論語マーケティングでコロナ対策を!!

コトラーのソーシャルマーケティングと論語を使えばうまくいく

今朝の日経新聞のコラムで田中編集員が、コトラーの提唱したソーシャルマーケティングを使ってワクチン接種ができないかとの提言をしていた。なんか違うなと違和感を覚えた。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGH20CJH0Q1A520C2000000/

この中では、社会問題の解決に向けて柔軟なマーケティング発想で問題解決をすべきだという例として、アメリカでのワクチン接種が駅や球場などで特典付きで行われていることあげている。一見するとこういう医療行為を無料でしかも特典をつけてまで行うことには日本人としては倫理的にどうかと思う人が多いのではないかと感じる。

しかし社会問題の解決においてはいろいろなアプローチが必要であり、NYでは若者の接種を促すためにマリファナをプレゼントする団体もあるようだ。

日本ではそもそもワクチン接種を受けたくても受けれない状況なので、今の時点ではアメリカと比較することは難しいが、今後ワクチン供給が増えて来た時に必ず前提のワクチン接種率がコロナ対策の一番の肝になる。集団免疫をいかに獲得するかである。

その時に有効な考え方を論語の中から紹介したい。

孔子曰く、之を導くに政を以てし、之を斉うるに刑を以てすれば、民免れて恥無し。之を導くに德を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、恥有りて且つ格る、と。


詳しくは下記のサイトを読んで欲しい。
https://kokugonomado.meijishoin.co.jp/posts/1488

ポイントは人を動かす時に規則や罰で動かそうとしても動かない、その人の道徳や気持ちに訴えることで初めて人は動くのであると。
考え方は北風と太陽の話と同じである。

今回の日本のコロナ対策はまさに、諸外国のような個人の自由を制限するロックダウンは法律上できない。また、潤沢な財源もないため休業補償も潤沢ではない。だから政府の対応は後手後手になっている。
そして自主的な国民一人一人の協力を求めているのだ。その政府、政治家の対応がどうも徳を以った行動とはいがたい。また礼を以ったものともいえない。だから心に響いていない。

日経のコラムでは若者の感染を抑えるために、若者でも感染したら症状が重症化したり、後遺症で悩んでいる人が多いことをSNSで拡散すべきと提言しているが、私にはそれは間違っているように思う。

このやり方は痛い思いをさせるだけで北風と同じである。

それよりも、若者の心に訴えかけることが大事だ。
家庭内感染で若者から老人に感染して死に至ることの悲惨さや社会が早く回復することの重要性を説くことが大切であろう。

東日本大震災の時にあれだけの若者がボランティアで無償協力をしてくれたことはさすが日本人と言えるところだ。

大震災よりも多くの犠牲者が出ている今こそ、リーダーは国民に向けたメッセージを徳と礼を以って行う時ではないだろうか!

コトラーのソーシャルマーケティングを使うということはそういうことである。

ターゲットに合わせた戦略を立てて、アメリカ人ならマリファナだろうが、日本人なら家族を守る大切さを徳のある人が、礼を以って話せばきっと若者にも理解してもらえると思う。

私が首相なら、星野源、新垣結衣夫妻にTV、SNSで若者に語りかけてもらうビデオメッセージを作る。徳のある政治家が少ないなら、徳のある芸能人、有名人を使うしかないのではないだろうか。

僧侶と大臣の話

お金があるのか、ないのかは自分の考えかた次第なんだ!

最近で一番感動した本からの例え話。

仲の良い少年が2人いました。彼らは別々の道を進みました。1人は質素な僧侶に、もう1人はお金も力もある王様側近の大臣になりました。
何年もあと、2人が出会いました。でっぷり太った大臣は、痩せてみすぼらしい僧侶を見て可哀想になりました。助けようと思い、大臣は声をかけました。
「王様の役に立つ方法を学べば、米と豆しか食べられない生活をしなくてすむよ」
僧侶が応えました。
「米と豆で生きる方法を学べば、王様のためにあくせくしなくて済むよ」

これを読み、私はこれまで、王様の側近であくせくして働いて来たんだなと痛感した。
結局、多くの人間は豊かな暮らしをしたいという欲望に突き動かされていかにお金持ちになるかを目指して生きているのではないかと感じる。

