポールでプログラミングスクールをやろうとしていた昨年も考えは同じだった。
授業は個々人がオンラインベースで自分の理解度に合わせて自分のペースで進める。学校に先生はいない。いるのはチューターだけである。でも、もっとも大事なのは同じ学生の存在だ。彼らは友達でもあり、競争相手でもある。同じ場所で勉強しながら、お互いが分からないところを教え合い、切磋琢磨することでモチベーションが上がっていくのだ。
そして苦しい時間を共有したことで親友関係が生まれてくる。
オンラインの友達関係でこのような親友関係が生まれるのは非常に難しいような気がする。

教科書は今や文字から動画になりつつある。そしてコンテンツもいろんなものが溢れているし、ネットであればどこからでも集めることができる。
その意味では、教材は学校に行かなくてもどこでも手に入るし、それを自ら習得できる人もいるかもしれない。

しかし、そのためのモチベーションをどう上げていくのかは、オンラインでは難しいような気がする。
モチベーションの源は人との関わり、競争ではないだろうか?

今回のコロナ禍で仕事も勉強もオンラインの生活がある意味定着してきたが、これはどこまで生活を変えるのだろうか?
100%オンラインで仕事のできる環境になったと言う人が結構出てきているが、マネジメントの観点から言うと、どうその人を管理し、またその人が次の時代の組織を引っ張っていくリーダーとしてどう育つための環境が用意されているのだろうかとふと不安になる。

私たちの世代のように、もう十分にリアル環境のなかで、マネジメント、人間関係で悩み、無駄な会議をたくさんしてきた人間にはオンラインで利点はとてもよくわかる。
しかし、全てがオンラインで業務を行う会社の社長、リーダーはどう部下を把握し、管理し、モチベーションを上げて、会社をやめないようにすることができるのだろうか?人間的な触れ合いは機械には必要なくても、人間には必要なのではないか。

私にはオンライン飲み会になるような気がしてならない。
オンライン飲み会は普段会えない場所にいる友人と気軽にノミニケーションができると言うことを再発見した。またちょっと時間のない時にミーティングをちょこっとやるのにも有効だ。

しかし、新規事業を進めていこうとする時にオンラインだけで知り合った人と、そのままオンラインだけで全てが進むとはとても考えられない。

会社に長年いて思ったことは、会社も従業員教育がベースなんだと。
どう新人を育てて、戦力になってもらい、利益を上げれる人間にしていくことが大事なのだ。

そう考えると、子供から大人まで教育というのは同じような気がしてならない。

大事なのは、オンラインで紙の教科書、DVDでは得られない情報、ネットワークをオンラインによって吸収しながら、リアルの仲間とどう切磋琢磨するかではないだろうか。

オンラインとリアルの融合が大事なんだが、最後は人と人の繋がりこそが最大の財産になる。それはオンラインでは得ることはできないのではないだろうか。

コロナ禍における芸術活動はどうあるべきか

私が芸術を語るにはあまりにも役不足だが、ここ数年はクラシックコンサートやオペラ観賞にちょくちょく通っていた。

そのきっかけともなったのが、妻の知り合いで親戚のようなお付き合いをしている方が真鶴のご自宅でこれまで毎年2回開催されてきた真鶴音楽会である。

この音楽会は小林美恵さん
https://miekobayashi.com/

という有名なヴァイオリニストをメインに、ピアノやフルート、ギターなどの演奏家を招いて、観客が60人ほどのミニコンサートを開いている。

もともと音楽の世界、特にクラシック音楽はマーケットが狭く、一般の人にはとっつきにくい。
私もそうだった。

しかし、この音楽会では一流の演奏家が最高のバイオリンで演奏するのを、ほとんど目の前で聴けるという贅沢な会だ。

また演奏会の後は演奏家を交えて、別荘のようなお家でお食事をしながら皆さんとお話ができるので、さらに親近感が湧いてくる。

このような活動が大きくなると、クラシック音楽をもっと身近に感じてもらえるのではないかといつも感じていた。

しかし、今回、コロナによって全ての演奏会は延期となった。

小さい会場こそ、三密だからだ。しかしこのような状況は音楽家にとっては本当に死活問題だ。

私もコロナ禍に音楽活動をどうすれば良いのかとマーケティングに携わる者として何かいいアイデアはないかと悩んでいた。苦境にあるレストランビジネスと同じでリアルの場所がないとビジネスにならないからだ。

