人とのネットワークをどう作るのか!

幸せの形は人それぞれだが、必ず必要なものは真の友達、仲間がいるかどうか

先日、入院していた時の同部屋だった方を伊豆下田まで訪ねた。
伊豆下田といえば約20年前、慶應MBAでの財務の合宿で辛い思いをした場所だ。で、それを思い出すべく今回も同じ下田東急ホテルに泊まることにした。

私は、今は真鶴を拠点にしているので、伊豆下田まではそんなに時間はかからない。でも湯河原駅から特急踊り子に乗って1時間半かかる。やはり下田はなかなか遠い場所だ。

今回の目的は久しぶりの東急ホテルがどうなっているかを見ることと同室だった友人が下田で経営するカフェを訪ね、一緒に飲むことだった。

まず病室のルームメートだったSさんは今年72歳のミュージシャンだ。今はカフェでパスタを作りながら、定期的にコンサートを開いている。ジャンルはブルース。
私が交換留学先のシカゴでブルースバーによく行っていた話から盛り上がり、共に一緒に過ごした入院生活、約1週間は毎日8時間以上お話しを2人でしていた。

Sさんの人生をお聞きしたり、私の話、病院の話、病気の事などいろんな話をした。Sさんはお酒が好きで、私も嫌いではないのでいつか飲みたいですねといつも話していた。シラフでよく話せますねと看護師に馬鹿にされていた。

コロナ禍で病院では面会禁止で、他の人は家族でも来れなくなっていたので、いつも2人で院内のコンビニでコーヒーを朝7時に買うのが日課であった。

Sさんはミュージシャンを目指していたので、私のようなお決まりの会社員人生ではなかった。下田には44歳の時に下田にいた今の奥さんと結婚して婿養子となり、名前も変えられたそうだ。それまでは色々ところを転々としながらも、演奏活動をメインに生きてこられたとのことだった。

だからYouTubeにはSさんの昔の名前のステージ演奏の動画が今でもたくさんアップされている。

Sさんの話でいつもすごいなあと思うのは、必ず人生の節目節目で多くの人に助けられているいうことだった。
最高の出会いは今の奥さんとの出会いだとは思うが、それまでにも多くの苦労があっても友人の助けをもらってやってこられたと。

こういう話を飲みながら聞きたいなあと思っていたので、今回、下田に行って飲みながら話を聞き、弾き語りを聞きたいのが今回の目的だ。

下田は前述したように距離的に東京から遠く、電車のアクセスも良くない。車で来ても道路の整備は遅れておりまだまだ時間がかかる。

真鶴よりももっと遠い、そんな中でSさんとっても幸せに暮らされていた。
商店街にお店はあるのだが、道行く人は知り合いばかり。
飲みに行ったお店も知り合いのお店。その次に行ったスナックのマスターも知り合い。お客さんもみんな商店街の人。なんとなく息が詰まらないのかなあと思いつつ、でもなんだか本当に楽しそうなのが羨ましくてしょうがなかった。

最後の〆にお店に戻り、弾き語りでSさんのエリッククラプトンのTears in Heavenを聴きながら、いい人生を送ってこられたなあとつくづく感じた。

振り返って自分を見ると、こういう仲間がいるんだろうかととても不安になる。
これまでは会社生活がほとんどだったから、会社繋がりの友人はいるがそれも私の場合、役職を離れると、さーっとなんの連絡もしなくなる人が大半になる。

私は前職を辞めたあと、シンガポールで起業に挑戦して一時期住んでいたこともあり、そこでも友人もいる。また大学院時代の日本での友人やシカゴでの友人もいる。
でも本当にその友達がSさんの周りにいる友人と同じなのかと考えるとうーんと考えてしまう。

商店街の仲間は今でも仕事をしておられるから、定年はない。Sさんも同じでセミプロミュージシャンとして活動は続けながらも、今はカフェのマスター。

会社人生を送ってきた私にはやはりもう一つ別のメインの顔が必要なんだが、それがないのである。

まだまだこれから何か社会に貢献できる、人の役にたつことをやりたいと考えているのだが、なかなかうまくいかない。

今はまだ、会社の顧問や業務契約業務で社会との繋がりは残ってはいるものの、それをSさんのように胸張って言えるものとはいえないと感じる。

自分で胸を張って、今はこれをやっています!と言えるものを早く見つけなければいけない。
コロナ禍で私の人生は大きく変化した。

今の自分にできることとやりたいこと、それに足らないことを加えて、新しい自分の付加価値を作らなければ誰も私に声をかけようとは思わないだろう。

でもそういうときに必ず助けてもらえるのは、真の友人、仲間なのかもしれない。それをネットワークと呼ぶのであれば、そのネットワークづくりをいかにできるかがその人の幸せの度合いに差が出てくるように思う。