最近、FIREという言葉が流行している。

Financial Independence, Retire Earlyの略がFIREだ。

つまり、経済的に自立して、自分らしく暮らすために早い段階である程度のお金を貯めて、その後は会社に縛られずに自分らしい生活を送るという考えだ。

実際にTVでは30代前後で7000万程度の金融資産を貯めて、FIREを達成して、配当金などだけで生活している若者を紹介している。

この姿は今日の例え話でいえば、僧侶に近い考えなのであろう。

経済的に自立できるかどうかのポイントはいかに支出をおさえて豊かな生活ができるかである。

僧侶のような生活であれば、少ないお金でも精神的に豊かな生活ができる。そこには宗教という素晴らしい道標があるからだ。

しかし、そういう少ないお金で精神的に豊かな生活ができる人はたくさんいるのであろうか。私は簡単ではないと思う。それには2つの理由がある。

一つは人間は一度上げてしまった生活レベルを下げるのが最も難しい。まだ派手な暮らしを経験していない若者であればやりやすいかもしれないが、40、50代では自分、家族のために、もっといい暮らしをさせてやりたいという欲望をどうコントロールできるのかと思う。

そして2つ目は僧侶における宗教のような精神的な支柱となる考え方、生きるためのガイドなくしては質素な生活を続けることは難しい。

ただ、最近の若者の中には、NPOや社会貢献活動なで真剣に地球温暖化のために生きようとしている人たちもいる。彼らには僧侶の宗教のような支柱が存在している。

では一般的な人でこのコロナ禍で厳しい環境になった人はどうすればいいのだろうか。

そのためには、人生というものを見直す必要がある。

今までの経済的条件、基盤をベースに考えていては何も変わらない。これを変えるための原動力は精神的支柱となる考えをいかに持てるかである。

お金ではなく、何か自分が打ち込めるものを見つけて、それをすることで精神的な満足が得られるのであれば何も恐れることはない。

そのための自分探しが求められており、それが今のコーチング、ヨガ、瞑想、マインドフルネスなどの動きにつながっているように思う。

アフターコロナにおいてはますます精神世界のマーケットが注目されるだろう。それは占いなどとは違い、自分を変えることがなければ何も始まらないのだ。

個人としてはまずは経済的に自立するところから始めるべきだ。それには支出をまず抑えて、今ある収入の範囲内で生活し、それで満足できる努力が必要だ。

今回、読んで感動した本は「父が娘に伝える自由に生きるための30の投資の教え」だが、この本は投資の本ということだが、私には経済的なことに悩むのではなく、本当に自分のやりたいことに集中するためにどうすれば良いかを説いている本のように思えた。

ぜひ一読をお勧めするが、下記の動画でも十分である

子供には無限の可能性がある!

親はどれだけ子供に可能性、チャンスを与えられるかだ!それが親の責任だ

先月、オンライン講座で実施した編集動画を見て感じるのはやはり、子供には早くから勉強以外のことに触れる機会、チャンスを与えられるかが、これからの親の責任ではないかと。

私達の世代には想像もできなかった海外とのつながりが、簡単に手に入る時代。インターネットを使えば全く違和感なく誰とでも話がほぼ無料でできる。

でもそのためにはそのネットーワークと言語能力を親は子供に提供しないといけない。

良い学校に入るための勉強だけをしていたら、明るい未来が訪れるなんてありえない。

コロナが終息すれば、もっとグローバルで世の中を見なければいけない時代がやってくる。

そのために何を親は子供に提供するのか!

今週日曜日は最終回、今回はシンガポールからライブ中継!!

東京都からの百貨店の営業自粛延長要請に思う

渋沢栄一が百貨店の社長なら、きっと営業するだろう!

来週から緊急事態宣言が延長される。それに伴い大型商業施設の営業自粛について、政府の方針と東京都、大阪府の方針が別れた。そして、百貨店はまた営業自粛の要請を受け入れる方向のようだ。本当にこれでいいのだろうか?

