エスコンフィールドはこれから求められる企業経営の縮図だ。

昨日、北海道北広島市にある日ハムの本拠地エスコンフィールドに初めて訪れた。

私の学生時代の友人が建設プロジェクトメンバーで、アンビシャスという本で紹介されている。

そこで、彼に昨日試合終了後に球場内外を案内してもらった。

この球場は選手、観客だけでなく、従業員にも、そして地域住民のため、全てのステイクホルダーの為に作られた施設だった。

昨日説明を聞きながら、昔、授業で会社は誰のものかという議論をしたのを思いだした。

日本やヨーロッパのMBAではその当時は会社は顧客、従業員のものだという考えが大勢を占め、アメリカでは株主のものだという議論が当たり前だった。

全てのステークホルダーを幸せにすることは不可能だ。しかし、最初からビジネスモデルとその受け皿をきちんと用意すれば可能では無いかと考えさせられるエスコンフィールドだった。

私はラッキーにも実際に施設で野球観戦、施設案内、説明を聞く事で実感できた。

このエスコンフィールド見学ツアーは今の経営者には必須では無いだろうか、

お金の損得勘定は人間らしい

久しぶりに大阪に仕事で向かうため、小田原駅にいる。

新幹線でコーヒーを飲もうと駅のセブンイレブンで110円のドリップコーヒーを買う。以前キーコーヒーの社長が100円で素晴らしい味だと絶賛したのを聞いて以来、スタバよりテイクアウトの時はいつもセブンイレブンで買っている。

確かにスタバのロースト感はないが、全然ありだと思っている。

しかし、今日買ってから、何げにセブンイレブンのアプリを見たらなんと、コーヒー無料のクーポンがあったのだ。

いや、これを見た時の損失感はなんとも言えないものだった。

たかが、110円、スタバを買っていれば330円。

しかし、この損した気持ち。これが人間なんだろう。経済行動学てやら、難しい名前がついた学問が流行っているが、昔から人間は感情で動いてるのだ。

値段そのものの、高さではなく、払わなくても良い金額を払うのはもったいないと感じる。

これは株式投資でも同じだ。

買った金額より儲かっていても、売り抜けたあとに株価が上昇したら、あー損したと嘆いてしまう。これが人間。常に腹八分、欲張らないのが大切だと感じながら、ポイントが今月末でも切れるから久しぶりに無料でグリーン車に乗りながら、家の近くのスーパーで買った48円の水と一緒に大阪までゆっくり向かいます。

新たなスタートに向けて準備中です!

今のSNS販促にはなかなか追いつけないことを実感

このブログも随分と更新をサボっておりました。ほんの一握りの読者の皆さんには申し訳ありませんでした。

以前から計画をしていた自宅の茶室での主に外国人に向けた茶事体験教室の準備が本格的になってバタバタしておりました。
まだ、茶室廻りの庭、躙口廻りの改修や畳の表替えなどが残っておりますが、大体の用意はできてきたかなと。また体験メニューも試行錯誤を続けながら変更していこうと思っているのであまり固定せずに、いわゆるアジャイルにメニュー開発をしていければと思っています。

そして今はこの茶事体験教室の販促を考えているのですが、やはり時代の流れは凄まじく感じています。私がこれまでの小売業界で得意としてきたマーケティング販促はもはや通用しないことを痛感しています。確かに基本的なマーケティング戦略の策定などは問題ないのですが、いざ集客するとなった時には、CM,チラシなどのメディア販促は全く通用しないことを痛感しています。

特に私の始めるビジネスはニッチのマーケット(主に富裕層の外国人旅行客で茶道に興味を持っている人)に向けた販促の場合、マスメディアではなく、ニッチでもリーチできるようなメディア販促が必要となります。それにはまず高年齢層が主体のFacebookをメインに、そこにInstagram、そして外国人の場合はLINEではなくWhatsAppやWe Chattと連携しなければいけません。最近ではTikTokを見ている人も多いので、SNSのメディアミックスでリーチをする必要があります。

そして、リーチできたターゲットにAIDMAで言うところの興味(Interest)欲求(Desire)を引き起こすための解説のためのホームページが必要です。

そして顧客自らが良かったと体験談を拡散してもらうための仕掛け作りも必要なんです。

というふうに、こういうことは大体わかるのですが、ではそれをどのようにSNSを使いこなして販促を実際に行うのかは私にはノウハウがありません。

年代、性別、収入、国籍で行う販促は変わってきますが、この一連の流れをうまく流していけるかどうかがポイントになるのではないかと。
私が若い頃に百貨店の販促をしていた時からすでに25年近くが経ちました。
もはや過去の成功体験は通用しません。しかし原理原則は変わっていません。それを守りながらいかに今の時代にあったSNSマーケティングを行うかが大事だなと思います。

百貨店や事業会社の経営に携わっていた時には戦略の策定、チェックで良かったのですが、今は個人事業主として戦略、戦術、運営、作成まで1人で行なわないといけません。

時代の流れを痛感するとともに、新しいことを吸収することの大切さを見に沁みています。

シンガポールでもそうでしたが、なんでも成功するまでやるというのが自分には欠けていたのかなと反省しています。
今回は成功するまで続ける覚悟です!