素晴らしい人には素晴らしい人が集まる。努力する人には努力する人が集まる。魅力のない人には誰も集まらない。

やはり自分を常に磨くことが大切なんだろう。

でもそれが難しい。。

私も今からは嘆く前に、再度自分を磨くことに努力していきたい。

もう一度焼肉ライクについて思う

2020年12月以来の訪問でどう変わったのか!

先週赤坂見附にランチタイムにいた。約2年前に焼肉ライクについてコメントをしたのを思いだして、再び同じ焼肉ライク赤坂見附店に行った。

注文したのは前回とほぼ同じカルビのセット1200円。それに今回はチョレギサラダをつけたので合計1500円。

結論として、1500円なら赤坂界隈に1000円前後で韓国料理店でもっと美味しい焼肉が食べれるなあと。やはりお客さんは少なく、顧客の数がやはりバロメーターだと実感。
レストランは並ぶくらいの店でないとダメだと感じる。

2年前に来店して、今後大丈夫なのかと思ったのは店員の少なさとサービスの悪さだった。

今回、この2点はさらに悪くなっていた。しかしIT化はさらに進んでおり、注文からお会計まで自分でできるようにはなっている。これは15年ぶりに久しぶりに行ったスシローでも同じような状況だった。

コロナ禍で売り上げ効率が減るため、1店舗を最少人数で運営するための仕組みがどんどんと取り入れられている。しかし、大事なのはその最低人数のスタッフの質だ。
スシローと比べると、スシローではミセス層のパートさんが多くて、個人的にはサービス評価は悪くなかった。会計時に戸惑っていたら、50代のスタッフさんが丁寧に教えてくれた。
また来たいと思わせるサービスだった。
まあ、スシローでもあまりお金を気にせずに食べたら1800円となり、全く満足感はなかったが、今回のライクでは店員のサービスレベルが最低だった。いえばやる気のないカラオケ店員みたいな感じであった。
帰り際にもう2度と来ないなあと振り返りつつ店を後にした。

たかが1500円なのだが、この損失感は凄まじいものがあった。
溜池山王駅までの帰り道、いろんな韓国レストランのランチメニューを見るたびに悔しさがこみあげてきた。

「食い物の恨みは恐ろしい」とはよく言ったものだ。

立地、雰囲気、価格、料理の質、サービスなどが飲食店の成功のカギだとは思うが、今回の焼肉ライクはあの経営でよく持ち堪えているなあと感じた。

頭で考えてるだけではビジネスはできない。やはり相手は生身のお客様なんだ。その人にどう満足してもらうか、喜んでもらえるかが先に来なければなんでもうまくはいかないだろう。

顧客ファースト、顧客満足第1主義、お客様は神様、スローガンは色々あれど、経営者にその信念がどこまであり、それをどう従業員全員と共有するかの方法が問われているかもしれない。それはITでは解決できないだろう。

基本が大事!

なんでも一度基本に戻る時期があるのかも

最近、中国語の学習が進まず悩んでいる。と同時にお茶のお稽古でもなかなかうまくいかないことが続いている。
いわゆるスランプというものだろう。

でも一つ言えるのは基本に忠実にやれば必ず結果はついてくるということ。
9月に人工股関節の手術をして、今もリハビリは続けているがm、最近怠け癖というか、毎日のルーティンを忘れることがある。するとやはり筋肉の強張りが元に戻っている。指の怪我をしたのでプールに入れず、それを口実にしていた自分もあるのだが、やはり身体は正直だ。

同じように中国語もそうだ。最近スカイプの先生を昔習っていたちょっと厳しい先生に替えてみた。すると私の発音を片っぱしからダメ出しされた。中国語特有のheの発音など徹底的に発音を直されている。でもこれは今までにない衝撃で、あ、やっぱり発音は大事だなと思い知らされた。

お茶のお稽古でも帛紗さばきという基本の動作があるのだが、これを先生からいつも心地よい音が出ないことを指摘されていた。前回のお稽古で私の帛紗を持つ手の指のフォームが悪いことを指摘された。するとどうだろう、綺麗で心地よい音が出るのだ。まあ百発百中ではないが随分と良くなった気がした。