渋沢栄一が百貨店の社長ならきっと、営業を再開するのではないかと私は思う。世のため、人のためを考えずに、ただ真面目に行政の指導に従うのではなく、今起きている問題はこういう中途半端な営業自粛要請しか出来ない行政の責任にあることを激しく批判し、社会に問題提起することではないだろうか。

そもそも百貨店や大型商業施設とロードサイドの1000平米以下の商業施設と混雑度合いは変わらないし、むしろ百貨店の方がきちんと感染対策をとっている。
小池知事は人流を抑え込むためには全ての感染の可能性のある場所を抑制すべきだと言っている。でも、結局は中途半端にしかできていない。で、こういう時には百貨店はわかりやすいターゲットとして狙われる。ならば、なぜ電車を止めないのか?ここが一番密ではないのか。

そもそもこの問題は施設ではなく、人にある。人の行動を抑制するしかないのに、その個人に対しては何も行動を制限していない。ここが1番の問題だ。

恐らく国も知事なども分かっている。でも個人の行動を制限することは憲法違反でありできないと知っているのだ。だからできないのだ。またこの話をしようものなら、護憲の人々からものすごい反論が出てくるのが必至だからだ。人の動きをいかに制限するか、それには個人の行動を法律で縛るしかないのだ。

日本には海外のようなロックダウンはできない。ここに問題がある。

海外のメディアをいつも見ている人なら当たり前のことだが、今、本当に日本は海外から馬鹿にされている。ロックダウンもできず、感染者が増えているのに、まだオリパラをやろうとしていると。

今の状況に現行の法律下では最善の策というのはないだろう。国には営業補償できる財源もないし、一部の野党が指摘するような企業、高額所得者からさらに特別な税金を徴収するなどは、それこそ机上の空論だ。

それでも、コロナで影響を受けているサービス、飲食、小売企業などのほとんどが真面目に行政の要請に従っている。

しかし、それで本当に世の中の人々のためになるのだろうか?

渋沢栄一は論語を商売の基本としている。論語とは人の道を説いたものだ。だから、今こそ人の道に照らして正しい行動をみんなが取るべきだ。確かに、今全ての人に有効な政策はない。だからみんな困っているのだ。

しかし東京の例で言えば、一部の国民、企業に犠牲をさせながら、あたかもずべての都民、企業のためになるということで営業要請自粛を続けさせながら、多くの人が懐疑的なオリパラについては開催を進めているというのはあまりにも人の道に反してはいないだろうか?

今こそ、企業、特にこれまで従順に行政の指導に従ってきた百貨店も声をあげていくべきではないだろうか?
多くの百貨店企業にも論語などの中国の言葉を社是として活用している。

売上、利益のために行動するのではなく、社会のため、ひいてはこの国をよくするために行動を起こすことは誰からも批判されないのではないだろうか?

国、行政にいつも義があるという考えは、まるで幕末の尊王攘夷を見ているかのようである。

今、まさに時代の転換点であり、日本の国もこれまでの平和ボケした状況から、変わらないといけない。これは海外の経験がない人にはどうしても理解できないのだ。

明治維新に活躍した政治家、実業家は揃って、欧米を視察しており、自らも語学を習得して、海外の優れた技術、制度、文化などを持ち帰り、日本に導入したのだ。

明治維新も活躍したのは若い世代であった。もう、古い価値観を捨てきれない70、80歳の政治家は引退して、新しい令和維新を起こす時であろう。

渋沢栄一のような人の道のために行動する、若くてパワフルな政治家、実業家は日本にはいないのだろうか。

リアル店舗の生き残りのヒントがここにある!

Amazonに学ぶリアルとネットの融合

最近、Amazonがロンドンにオープンしたヘヤーサロンの記事を読んで、さすがアマゾンと感心した。

https://www.businessinsider.jp/post-233503

ヘヤーサロンというのは、リアルでないと成立しない業態だ。そこにアマゾンは目をつけてその中にITとオンラインショッピングを融合させている。

元々、理容室、美容室はこれまで売上アップのために、シャンプーなどの物品の販売やマッサージなどのサービスを付加して、顧客単価のアップを図ってきた。
しかし、シャンプーなどは高価であり売上にはつながりにくかった。マッサージなども常連の上顧客でないと利用してもらえないのが一般的であった。

しかし、今回の取り組みはこの美容室での空間をネットショッピングの場に変えているのだ。

つまり、体験の場として美容室を顧客に利用してもらい、気に入ればその場でネットで購入する。このネットで購入することで価格が高いと言う不安をなくすことができる。また、色々な商品を体験できるというのは化粧品売り場でのお試しと同じ考えだ。まるでセフォラでのお試し体験と全く同じなのだ。

リアルの良さは今、ワクチン接種が進んでいるロンドンなどで顕著だ。やはり、人々はリアル店舗でのお買い物を待ち望んでいる。リアルのお買い物がネット販売に今後も負けることはない。これは断定できる!