大企業にはできないことをやることが大切

これまで大企業に36年勤めてきた。そして今はフリーランサー。企業人の時は取締役にもなれていろんな経験をさせていただいた。しかし思えば、毎日収益をいかに上げるか、投資家から評価されるかに追われてきたように思う。そしてやはり夢は会社のトップになることだったように思う。
結局は収益を上げることにいかに貢献できたか、事業を成功させることができたかを必死にやってきたように思う。

確かに売上を上げるためにはお客様に支持されることが大前提だ。しかし、顧客満足と効率化を同時に達成しなければいけない。そうするとどうしても顧客サービスの限界が訪れる。

それをDXで実現しようというのが今のトレンドであろう。

しかし本当にDXで顧客満足の最大化を図れるのだろうか?

私にはそれはやはり詭弁のように思ってしまう。確かに企業として追求すべきはその道であろう。なぜなら企業は毎年収益を伸ばし続けなければいけないからだ。

DXで本当に皆が喜ぶのか?今のマイナンバー制度なども若い世代には全く問題ないが、70.80代に厳しいだろう。リスキリングも老人には限界はある。

人気の米イェール大学の成田悠輔氏(38)の「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という主張が、米紙『ニューヨーク・タイムズ』でとりあげられ、炎上している。
こういう自分も老いていくことを自覚できないスノッブな人間が極端な意見を発信するのだろう。

一方で、ママパパストアだったら、どうだろう。顧客満足最大化のために精一杯できることをやり、収益は自分たちが生活できる範囲でいいと。毎年どんどん収益を上げるはしたいけれども、お客様の笑顔が一番のやりがいだと。

こういう若者が東京から移住してきて、私の家の周りで店を出して頑張っている。

これまでは切り捨てられてきたような中小事業者にスポットがあたる時代が来たかもしれない。

事業にも2極化が来ているのかもしれない。大企業と零細企業。

でも零細企業は大企業にはできない、一見すると無駄に思えるビジネスモデルが顧客満足の最大化を生むのかもしれない。

マイケルポーター戦略論では差別化、集中化、コストリーダーシップが大事という。

これらは中小事業者にも実現できることばかりだ。

例えば、私が今やろうとしている、富裕層の外国人旅行者向けの茶道体験教室がそうだ。
このビジネスはどんどん成長はしない。売上もすぐに限界がくる。でも家族だけでやれば、賃上げを気にしなくても良い。でもニーズはいっぱいありそうだ。我が家のある真鶴のツーリズムと本当の茶事体験をセットにしたプライベートな体験サービスなんて大企業は絶対にやらない。マーケットは小さい、でも少なくていいのだ。自分たちが食べれるだけの収入があれば。

だから差別化できるし、小間での茶事に集中したサービスを行う。このビジネスにコストリーダーシップは必要ない。なぜなら競合は少ないからだ。

リスキリングは会社時代に用意しておくべきものか?

2019年に会社を辞めて、シンガポールで新規ビジネスを目論むも、見事に失敗。そしてコロナ禍で日本に帰国してからはや3年。

この3年間はこれまでのスキルや人脈でなんとか仕事をやってきたものの、結局は自分の過去の遺産を食い潰しているようなものだ。

巷ではリスクリングが叫ばれいる。私も会社員時代には自分なりにマーケティング、戦略、英語、M&A、新規事業などを専門的にやってきたつもりだったが、会社を辞めていざ、個人として稼ごうと思った時、自分の持っていた専門知識は他にもいっぱい持ってる人がいて、自分特有の武器にはなっていないことに気がついた。
結局は自分にしかできないコアコンピタンスにはなっていなかったのだ。

リスキリングとはやはり自分にしかできないことをやることではないだろうか。
でもなかなか会社にいるとそういう感覚にはならない。他の同僚よりも会社が求める一般的な能力や知識をジェネラリストとして高めることに一生懸命になるのが普通だ。
しかし、そいういう一般的なスキルは社会にでると使えないのだ。