毎日続けることは大事だが、それでも惰性ではなくキチンと目的と正しい動作で行うことの大切さを最近感じている。

だが、私も人間。たまには息抜きも必要。身体に悪そうなビッグマックやポテトを月に1回ぐらい食べたくなるし、コッテリラーメンも食べたくなる。

あんまり、きっちりしてると息が詰まるし、この緩急の付け所がまだ自分には掴めていない。

マッサージでよく言われるのは私は揉もうとされる部位にキュッと力を入れてしまうらしい。体の緊張をいかに自分でほぐすことができるかは大きな課題だ。

基本は全てに通じる。
だからこそ、今の経営では基本となる戦略、マーケティング、財務などを見直すべきではないだろうか。

巷のタイトルばかりが魅力的な本を読んでもあんまり中身がないように感じる。

教養としての茶道という本がよく売れているそうだ。
でも中身を読んでみると、それよりももっと大事なことがお茶の本にたくさん書いてある。
私がおすすめする本は以下だ。

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫) 文庫 – 2008/10/28

確かにビジネスに茶道の精神を生かすというのは理解できる。しかし、私の経験で言えば、戦略、マーケティングなど企業の意思決定では茶道はあまり関係ない。
でも茶道が考えるお客さまをいかにもてなすかは小売りの業界にいる人には大いに参考になるのではないか。
私はもっと早く茶道を始めるべきだったと後悔している。

海外では百貨店のM&Aは活発になっている。日本ももうすぐかも・・・・

タイのセントラルグループには要注意!

あまり知られていないが百貨店の国際的な集まりとしてIGDS(https://www.igds.org/)がある。以前の会社(Jフロントリテイリング株式会社)で当時の会長からIGDSへの加入の検討を指示されてから、もう8年近くになる。元々、百貨店というビジネスモデルにはスーパーマーケットとは違って規模の経済性というのはあまり効果がないと言われてきた。いわゆるPB商品などの展開、それをグローバルで展開するなどイオンが積極的に取り入れている手法だ。

百貨店、特に日本の百貨店は海外との百貨店との交流はほとんどないといっても良いだろう。ラグジュアリーブランドとの取引や海外商品の直接買い付けなどで海外出張は今でもあるだろうが、現地の百貨店との交流はお互いにメリットを感じなかったのが大きな理由だ。

このことから、日本の百貨店の経営層の国際化は大きく遅れたように感じる。
JFRがIGDSの会員となり始めて会員として国際大会に出席したが、やはり日本のステータスはとても低かった。

IGDSの出席者の多くがCEOであり、同族経営のトップが大半を占めていた。やはり海外で見ると百貨店ビジネスというのは同族、家族経営の会社が一般的だ。日本の百貨店も以前は同族経営だったが、今ではほとんどがサラリーマン社長になっている。

最近の日経の記事に登場するタイのセントラルグループも同族経営である。この記事はロンドンの名門百貨店セルフリッジがセントラルに完全に買収されたというものである。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGS194XT0Z10C22A8000000/

セントラルグループはコングロマリット企業であり、小売りだけでなく色々な産業を持っている。

わたしがいた当時は小売りグループのトップは今のトスのお姉さんがCEOとしてIGDSに参加していた。ティラティワット家のほとんどが米国で教育を受けている。
今のグループCEOのトスも高校生から米国で教育を受けており、息子も同じだ。

つまり、タイのセントラルは経営層は米国人とほぼ同じ環境で育っている。しかしやはりアジア人であり、みんな日本が大好きである。

IGDSの世界大会を日本で開いた時も、みんな日本に来るのが楽しみであった。大会は東京で行われてたが、すぐに彼らの多くは直島に観光に出かけていた。

そんなセントラルはこれまでイタリアのリナシェンテ、オランダ、ドイツの百貨店を買収している。私は一度聞いたことがある。

アジア人がイタリアの老舗百貨店を買収してどうやってうまく経営をすることができるのかと。

その時の答えはお互いの企業オーナーは古くからの信頼関係にあり、買収後もそこを大切にしながら経営しているので問題ないと。

考えて見ると、セントラルが買収してきた百貨店は全てIGDSの参加企業なのだ。

私はなるほどと思った。

普通はアジア人が欧州の百貨店を買収して経営しようとしても上手くいくはずがない。やはり人種差別というものは存在する。特にアジア、まだ先進国とは言えないタイの企業が欧州の老舗百貨店を次々と買収できるのにはそういう信頼関係があってこそ可能なのである。