しかし、すでにオンラインショッピングの手軽さも経験している。ではそれをどう融合するのか?

このアマゾンのサロンの取り組みが答えになるのかもしれない。

接客の場面ではアマゾンの取り組みにあるような、カラーリングをバーチャルで体験できるような仕組みが有効だ。リアルでないと体験できない、フィット感や修理箇所などの確認と同時に手軽に買えるオンラインとの融合をどう提供するかであろう。

この手法はネイルサロンやマッサージ店、メガネ販売店などにすぐに効果が出るだろう!

こう考えると、やはりリアル店舗の企業はオンライン専門の企業とうまく協業していくことが大切ではないだろうか。

リアルが主体の小売、サービス業が自らオンライン部門の強化を図るにはすでに時遅しという感じがする。

今回のようなアマゾンとの協業をするリアル企業がどんどん出てくると期待したい!

渋沢栄一は茶の湯の敵だった!!!

渋沢の原点は幕府の否定ではなく、日本文化の否定ではなかったのか

先日私のお茶の先生から、渋沢栄一の面白い話を聞いた。
熊倉功夫著「近代数寄者の茶の湯」の中に出てくる話だ。

この本の中で、渋沢と並ぶ明治維新時代の大実業家である増田孝の逸話が書かれている。増田孝は渋沢とほぼ同じ時期に生まれ、幼少から父親の進めもあり、英語を学び、その後、父と共に海外使節団として欧州に行き見聞を広めてきた。そして明治政府では渋沢と同じように大蔵省で働き、その後商店経営をはじめ、今日の三井財閥を作った大実業家である。


渋沢との共通点としては、若い時に欧州視察での経験を生かして、自らのビジネスチャンスを掴んだこと。得意の語学を生かして貿易の商売を始めたこと。多くの企業グループを作ったこと。90歳まで長生きしたこと。などである。

しかし大きく違うことが一つある。

それが茶の湯に対する考え方だ。
増田孝は増田鈍翁と言われるように、江戸時代が終わ李、同時に廃れた日本文化、遊芸などの復興に大きな貢献をした人物である。また自らも数寄者と言われるような茶人であった。

この本の中で、1897年ごろに増田孝(当時49歳)が渋沢栄一(当時57歳)が金沢を視察して帰ってきた報告をするために、料亭の2階に増田他数人を呼んだのである。渋沢は増田よりも8歳年上でありそういう関係であったのであろう。
そこで、渋沢は金沢を評して、茶の湯が盛んでどこに行っても茶の話や茶道具などを見せられて困ったと。まずこういう茶の湯の風習を打ち壊さないといけないと説いたそうである。

そんな時に増田は1階から客人だと呼び出しされた。1階には増田がお気に入りの道具商が来ており、大名物の釜が手に入ったと伝えにきた。増田にとってはとても興味深いもので色々と話を聞いていると、2階から渋沢に呼ばれてまた2階に行き、茶の湯がいかに日本をダメにしているのかを聞かされたと。こうして増田は渋沢と道具商の間を行ったり来たりしたとの逸話が書かれていた。

このように増田は実業家としては渋沢と同じく、欧州の合理主義、効率主義で事業を拡大した一方で、実は日本文化の守り続けたのである。
一方、渋沢は文明開花=西洋文化であり、それまでの日本文化を否定してきたのである。確かにそれも一理あると言える。しかし、同じような環境の中で、事業を進めてきた実業家でも文化に対しての知見や考え方は大きく分かれるものだと感じる。

この本で熊倉氏が言うのは、「近代化を単純に西欧化と捉えてしまうのは、第二次世界大戦後の歴史学が犯したとんでもない間違いではなかったか。明治の近代化は、西洋的近代化と伝統的な価値観の両者にしっかりと両足を下ろしていたのである」と述べている。

これは今の日本の経営者にも当てはまるのではないだろうか。
金儲けとする時は必死に稼ぐが、文化芸術を楽しむ時間もしっかりと作る。このバランスが求められているように思える。

SDGSはまさにその流れから出てきたようにも思える。

澁澤栄一のすごいところ

奇跡を起こさない論語が一番信頼できる!