今、リスキリングで資格を取る人がいるがどうなんだろうと考えてしまう。
資格を取ってもそれと何か自分にしかできないことを掛け合わせることで自分特有の長所を作り出すことが必要なのだ。

最近、個人事業主として何か社会の役に立つこと、仕事になることを考えているがやはり私でないとできないことがなければ、いくら知識や技能があってもそれだけでは、他の人ではなく、貴方に頼みたいということにはならないのである。

そこで大切なのは自分がやりたいことをやることだろう。儲かるからとか収入がいいからという理由では、スキルを人よりも高めることは難しい。
自分がまず好きなこと、そしてそれが誰かの役に立つこと、そして長く続けられることを見つけることが大切だ。

自分のこれまでの人生を振り返ると、仕事は稼ぐ手段、好きなことは趣味と捉えてきた。でもこれからのリスキリングではまず好きなことで暮らしていくことを考えようと思っている。

会社時代についたいやらしい癖は、人より稼ぐこと、人から尊敬されること、社会で有名になることだと思う。

これからは自分の好きなことで人のお役に立ち、みんなからも求められる、好きになってもらえる人になることだと思う。

でもこういう境地になるのに、私はこれまでの辛い4年間が必要だった。でもこういうことがないと人間成長しないんだなと。

力を抜くことの大切さ

最近、茶道にできるだけ時間を割いてお点前を勉強している。また股関節の手術のリハビリもひと段落したので、居合道も再開した。

いつも思うのだが、余計な部分に力が入るとうまくいかないものだ。茶道の先生には頭で覚えるのではなく、体で覚えこませるのだと。そうでない綺麗なお点前はできないと。そのためには反復練習しかないと言われる。
家で帛紗のチリ打ちを練習するのだがなかなかうまくいかないし、これだけやるのは正直億劫にある。しかしこれが大事なんだなあと最近思えるようになってきた。

というのも、今年の初めに友人を招いて、初めて我が家の茶室(二畳台目の小間)で初釜の茶事を亭主として行った。この時のことを思い出すと身体に覚えていないことは全くできなかった。それだけ茶事ではお茶をふるまう以外にやらなければいけないことがたくさんあり、余裕が全くなかったからだ。

お稽古場でもそうだ。今日はこういうお点前かと予習してきたものとは全く違うお点前だと、もうそれだけで緊張してしまう。

この余裕というものは、力を抜く=自然体から生まれるものだ。

だからこそ、家で自分1人で予習、復習が必要だとつくづく思う。

試験勉強でも自分なりに自信の持てるレベルまで勉強すれば、少しは自然体で試験に臨めるが、そうでなければやはり、不安がいっぱいなままでうまくいかないことが多い。

これはウインドサーフィンでも同じだ。波と風を操りながらするスポーツがウインドサーフィンだが、自然相手のスポーツではコンディションが自分の力量以上にすぐになったりする。強風になると怖気付いてしまって体が緊張してうまくセイルを操作できなくなる。

今習っている中国語もそうだ。事前に自分で音読をした文章だと、先生の前でもある程度自信を持って話せる。しかし、うっかり予習をしていないと、わかっていたはずの単語すら読めなくなってしまう。

水泳のクロールも同じ。力を入れすぎるとすぐ疲れるし、呼吸も一定のリズムでしないと、すぐに苦しくなる。

対人関係もそうかもしれない。仕事で初めて会う人とは、事前に相手のことを調べておけば、話のネタも見つけられるし、余裕が生まれる。

結論としては力の抜くためには、どこかで目一杯予習や復習をしておくということなのだろう。だからこそ努力が大切ということなのかもしれない。

個人的にはゴルフだけはどうもこの予習、復習がうまくできないし、やる気がおこらないのはなぜなんだろうと。。。

人とのネットワークをどう作るのか!