今回のセルフリッジはロンドンでは地元に愛される百貨店として有名だ。

ロンドンにはハロッズという有名な百貨店がある。しかしこの百貨店は中東の富豪に買収され、いまや中東、中国人御用達の店となっている。地元民はハロッズには行かず、セルフリッジにいくといつも聞かされてきた。

しかし、今回タイの企業が買収したのである。
日本人の感覚だと、上手くいくの?と思いがちだが、先述した通り、セントラルの経営陣はアジア人ではあるが、感覚は米国人なのである。

こう考えるとこれからの日本の百貨店はセントラルにはどう写るのだろうか?

信頼関係のない企業を買収することはセントラルにはない。力づくで買収することはないだろう。

しかし、彼らの持つネットワーク、規模の経済性を考えるとそう遠くない将来に日本の百貨店が買収される可能性は否定できない。

新しい人生スタートの予感!

10年越しの持病であった、変形股関節症と今月末にお別れする事にしました。

月末から入院して人工股関節置換手術を受ける事にしました。10年以上前に会社の医務室でどうも腰が痛いので産業医の先生に相談したら、変形股関節症かもしれないから、整形外科に行ってレントゲン撮ってもらいなさいと言われたのが始まり。

そこで言ったところ、町の整形外科の先生から「あなたの左股関節は変形股関節症です。治療法はありません。リハビリして痛みを軽減するか、でなければ人工股関節置換手術しかありません」と。その日はショックでした。

ネットで調べると人工股関節ってなんかロボット人間みたいじゃんと。私の世代だとキカイダーをつい思い出してしまいます。

で、それから近くの大学病院に行き、私の長いリハビリ生活がスタートした。
大学病院にあるリハビリセンターに週1−2回通い、会社近くの磁気治療のお店にも通い、なんとか痛みは少なくなりました。

それで主治医から股関節周りの筋肉を鍛えていくしかないと言われ、結構毎日がんばりました。そしてゴルフ、ウインドサーフィン、茶道なども継続してきました。

しかし、今年になり、やはりウインドサーフィンが辛くなってきました。そして先生と相談したところ、置換手術をしても絶対にできないことはないと言われ、条件などをよく考えれば復帰できると言われたので手術を決断しました。

これまでを振り返ると、やはり股関節に問題があるのは何かわたしにとっての大きな悩みでした。

この6月末に親の介護もあって、介護職員初任者研修の資格を取りました。でも実習で車椅子、ベッド、浴槽での介助でやはり股関節が気になりました。
介護職員として働くにもこの股関節では無理ではないかと思ったのです。自分には介護職員も務まらないではないかという自信のなさが強く出てきたのです。

また転職して、多くのクライアント周りをするとしたらこの体では難しいのではないかと。
もちろん、立った販売の仕事は難しいです。つまりできることが少ないと言う不安感なんです。

今、すぐにそう言う仕事をするつもりはありませんが、やはり体に不安を抱えていると言うのは悩ましいものでした。

あと2週間で入院となった今、私には新しい自分への可能性を強く感じています。

股関節が良くなれば、12月にはゴルフ、茶道も再開できますし、ウインドサーフィンも来春には再開できそうです。これがまた次の仕事にも繋がってくるのではと期待しています。

体に不調があると、精神的にも影響します。実感してます。

11月には社会復帰して、新しい仕事を探す予定です!フルで動ける体で!

人生で1回ぐらいしか使わないサービスにどう対処するか

介護施設選び、家の処分、売却はやはりプロのアドバイスが必要

ようやく、大阪の実家を処分し、母を箱根の老人ホームに入居してもらうことができた。
この間、7ヶ月ほどであったが本当に色々と学びがあった。

まず、人生に1回しかない実家の売却とそれに伴う家財道具の整理、処分である。
これまで仕事で引っ越しは多く経験していたのでそれなりに知識はあると思っていたが、家の処分は全く別物であった。その認識が自分に足りなかった。