最近、論語と算盤が人気だ。私も大河ドラマを楽しみに見ている。
しかし、30代のジェネレーションZ世代にはこの毎週日曜日20時からというのが面倒くさくて、見る気も起こらないそうだ。

NetflixやYouTubeに慣れているZ世代には自らがTV番組のスケジュールに自分を合わさないといけないのが耐えられないそうだ。
また、気に入ったドラマは一気に見たいということなので、毎週録画というのもかったるいそうである。
こういうところにどうアジャストしていくのかがマーケティング戦略で、最も大事なポイントである。

さて、私は6月ぐらいから論語と算盤をテーマにした講座を始める予定であり、そのために最近色々と澁澤栄一の文献を読んでいるが、今日はその中で彼の論議に対する信頼度の厚さを示すエピソードを述べたい。

彼は道徳の考え方を論語を作った孔子に求めている。しかしキリストやお釈迦様も同じようなことを述べている。まあ、簡単に言えば大体の宗教は道徳概念で言えばほぼ同じであると言っても良いだろう。

しかし、渋沢が言うには多くの宗教には必ずいくつかの奇蹟があるという。キリストも復活をしているし、お釈迦様は病人をすぐに治癒させている。このような奇蹟を彼はひどく嫌う。

キリストを信ずることは奇蹟も信ずることであり、そうなると世の中には必ず奇蹟があるのだとなってしまう。それでは物事を筋道を立てて考えることができないと彼は言う。

しかし論語には全く奇蹟は出てこない。あくまでも人の生き方、ものの考え方を示しているだけある。孔子様は素晴らしい人だが、奇蹟は起こしていない。だから信ずることができると言うのが澁澤の考え方で、ああなるほどと私は思った。

人間、不安や苦悩を解決するのに、何か奇蹟めいたこと、神様の存在や宇宙パワーなどを信じてみたくなるものだ。だからこそ宗教というものは存在しているのかも知れない。

しかし、彼はそうではなく、あくまでも自分がどう生きていくのかをしっかりと見つめることが大切だと説いている。彼は精神的に強い人間であり、宗教に頼らなくても生きていける人間だったのだ。

論語と算盤の中で、澁澤は欧米人の道徳は宗教をベースにしていて、キリスト教の教えがそのまま生き方の基本となっていると。宗教が生活の一部なのだ。しかし、澁澤が生きた江戸、明治、大正、昭和の時代、日本には道徳概念の基本となる宗教は存在しておらず、そこに問題があると述べている。

だから論語を皆んなが活用すべきだと言いたいのである。江戸時代の論語は武士に向けた学問であり、また朱子学が全盛であり、やはりものの考え方が彼の言うところの論語とは少し違っていた。

このことは今の日本人にもぴったりとあてはまる問題であり、生活、技術は進化しても、人の考え方は変わらないなあと思うところだ。

いくらZ世代の行動パターンが違っても、価値観、道徳感と言うものは明治時代から、あまり変わっていないのかも知れない。

自分の長所、短所を見極めるのは難しい!

論語と算盤で読み説く、人生の生き方

渋沢栄一は論語と算盤の中で、自分の人生を振りかえり、30才過ぎでようやく商業の道に入った事を反省している。論語にある「15歳で志し、30歳にて立ち、40歳で惑わず、50歳で天命を知る」と比較する形で自分の人生を振り返っている。彼自身は豪農の家に生まれたが、士農工商という階層社会の悲哀を経験する中で、17歳で武士を志し、その後、尊王攘夷活動の後、一転して徳川慶喜の部下となり、また明治維新後は33歳で大蔵官僚となり、その後自ら商業の道に進んだ。これを周り道と述べている。