お茶のお稽古も同じだった。お茶の醍醐味である一期一会はリアルでないと実感出来ない。このよう文化芸術にはなかなか政府の援助も届いていない。
今こそ芸術文化の分野にも新たなビジネスモデルが必要とされている。

最近ではYouTubeなどを使った有料コンサートなども出てきたが、なかなかそれではペイしない。
もっとリアル感と言うか、リアルよりもさらにリアルな体験ができるような試みが必要なのではないだろうか。


例えば、演奏者の目から見た舞台をバーチャルリアリティで実現するとどんなふうに弾いているのかが、リアルで聞くよりも体験できる。今はVRの技術が進んでいて、このような体験を家にいながらできるようになっている。ピアノが趣味の人にすれば、一流のピアニストの弾き方を演者の目線で見ることはとても感動的ではないだろうか。

先日、早稲田にあるシータと言う会社に行ってきた。VRで進んだ技術を持っている会社だ。
https://www.thetacorp.jp/
なかなか、実際の映像体験はサイトでは感じることはできないが、私の感想はすごいの一言だった。リアリティが半端なかった。問題はヘッドセットを付けないと体験できないことだ。
ヘッドセットでは音楽と映像がシンクロしていてなんともいえない雰囲気だ。
しかしこのヘッドセットが高価であり、プライベートで買うところまでは行っていないのが現状だ。しかしこれが普及する時が、まさにVRの全盛時代の始まりだと感じる。
そのために芸術、文化の分野でもそのためのコンテンツ作りがそろそろ必要だと感じる。

とはいえ、最近ようやくリアルの演奏会ができるようになってきた。真鶴音楽会も場所を白寿ホールに代えて、来月の23日から小林美恵さんのベートーベンのバイオリンソナタ全曲を3回に分けて演奏会を実施することになった。真鶴音楽会の有志による企画だ。
やはり、生で聞く演奏に勝てるものはない。まずはここからが再スタートだが、やはり次の時代に向けた取り組みを自分でも考えていきたい。レストランビジネスも全部同じ課題なんだと。

読者の皆さんでご興味のある方はぜひ演奏会に足を運んでいただきたい。
ソーシャルディスタンスの取れたゆったりとした環境の中で、素晴らしい演奏に身をおくのも良いのではないかと。今の演奏会は本当に観客と演奏家との距離が近い。それを実感できるのは今だけかもしれない。

Go to Travel について想う

間違いなくストレス発散消費の旅行は増える!

10月からGo to キャンペーンに東京も含まれることになった。このキャンペーンについて賛否が分かれているが、私はぜひやるべきだと感じる。
このコロナの自粛生活の中で多くの人はストレスを感じて過ごしてきた。特に家での生活を強いられた。私もこんなに家にいて、毎日ランチを自分で作りながらいつまでこの生活が続くのかと憂鬱になることも多かった。

そして、今、流れはすでにウイズコロナ状態になっている。もう東京、大阪で100人を超える感染者が出てもあまり驚かなくなった。これにはマスコミが騒がないということも影響しているが、ポイントは重症者がそんなに増えていないということだ。またワクチンの開発、治療法の進展もあり、人々が落ち着きを取り戻しつつある。

そんな中、この旅行での消費拡大は大きな経済の起爆剤になるだろう。
中国を見ると、感染が収まっている事もあり、国内旅行の人気はうなぎ上りである。
私の中国語レッスンの講師も来週から1週間で西安に家族旅行にいくととても楽しそうに話していいた。

今回のコロナによるストレスを発散する消費としては大きく外食、買い物、旅行になるのではないかと。
その中で、外食は奮発して高級レストランでディナー、一流のお寿司屋さんで寿司を食べるのは立地が感染多発地域である都心という事もあり、あまり乗り気がしないのではないだろうか。無理に言ってもストレス発散はできない。店の外に出た途端にストレスを感じる。

また買い物も買う場所、つまりデパートに行って買い物を楽しむという雰囲気でもない。これも都心に行かないといけないからだ。

一方で旅行は都心ではなく、感染の少ない地方でしかも自然が溢れる場所での開放感、安心感がファミリー層、シニア層にはぴったりなのではないだろうか。

確かに沖縄のケースのように感染者が急増するリスクもあるが、基本交通機関での移動では感染リスクは非常に少ない。なので現地での食事や観光地での密を避ければそんなに危険はないと言えるのではないだろうか。