私は介護施設を紹介してくれた会社の紹介業者(いわゆる生前整理業者)を使ったのだが、これがとんでもない業者であった。ここでは詳細は省くが、とにかく社長からして全くサービス精神がない。多分、こういうサービスは一度使うとリピーターにはならないからだろう。仕事をもらったら、それ以降はお客様の立場を考えることなど一切なく、またクレームを言っても、暖簾に腕押しだった。私は百貨店業に長くいたので、こういうクレームの時には慎重に、適切に対応するのが当たり前と考えているが、まあリピーターにならない客であれば、ぞんざいに扱ってもいいと考えるのであろう。

多くの人は介護施設選び、実家の処分、生前整理などは初めての経験であろう。そういう時に親身になって色々とトータルでサポートしてくれるサービスがあれば良いとつくづく感じる。

各業者のクチコミは絶対に信用しない方が良いと断言できる。特に私が今回使ったのは中小業者だったのでクチコミは操作されている可能性が大だ。

今回は家の売却も不動産業者を通さずに行ったので、これも価格の妥当性や売却の手続きなどが不透明なままであった。確かに業者を使うと3%の手数料が発生するが、やはり使った方がよかったのではないかと思う。今回は母名義の家であり、彼女の意向が強かったのもあるので致し方ない面もある。

介護施設への入居でも自分で探すのには限界がある。まずは紹介をしてくれる業者を使うのが賢明だろう。その人の健康状況、趣味嗜好などでも施設選びは変わるので、やはりきちんと介護の知識のある人でないといけないだろう。

私はこれをきっかけに、介護職員初任者研修の資格を取ったぐらいだ。

ただし、あくまでも紹介だけのサービスと考えないといけない。今回も施設の紹介だけでなく、家の処分、引っ越しなど提携業者の紹介サービスというのがあったが、結局は単に紹介するだけで、フォローなどは一切なかった。

今回はひどい生前整理業者であったので、それを紹介してくれた会社に対しても怒りの気持ちが湧いてきた。しかしその責任を求めるのは難しいし、やめた方が良い。所詮、そんなものである。

となると、やはり今回のような施設選びから、家の売却、処分、引っ越しをトータルで面倒見てくれるサービスがあれば、多少のお金を払ってもよかったと思える。

しかしそういう業者は今のところは存在しないように思える。

ここにビジネスチャンスがあるように思えるが、これは多くの経験と常に顧客に寄り添ったマインドのある経営者でなければできないであろう。

今回、私は老いた母のことを思い、自分の将来も重ね合わせながら施設巡りをして、施設選びをし、そして経験のない実家の売却、処分、引っ越しを1人で全て行ったのだ。

兄弟がいればまた違うのかもしれなかったが、私のような人も日本には多くいるように思う。

シニア世代に向けた新しいサービスとしてはこういうニーズはさらに高くなるのではないだろうか。

とにかく、やったことのないものをする時には信頼できるアドバイザーが必要である。

ピアノ売ってチョーだい!は良い商売なのか?

不用品の引き取りに過度な期待は禁物。

前回の実家売却ネタだが、不用品の引き取りと回収をすることになった。

結果から言うと、実家にあるものはほとんど価値はなさそうだということ。

先日専門業者が査定に来たが、ほぼ価値のあるものはないと言われた。せいぜい数千円になれば良いかとのことだった。

美術工芸品はよほどの作家でない限りは値段はつかない、廃棄品として扱われるそうだ。

ショックだったのは昨年7月に購入したソファベッドだが、4万円近くしたものが値段がつかなかった。業者曰く、このソファを運び出して、保管してまた別の業者に売るという手間賃がかかるので、余程のものでなければ価値はないと。

今回の業者の査定では我が家のゴミは約10トンだそうだ。で、このゴミはどうなるかというと、全部埋立されるそうだ。廃棄したゴミとなった家財道具は燃やすと余計に環境を汚すので燃やさずに、埋め立てるそうだ。

なんともはや、現実はすごいと感じた。
リサイクルできるものはいっぱいあると思うのだが、これを一つ一つ選別して、それ欲しい人を見つけて販売することができれば良いのだが、10トンの家財道具を選別するのは難しい。

私は個人的に、今、メルカリで自分の書籍の販売を始めている。蔵書というものの価値が感じられなくなってきたのだが、捨てるのはもったいない。で、コツコツと売り出しているのだが、意外な書籍が定価の半分くらいで売れたりする。

まあ、梱包して発送するのはメルカリのキットやコンビニでの匿名発送サービスを使えば簡単だが、正直200円の利益を得るためにかかる労力は結構ある。

その業者にTVでよく宣伝しているピアノの引き取りの話を聞いたが、家にあるピアノはせいぜい数千円だそうだ。でもこれを お化粧直しして海外に売れば意外な値段で売れるのかもしれない。メルカリみたいなものだ。