論語にもあるように早くから商業の道に進んでいればもっと今以上の渋沢栄一を作り上げられたのではないかと考えている。
そして自分が政治家になるなどというのは分不相応であり、最初からそういう考えを持たなければよかったと。自分の器をもっと早く知るべきであったと。

そのため自分の経験を元に、まず冷静に自分の長所、短所を見極めて、自分を行かせるところに集中していくことが肝要だと説いている。

確かにそうだが、ではどうやって自分の長所、短所を見極めるのかと思うに、もうすぐ60歳になる私にもいまだにはっきりと自分の長所、短所を把握できていないように思う。

まして、15歳では自分のことを第3者的に冷静に判断できる人がどれだけいるのだろう。

だからこそ、今世の中には、占いや、カウンセリングなどの商売がたくさんあるのではないかと感じる。簡単に言えば的確なアドバイスだ。

私は大事なのは、良いことも悪いこともはっきりと言ってくれる家族、仲間、友人、先輩をどれだけ持っているかではないかと感じる。しかしこれも難しい。

残念ながら私もそういう友人、仲間をたくさん持っているとは思えない。しかし、それは自分の問題なのかもしれないと最近感じる。

自分がいつでもそういう苦言、提言を受け入れるだけの度量を持っていなかったら、そういうことを言ってもらえなかったのだと反省している。

自分の振る舞いで人はそれに反応するのだ。人生は因果応報なのだ!

商売で大切なのは、お客様の立場に立ってモノを考えることだ。自分は全ての人、家族、友人、仲間にいつも相手の気持ちを考えながら振る舞っているのかを考えさせられた。

渋沢栄一はいつも相手の立場になっていたのだろうか。

私の長所、短所をズバっと指摘してくれる人大募集!

論語と算盤に学ぶ!

渋沢栄一にとっても老いるということは大きな問題だった

今、論語と算盤を学んでいる。一番手っ取り早いのは中田敦彦のYouTube大学を見るのが今時かもしれない。私も3部作となっている動画を2倍速で見たが、よくまとまっている。やはり、今の若者にはぴったりの学習方法だなと感じた。
これからは動画の時代であり、いつでも視聴できる動画こそがメディアの中心になるだろう。

しかし、今月還暦を迎える私と若者むけではこの本で刺さるところが微妙に異なる。
今日の話題は、第2章、立志と学問の中に出てくる、精神老衰の予防法ということだ。

つまり、いつの時代も青年は大事だが、老人も大事だということである。ただ、有用な老人は肉体は衰えても、精神は衰えることなく、日々進歩させていることが肝要だということである。

明治維新前の江戸時代に生まれ、大正時代まで生きた渋沢栄一が晩年の大正時代に今の世の中は昔に比べて、活力がないとか、青年はもっと勉強をすべきだとか、今のシニア世代が嘆いていることを書いているのをみて、人の考えというのはいつの時代も変わらないなと感じる。

そして、老人、まあいくつからを老人と定義すれば良いかわからないが、ここでは60歳以上とするならば、彼らにはどんな次の人生が待っているのであろう。

それを切り開くのは自分自身だと渋沢をこの本で説いている。

つまり、日々、自らを進歩させることが大切であり、そのためには自らの分相応な分野の中で、自分の強みを活かせるところに絞って毎日精進することだと説いている。高望みをすることはいけないと。

そして周りの人と比べるのではなく、自分のできること、得意なことを一生懸命やることで自ずと天命は下されると。

ただ、この天命はハッピーエンドだけではなはsiいと。自然の摂理の中で叶わないこともある。

10年前の東日本大震災で犠牲になった方達を思うと、彼らに何の落ち度もなかった。なのに命を落とすことになったことをどう考えればいいのかと悩んでしまう。

渋沢もこの論語と算盤を編集し始めたときは、もう80代であったと思う。大正時代の80歳は今で言えば、100歳近いであろう。

それでも世の中の役にどうすれば立つことができるのかを考えていたことは素晴らしいし、同時に自らを進歩させることの必要性と同時に行動をとっていたことが尊敬できるところだ。

最近の森元オリンピック会長の発言で老害という言葉が出ていたが、私は精神年齢というものは体力と関係なく維持できるものだと思う。

しかし、そのためには努力が必要であり、それを死ぬまで続けられるのかということが大きな課題だ。

引退というのは自分の人生においてはないのだと思う。

最後まで毎日、少しでも前を向いていきたい!