私はこの旅行でのストレス発散消費は今後も継続するのではないかと予測する。そして実際にこれまでの買い物に当てていたお金をもっと旅行に回すのではないかと。そして定期的にお気にいりの場所にいくことになり、移住や半移住生活を志向するファミリー層が出てきそうな気がする。お気に入りの田舎探しが始まるように思う。

それだけ、都会での自粛生活にはストレスがかかるし、生活コストも高いと言うことを実感する人が増えるような気がする。
これこそが、アフターコロナの行動変容である。

中国での調査によると、外国旅行の規制が緩和されたら一番行きたい国はダントツで日本であったそうだ。しかし、場所は今までの東京、大阪集中だろうか?
箱根、富士山は残るにしても、大阪、東京は本当にお土産としての場所だけで、それ以外は地方の温泉、スキー場夕日が見える場所などになるように思う。
実は中国は位置的に西側はインド、ロシアなど隣国であり、通常の中国人は太陽が夕日に沈むのを見たことがないそうだ。
だから鳥取で砂丘から沈む夕日を見て楽しみ、温泉とカニでお腹を満たすと言うのが定番観光だそうだ。

これからは地方の観光地が人気になるのと同時に自然と共に過ごすような場所に人気が出てくるのであろう。
今、キャンプブームであるが、これは加速すると思う。お金を使うところ、オケージョンが大きく変わってくるように思う。
とすると、やはり一般的なアパレルやお洋服、普通の大衆サラリーマン居酒屋などは厳しい状況になるだろう。都心でのストレス発散はなかなかできない。
一方で都心で自然と楽しむための相談、ミーティング、コンサルテーション、提案をするサービス、グッズの販売は需要が伸びるだろう。

ポイントはお客様のストレス発散をどうお手伝いできるかだ。
マーケティングで言うところの「ドリルを売るなら、穴を売れ」だ。
モノを売るのではなく、モノの持つ価値を提案して、その価値のためにモノを買ってもらう。

今こそ、お客様の心の変化、行動の変化にどう対応するかが小売業、サービス業に求められている。自分の経験価値でモノを考える人はいらない!

ワールドが黒字決算と称賛されているが本当に大丈夫なのか?

アパレル業界はコロナでもいまだにお洋服大好きの人たちの論理で進んでませんか?

百貨店業界にいた頃はいつもスーツを着て、シーズンごとに必ず新しいお洋服を買うのが当たり前であった。その時でも、サンフランシスコ,シリコンバレーにいく時はネクタイは誰もしていないからしない方が良いと言われ、ジーンズスタイルで行くようにしていた。
そして会社を辞めて、昨年からシンガポールに行くと、もはや現地ではほとんど誰もスーツを着ていなかった。着ているのは日本の企業の駐在員とかである。
今、お会いしているのはベンチャー企業などの人が多いが、誰もスーツは着ていないしどちらかというとあまりオシャレだと思う人には会った事がない。
特にIT業界の人はそうだ。ファッションに興味のない人が増えているのだ。
だんだんシリコンバレー化してきているのではないかと思ってしまう。

一方で食は状況が違う。シリコンバレーでもカジュアルな服を来て、有名なベジタリアン食メインの高級レストランが流行っている。一人5万円もする。
でも着てる服は安いジーンズにTシャツとジャケットだ。
乗ってる車もスーパーカーではなく、プリウスかテスラだ。価値観、ライフスタイルが違うなあと思っていたが、これって日本にもだんだんと出てきているのではと思う。

これは人のファッションに対する定義や価値観が変わってきた事に由来するのだろう。
これまではファッション=流行=お洋服、時計、アクセサリー、車という方程式ができていた。だからお金持ちになったら高級ブランドのお洋服や時計を身につけてみたいと誰もが思ったのだ。
その名残がまだ百貨店では高級時計の売れ行きでは見られる。ロレックスの時計はまだ売れているが、本当にこれからも続くのだろうか?