結局消費者にとってはあまり旨味のない引き取りとなるのである。

着物はその良い例であり、中古市場ではほぼ全く価値がない。

これを生地として加工して新しい雑貨として蘇らせている人もいるが、なかなか大きなうねりにはなっていない。

リサイクルと言いながら、それができているのはほんのひと握り。ペットボトルだってその大半は埋め立てされてるのが現実だ。ゴミの問題はセンシティブなことがたくさんあるらしく、なかなか表で報道されることは難しいそうだ。裏の世界の恐ろしさを今回少し教えてもらったのだが、自分はまだまだせかいが狭いなと感じた。

時代とともになくなる事業、会社の生き残り

百貨店だけが時代遅れのビジネスモデルではなく、世の中いっぱいある!!

今回、実家の売却を行うことになり、家の整理をしている中で色々と気づくことがあった。

その一つが世の中にはあと10年すればなくなるビジネスモデルがいっぱいあること、そしてそれに立ち向かっている人も結構いるということ。

実家の仏壇は昔ながらの大きな仏壇である。しかし、今回実家の売却で仏壇のダウンサイジングが必要になり、初めて仏壇屋さんと色々と相談した。

仏壇ってもう今は家にないのが普通だそうだ。特に今はもう私のように仏壇をダウンサイジングするどころか、仏壇そのものを無くして、お寺との関係を清算する家が増えているそうだ。
仏壇屋さん曰く、あと10年で今の仏壇屋さんの7割は無くなっているだろうと。

確かに私もあまりそんなに信心深いわけではないし、妻はクリスチャンだし、私には子供がいないので、近い将来墓仕舞いをしないといけないので、仏壇はもう必要ないだろう。

だから仏壇屋さんで買う人はどんどん減るだろう。今の仏壇でも昔のような大きいものは100万以上するが買う人は本当に限られる。小さいコンパクトのものでも安くて10万前後はする。今回私買った仏壇は棚にも収まるコンパクトなタイプだが、店主曰く、そのうちこういうのも売れなくなるだろうと。

で、私は店主にこの先どうするのかと尋ねると、面白い答えが帰ってきた。

今、彼が頑張っているのはお寺の住職の袈裟などの衣装の販売だ。こういうものを扱っているところは少なく、また彼はエリア限定の宗教に特化しているとのことだった。
実は私の実家の宗教は仏教だが、融通念仏宗という大阪の南部、奈良県でのみ信者が多くいる宗派である。なのでニッチマーケットである。
そこで、彼は毎日その宗派のお寺を廻り、住職との関係性を構築しながら、今は仏壇、仏具を販売しているが、狙いはニッチな仏着でのスペシャリストを目指している。

まさしく、マイケルポーターの戦略である。ニッチなマーケットに絞り、集中化して、差別化している。その中での圧倒的シェアを稼ぐ。

普通の仏壇屋さんは常にお客さんが来るのを待っている、受け身の商売だそうだが、それをしているお店は確実に潰れるのだ。とても勉強になった。

次に実家の新聞配達店の話を聞いた。
実家ではなぜか毎日新聞を取っている。毎日新聞は良い新聞だが、購読者数は少なく厳しい経営状況だと言われてきた。

新聞そのものが斜陽産業だが、配達店も同じ運命にある。
実家のエリアの配達店はよくある、他の新聞も配達するとか、牛乳を一緒に販売するのではなく、エアコンのクリーニングを副業にしている。実家でも一度利用したことがあったと聞いた。

そして、今朝見たチラシには遺言整理、不用品片付けのサービスを始めるとのことだった。
確かにこれはメイン読者であるシニア世代に向けたサービスだ。

また一方では子供達に向けたボランティア活動も続けている。これはおそらく新規顧客の開拓なのだろう。

新聞配達店にとっての最大のコアコンピタンスは今の読者だ。この人たちには毎日確実にリーチしている。どんどん数が少なくなるのであれば、その人たちとの関係性をより濃密にして、新たなサービスを展開することはチャンスだ。

遺品整理サービス、不用品処理サービスはなかなか信頼できる業者を見つけるのが難しい。そういうサービスこそ、新聞販売店でなおかつ、ボランティア活動しているところなら安心できるのではないかと感じた。