幸せの形は人それぞれだが、必ず必要なものは真の友達、仲間がいるかどうか

先日、入院していた時の同部屋だった方を伊豆下田まで訪ねた。
伊豆下田といえば約20年前、慶應MBAでの財務の合宿で辛い思いをした場所だ。で、それを思い出すべく今回も同じ下田東急ホテルに泊まることにした。

私は、今は真鶴を拠点にしているので、伊豆下田まではそんなに時間はかからない。でも湯河原駅から特急踊り子に乗って1時間半かかる。やはり下田はなかなか遠い場所だ。

今回の目的は久しぶりの東急ホテルがどうなっているかを見ることと同室だった友人が下田で経営するカフェを訪ね、一緒に飲むことだった。

まず病室のルームメートだったSさんは今年72歳のミュージシャンだ。今はカフェでパスタを作りながら、定期的にコンサートを開いている。ジャンルはブルース。
私が交換留学先のシカゴでブルースバーによく行っていた話から盛り上がり、共に一緒に過ごした入院生活、約1週間は毎日8時間以上お話しを2人でしていた。

Sさんの人生をお聞きしたり、私の話、病院の話、病気の事などいろんな話をした。Sさんはお酒が好きで、私も嫌いではないのでいつか飲みたいですねといつも話していた。シラフでよく話せますねと看護師に馬鹿にされていた。

コロナ禍で病院では面会禁止で、他の人は家族でも来れなくなっていたので、いつも2人で院内のコンビニでコーヒーを朝7時に買うのが日課であった。

Sさんはミュージシャンを目指していたので、私のようなお決まりの会社員人生ではなかった。下田には44歳の時に下田にいた今の奥さんと結婚して婿養子となり、名前も変えられたそうだ。それまでは色々ところを転々としながらも、演奏活動をメインに生きてこられたとのことだった。

だからYouTubeにはSさんの昔の名前のステージ演奏の動画が今でもたくさんアップされている。

Sさんの話でいつもすごいなあと思うのは、必ず人生の節目節目で多くの人に助けられているいうことだった。
最高の出会いは今の奥さんとの出会いだとは思うが、それまでにも多くの苦労があっても友人の助けをもらってやってこられたと。

こういう話を飲みながら聞きたいなあと思っていたので、今回、下田に行って飲みながら話を聞き、弾き語りを聞きたいのが今回の目的だ。

下田は前述したように距離的に東京から遠く、電車のアクセスも良くない。車で来ても道路の整備は遅れておりまだまだ時間がかかる。

真鶴よりももっと遠い、そんな中でSさんとっても幸せに暮らされていた。
商店街にお店はあるのだが、道行く人は知り合いばかり。
飲みに行ったお店も知り合いのお店。その次に行ったスナックのマスターも知り合い。お客さんもみんな商店街の人。なんとなく息が詰まらないのかなあと思いつつ、でもなんだか本当に楽しそうなのが羨ましくてしょうがなかった。

最後の〆にお店に戻り、弾き語りでSさんのエリッククラプトンのTears in Heavenを聴きながら、いい人生を送ってこられたなあとつくづく感じた。

振り返って自分を見ると、こういう仲間がいるんだろうかととても不安になる。
これまでは会社生活がほとんどだったから、会社繋がりの友人はいるがそれも私の場合、役職を離れると、さーっとなんの連絡もしなくなる人が大半になる。

私は前職を辞めたあと、シンガポールで起業に挑戦して一時期住んでいたこともあり、そこでも友人もいる。また大学院時代の日本での友人やシカゴでの友人もいる。
でも本当にその友達がSさんの周りにいる友人と同じなのかと考えるとうーんと考えてしまう。

商店街の仲間は今でも仕事をしておられるから、定年はない。Sさんも同じでセミプロミュージシャンとして活動は続けながらも、今はカフェのマスター。

会社人生を送ってきた私にはやはりもう一つ別のメインの顔が必要なんだが、それがないのである。

まだまだこれから何か社会に貢献できる、人の役にたつことをやりたいと考えているのだが、なかなかうまくいかない。

今はまだ、会社の顧問や業務契約業務で社会との繋がりは残ってはいるものの、それをSさんのように胸張って言えるものとはいえないと感じる。

自分で胸を張って、今はこれをやっています!と言えるものを早く見つけなければいけない。
コロナ禍で私の人生は大きく変化した。

今の自分にできることとやりたいこと、それに足らないことを加えて、新しい自分の付加価値を作らなければ誰も私に声をかけようとは思わないだろう。

でもそういうときに必ず助けてもらえるのは、真の友人、仲間なのかもしれない。それをネットワークと呼ぶのであれば、そのネットワークづくりをいかにできるかがその人の幸せの度合いに差が出てくるように思う。

素晴らしい人には素晴らしい人が集まる。努力する人には努力する人が集まる。魅力のない人には誰も集まらない。

やはり自分を常に磨くことが大切なんだろう。

でもそれが難しい。。

私も今からは嘆く前に、再度自分を磨くことに努力していきたい。

もう一度焼肉ライクについて思う

2020年12月以来の訪問でどう変わったのか!