シリコンバレーでもシンガポールでもそうだが、若い世代の成功者と言われている人でお洋服、時計など身に付ける物で着飾っている人にはほとんど会ったことがない。一方でほとんどの人が健康的な生活に心掛けている。だからジム、瞑想、ヨガなどに興味があるし、自然食、野菜、美味しい食事にはとても興味がある。
彼らにとってのファッションの定義はオシャレなお洋服、雑貨を身に付けることではなく、健康的な生活を送り、美味しいものを仲間と食べるという風に変わってきているように感じる。
もうオシャレなお洋服をカッコよく着こなすというフレーズは若い世代の成功者にはなくなってしまったのではないだろうか。

ワールドの黒字決算の記事を読むと、三陽商会やオンワード樫山に比べてキャッシュコンバージョン率、商品を作ってから現金化する時間がとても早く、それが今回の黒字決算につながっており、企業変革が進んでいると評価している。今後の課題は自社ECサイトをどう成長させていけるかだとされていた。

それで私もワールドのサイトを見てみたが、あまりパッとしない。というか確かに今は最終処分セールで60−70%OFFという価格的な魅力はあるものの、買いたいという風には思えなかった。ZOZOとどう違うのというのが正直な感想だ。

早期の現金化の話も所詮は手練手管の話にすぎない。そもそものビジネスのターゲットである消費者の行動変化についていけているかどうかの議論がない。


どんどん、ファッションの定義からお洋服の占める部分が減ってきているのに、いまだにどうすればファッション=お洋服を売ることができるかということを考えているように思えてならない。

つまり、売る側の人の論理でビジネスを考えているとしか思えない。アパレル業界にいる人はお洋服が基本、好きな人ばかりだ。彼らの常識はファッション=お洋服なのだ。でもコロナによって、ファッションの定義がさらに加速して変化しているように思えてならない。

キャンプ人気がコロナでさらに加速している。ではキャンプにおいてお洋服は重要な部分だろうか?おそらく、お洋服よりも、キャンプ道具、キッチン道具の方が重要だ。これが今の生活、にユーノーマルではないだろうか。

つまり、アパレルに対するマスマーケットの需要はどんどん下がっていくだろう。そこで減った需要がキャンプ用品や、IT機器、そして健康器具、食事などに変化していく。ではアパレル企業はどうすれば良いのか。

私はお洋服が大好きな人に洋服を作らせていてはいけないのではないかと。IT企業などで働く、アパレルブランドに興味のない人の声を集めて、そこから新しいブランドを立ち上げていく。それはお洋服メインではないだろう。でもIT企業に務める人ならではニーズ、ウオンツが詰まったブランドであればきっとうまくいくのではないかと。

まずアパレル企業は自社のメインアイテムをお洋服であるという旧ノーマルから、新しいライフスタイルグッズというニューノーマルに書き換えることが大切だ。
これには企業文化の変革を伴うが、それ無くしてはアパレル企業の生き残りは難しいだろう。

ライフスタイルマーチャンダイジングという言葉を30年以上前に教えてもらったが、今のライフスタイルマーチャンダイジングの定義は大きく変わってきたように思う。そこにうまく乗れるかどうかが企業の生死を分けるのだ。

マルイ のb8taについて想う

売らないお店を標榜するマルイのこれからの戦略は正しいけど中途半端かなと

昨日、新宿マルイ本店に久しぶりに行ってきた。シリコンバレーで見て面白かったb8taが日本に出店と聞き、見にいくしかないと。
でも結果は全然面白くなかった。なんとなく、シリコンバレーぽいけど、置いてある商品の大半は日本製でマクアケとかに出てる商品などやカインズが開発したホームグッズもあり、アメリカのお店とは全く違う感じだった。いわゆるとんがっているイメージは少なくて、一般受けする感じだった。

ついでにマルイの全館を上からざっと見た。以前にnewspicksでマルイの青井社長が仰っていた「売らないお店」づくりに興味があったからだ。
メルカリのお店ではいかにメルカリにスムースに出店するかを教えてくれていたりしていて、中高年のカップルが熱心に話を聞いていた。
しかし全体としては昔のイメージからは抜けきれずに、賃貸テナントをいかに集めるかに苦労している姿が見受けられた。
確かに1階にアップルストアがあり、その横にb8taとラインナップとしては今を追求している。

しかし、サンフランシスコ(シリコンバレー)でいうと、b8taは住宅地近くにある緑あふれる商業施設群の中にナパバレーのワイナリーのテースティングスポットの近くにある。そしてダウンタウンにある百貨店やショッピングモールではそういう雰囲気はなく、なかなか先進的なお店は入ってもらえなくて、やはりゴーストタウン化が始まっているように感じた。

マルイの取り組みはウエストフィールドショッピングセンターが必死になって若者を集めるためにシェアリングオフィスを誘致したりしているのと同じに見えた。

つまり、お店の世界観というのが伝わらないのだ。路面店はそのお店だけで完結するので、世界観を出しやすい。しかしショッピングモールや百貨店ではその世界観はお店が増えればどんどん出しにくい。
マルイはもう、百貨店の時代は終わり、新しい時代の小売業を目指していくと青井社長は述べられている。確かにその方向性は間違ってはいない。しかし、それが今のマルイ本館の姿だろうか。
私にはなんだか、ごちゃ混ぜになった体裁の悪いお弁当のように見えてならない。食べたら美味しいけど、美味しそうには見えないということかと。