ただ、私も今回実家の売却で不用品整理を頼んだが、まだ始めたばかりの新聞配達店には頼むのがちょっとためらった。で、結局知り合いの紹介で別の業者に頼むことにした。
このあたりが専門性というところでは難しいなと感じる。

いずれにせよ、このままいたらなくなるビジネスモデルはたくさんある。しかし、そのピンチをチャンスに変えていくものこそが生き残るというのを感じる。

小売り業にはアートが必要、それを創るのは人だ

オンライン、メタバース、TIKTOKに振り回されないで、小売りの王道をしっかりやる企業も必要だ

アマゾンが実店舗の本屋を閉める一方で、老舗のバーンズアンドノーブルは実店舗を増やして再び成長している

今回のROBIN REPORTではまたアマゾンが取り上げられている。
相次ぐリアル店舗の失敗でアマゾンはなかなかネットとリアルの融合で成功事例を生み出せていない。

筆者はアマゾンのジェフベゾスを流通革命の天才と称賛するが、小売りの天才とは呼ばない。彼はいつも消費者の期待を超えるサービスを提供してきた。これはウオルマートの創業者、サムウオルトンと同じExceed customer’s expectationと同じである。

しかし、サムウオルトンは常に顧客のお買い物についていかに安く、早く、豊富な品揃えを提供するかに重点を置き、常に店頭に立ち、顧客の声を聞いてきた。

そして価格を安くするために自らは倹約し、決して華美な生活を送りはしなかった。
こういうオーナー経営者は今でもいるのだろうが、なかなか取り上げられていない。

一方でベゾスは常にサイエンスを武器に顧客の期待を超えてきた。しかしそれは実際の現場の声ではなく、仮説に基づいたものだったのだろう。

今やベゾスは宇宙への夢に大きくシフトしているが、やはり一つの彼の理想とする世の中があり、それに憧れる消費者にとっては素晴らしい小売りサービスがアマゾンなのかもしれない。

一方で昔の名前であるバーンズアンドノーブルは企業再生が得意な経営者によって、蘇ろうとしている。昔の良き時代の本屋さんを彷彿とする環境を作り上げている。今、主要顧客は若者だそうだ。技術が進んでも、人の気持ち、考えは変わらない。

決してマーケットは昔ほどは大きくはないだろうが、存在意義、存在価値はある。それが本屋だ。鍵となるのは本屋の店長。

何か、昔の百貨店も店長らしさというのがその店にあったような気がする。

大きくはならなくても、儲かる百貨店というのは存続するのではないだろうか。

やはり、上場していると難しいか・・・

15分配達VS30分配達競争って、意味あるの?

アメリカのちょっと行き過ぎてる小売り競争

先週、アメリカの小売り業界でのDXについてオンラインセミナーに参加した。

在米の日本人アナリストの方がザクっと今の小売り業界のDXの動きを説明していたが、タイトルにもある配達時間競争は本当にちょっと的外れだなあと感じた。

確かにコロナ禍でECの売り上げが伸び、それに伴って配達競争も激化してきた。しかし注文を受けてから30分以内にお届けするのもすごいと思っていたら、いまや15分で届けるというのが出てきていて、熾烈な争いになっているという。

中国でもネットスーパーが1時間ではなく、30分、15分とドンドン配達時間を短くしている。

しかしコレって、本当に顧客のウオンツなの?それってESG経営につながっているのと思いたくなる。

デジタルの力で需要予測が進み、在庫の適正化ができ、また配達経路をAIで分析することで配達時間を短縮することはできる。でもそこまでして早く届けることに何のベネフィットを顧客にもたらすのだろうか?

「過ぎたるは及ばざるが如し」になっていないだろうか?

結局若者がゲーム感覚でデリバリーゲームを楽しんでいるように思えてならない。特にデジタルの世界では若者が中心であり、そのニーズ、ウオンツの中でビジネスモデルが作られている。

でも、大事なことは顧客は誰なのか?だ。

小売業でも今、DXの流れで経営の世代交代が求められている。確かにコレは大事だ。しかし、その企業の本当のコア顧客は誰で?その顧客が求めているのは何かをまず知ること。そしてそれを満足させるための手段としてDXをどう使うかを考えることが大切だ。

だからこそ、経営でも老壮青のバランスが大切なのかもしれない。

やりすぎだよ、15分配達。すごいけど経費の無駄にしか過ぎない・・・
リニア新幹線もいらないでしょ。