コトラーのマーケティング5.0 ついに発売

IT技術は戦略に従う。大事なのは顧客の気持ちにいかに立つかどうかだ!

先週、ようやくコトラーのマーケティング5.0が届いた。
正直なところ、これまでの要約などをオンラインで見ていて、あまり期待していなかった。
特にこれまでに使われていた、図やチャートが難解でとても見るに耐えなかった。

このサイトで要約されているが、やはり本書を読んだ方が理解できる。
https://www.pkmarketing.jp/articles/marketing50_01

予想に反して、本文はいたってわかりやすく、英語もシンプルで私が3日間で200ページを結構ストレスなくすっと読み終えることが出来た。

さすが、コトラーマーケティングの真髄と読み終えて感じた。

この本は多分、日本語版がもうすぐ出るだろう。そしてヒットは間違いない。
この本で貫かれているのは、マーケティングは顧客をしっかりと見つめ、顧客の声を聞き、それにどう対応していくかだということに尽きるということだと思う。
残寝ながら、上記のサイトではそういう結論になっていないが(悲)

IT技術が進み、人間の理解を超えたところで色々な情報が手に入ることになった。また、コロナによって人々の生活は一変し、新しい生活様式が定着し始めている。

しかし、大事なのはお客様一人一人がどう感じ、何を求めているのか、そして何に満足を感じるのかをしっかりと人の視点から見つめることだと感じた。

本著では顧客分類をアメリカの分類を使っており、ベビーブーマー、ジェネレーションX,ジェネレーションY、ジェネレーションZ、ジェネレーションAlpha に分類されている。そしてその世代ごとの特徴をきちんと説明している。

これまでの消費の主役はベビーブーマーであった。そして、今は生まれた時から携帯電話、インターネットが当たり前のジェネレーションZ,Alphaが消費のトレンドを作り出しているのだ。

私はベビーブーマー世代であり、もうメインの消費者でなくなりつつある。しかし、まだまだ若い連中には負けないと思っており、自分も若い世代のトレンドについていこうとしている。

しかし、もうそれは無理だなと本書を読んで感じた。

生まれた時から携帯電話があり、ネットが常に繋がっている世代の感覚は自分には絶対分からないと思わなければいけない。そして、彼らの価値観、人生観をもとにした時にどんな生活が求められているのかをしっかりと予想しないといけないのだ。

それには自分の経験、価値観を捨て去る必要がある。特に技術の急激な進歩が世代間のギャップを大きくしているのだ。

しかし、マーケティングの手法は使うツールは変わろうと、原理原則は同じである。だからコトラーは今でも尊敬されているし、私の経験、価値もまだあるのだろうとホットした。

しかし、その戦術や手法は大きく変わってきた。本著でもAIを使っていかに予測を正確にするかを説明している。ここで大事なのは、全てを機械、AIに頼る訳ではないということだ。

本著ではチェスのAIとプロの対戦の話が出ているが、将棋の世界でも同じことが言える。

私たちの世代の天才ヒーローは羽生善治だった。彼は自分の脳をコンピューターとして、多くの仮説を立てながら相手を倒してきた。

しかし藤井聡太は違う。彼はAIの頭脳をうまく使いながら、最終的な決断は自分が下すというスタイルだと私には見える。AIのいいところを使いながらも、独創的な発想やアイデアはAIよりも人間の方がまだまだ上なのだ。

また次の機会にマーケティング5.0の話をしたいとは思うが、まず今、マーケターに大切なのは、顧客の世代分析をしっかりと行い、その特徴をしっかりと把握することだと感じる。

今回、マーケティング5.0でここまで丁寧に世代分析をしているとは夢にも思わなかった。しかし、それがまず基本の基と改めて思った。

「組織は戦略に従う」という経営の名言があるが「IT技術も戦略従う」のだ。

そして、戦略は顧客分析から始まるのだ。

この本が今のIT技術にばかりに目が向いているマーケティングの世界に一石を投じて欲しい!!

しかし、図とかチャートは本当にわかりにくい!