確かに一つ一つは先進的なものや、今の若者受けするお店が並んでいるが、全体の館として何か特徴というか、魅力があるようには思えない。
そしてアップルストアにしてもb8taにしてもその規模は小さくて、なんとなくショールームというか展示会にいるような座り心地の悪さが先に出ているように思われる。

確かに収益を確保しながら新しいことに挑戦するのは本当に大変だ。損して得とれとは昔から小売の世界では言われるが、今のコロナの厳しい時期にそうそう挑戦もできない。
でも中途半端は一番いけないように想う。

今のマルイを一気に変貌させるのが難しいなら、違う場所で新しいこと(売らないお店)を展開すべきなのではないだろうか。
私なら、シリコンバレーに日本製ばかりのb8taみたいな店を出すかな。
売らない店なら、新宿になくてもいいのではないだろうか。

もうアメリカで見てきたものをいち早く日本で取り入れて紹介するというのは古いような気がする。日本の小売業はアメリカの10年遅れで進んでいると言われる時代はもう終わったように想う。青井社長!貴方ならできそうな気がします。今のシリコンバレー追随路線ではなく、独自路線をやりませんか?

新聞はこれからの高齢化社会には重要なメディアかも知れない

大事なことは相手の目線に立って、違う角度から見ることがマーケティングの基本

最近、色々とあって、大阪の実家で過ごすことが多くなった。実家では毎日新聞をとっている。
私は会社に入ってからは日経新聞を読んでいるのであまり気にならなかったが、読んでいると今の新聞は本当に老人向けと言える。広告はほとんどが旅行、健康食品、通販ばかりだ。
確かに老人、特に70代前後の人をターゲットにした商品が多い。いわゆる定年後の第2の生活を送っている人向けだ。
多分、今のメイン購読者がそうなっているからだろう。時代は変わったなと感じる。

そこで思ったのは、なぜ百貨店は新聞に広告を出さないんだろう。百貨店の戦略はこれまで若返り戦略を基本としていて、なんとか若い人を増やさないと将来がないと危機感を持って取り組んでいる。だから新聞には価値がないと思っている。
しかし、新聞はもう完全にピンポイントにターゲットが絞られたチャネルで、その年代における百貨店ブランドのパワーはまだまだある。
それを利用しない手はないのではないかと。

しかし、おそらく販売促進の企画をしている担当者は30−40代でもっとも新聞を読まない世代になっている。だから自分にとって全く価値のないチャネルとして捨て去ってしまっているように思われる。


私が駆け出しの百貨店マンだった頃は、新聞のラジオテレビ面の下の広告枠は各百貨店が競って獲得したものだ。毎週の催事のお知らせを載せるためにもっとも、見てもらえる枠としてはラテ面と呼ばれる場所は魅力的だった。
しかし時代は流れて、もうその価値はなくなってしまった。折込チラシも同じだ。新聞を読まない人が増えているから、当然だ。


今は、昔のテレビ、ラジオ、新聞などのチャネルからネットが主流になっている。しかしそれは全ての世代ではない。もっとターゲットをよく調べる必要があるのではないか。

還暦に近くなってきた私でもテレビを最近見なくなってきた。それよりもSpotifyやNetflixなどをよく使う。
またFacebookだけでなく、Youtube, SlackやTiktokも使っている。

しかし私でもやはり文字を読むなら紙の方がしっくりくる。だからKINDLEは使わない。紙の力はまだまだ50歳代以上には絶大な力がある。その人口は日本の半分以上だ。だとするなら、紙の力をもっと使うことが必要ではないか。
温故知新ではないが、再度新聞の価値を再定義してその活用法を探すことが必要だと改めて感じる。日経はやはり新聞ではないなと感じた。

私なら、新聞で昔よく百貨店で買ったことのある老人向けに近くのスーパーでは売っていない美味しい食べ物、小物、健康機具などを売るけどなあ。。。

法人外商事業部で真珠のネックレス、ダイヤモンド指輪ばかり売っているのは時代が違うような気がする。もっと顧客の声、目線におりないと。ましてや今は老人は怖くて百貨店にいけない。だからこそでできることがあるはず。