先週赤坂見附にランチタイムにいた。約2年前に焼肉ライクについてコメントをしたのを思いだして、再び同じ焼肉ライク赤坂見附店に行った。

注文したのは前回とほぼ同じカルビのセット1200円。それに今回はチョレギサラダをつけたので合計1500円。

結論として、1500円なら赤坂界隈に1000円前後で韓国料理店でもっと美味しい焼肉が食べれるなあと。やはりお客さんは少なく、顧客の数がやはりバロメーターだと実感。
レストランは並ぶくらいの店でないとダメだと感じる。

2年前に来店して、今後大丈夫なのかと思ったのは店員の少なさとサービスの悪さだった。

今回、この2点はさらに悪くなっていた。しかしIT化はさらに進んでおり、注文からお会計まで自分でできるようにはなっている。これは15年ぶりに久しぶりに行ったスシローでも同じような状況だった。

コロナ禍で売り上げ効率が減るため、1店舗を最少人数で運営するための仕組みがどんどんと取り入れられている。しかし、大事なのはその最低人数のスタッフの質だ。
スシローと比べると、スシローではミセス層のパートさんが多くて、個人的にはサービス評価は悪くなかった。会計時に戸惑っていたら、50代のスタッフさんが丁寧に教えてくれた。
また来たいと思わせるサービスだった。
まあ、スシローでもあまりお金を気にせずに食べたら1800円となり、全く満足感はなかったが、今回のライクでは店員のサービスレベルが最低だった。いえばやる気のないカラオケ店員みたいな感じであった。
帰り際にもう2度と来ないなあと振り返りつつ店を後にした。

たかが1500円なのだが、この損失感は凄まじいものがあった。
溜池山王駅までの帰り道、いろんな韓国レストランのランチメニューを見るたびに悔しさがこみあげてきた。

「食い物の恨みは恐ろしい」とはよく言ったものだ。

立地、雰囲気、価格、料理の質、サービスなどが飲食店の成功のカギだとは思うが、今回の焼肉ライクはあの経営でよく持ち堪えているなあと感じた。

頭で考えてるだけではビジネスはできない。やはり相手は生身のお客様なんだ。その人にどう満足してもらうか、喜んでもらえるかが先に来なければなんでもうまくはいかないだろう。

顧客ファースト、顧客満足第1主義、お客様は神様、スローガンは色々あれど、経営者にその信念がどこまであり、それをどう従業員全員と共有するかの方法が問われているかもしれない。それはITでは解決できないだろう。

基本が大事!

なんでも一度基本に戻る時期があるのかも

最近、中国語の学習が進まず悩んでいる。と同時にお茶のお稽古でもなかなかうまくいかないことが続いている。
いわゆるスランプというものだろう。

でも一つ言えるのは基本に忠実にやれば必ず結果はついてくるということ。
9月に人工股関節の手術をして、今もリハビリは続けているがm、最近怠け癖というか、毎日のルーティンを忘れることがある。するとやはり筋肉の強張りが元に戻っている。指の怪我をしたのでプールに入れず、それを口実にしていた自分もあるのだが、やはり身体は正直だ。

同じように中国語もそうだ。最近スカイプの先生を昔習っていたちょっと厳しい先生に替えてみた。すると私の発音を片っぱしからダメ出しされた。中国語特有のheの発音など徹底的に発音を直されている。でもこれは今までにない衝撃で、あ、やっぱり発音は大事だなと思い知らされた。

お茶のお稽古でも帛紗さばきという基本の動作があるのだが、これを先生からいつも心地よい音が出ないことを指摘されていた。前回のお稽古で私の帛紗を持つ手の指のフォームが悪いことを指摘された。するとどうだろう、綺麗で心地よい音が出るのだ。まあ百発百中ではないが随分と良くなった気がした。

毎日続けることは大事だが、それでも惰性ではなくキチンと目的と正しい動作で行うことの大切さを最近感じている。

だが、私も人間。たまには息抜きも必要。身体に悪そうなビッグマックやポテトを月に1回ぐらい食べたくなるし、コッテリラーメンも食べたくなる。

あんまり、きっちりしてると息が詰まるし、この緩急の付け所がまだ自分には掴めていない。

マッサージでよく言われるのは私は揉もうとされる部位にキュッと力を入れてしまうらしい。体の緊張をいかに自分でほぐすことができるかは大きな課題だ。

基本は全てに通じる。
だからこそ、今の経営では基本となる戦略、マーケティング、財務などを見直すべきではないだろうか。

巷のタイトルばかりが魅力的な本を読んでもあんまり中身がないように感じる。

教養としての茶道という本がよく売れているそうだ。
でも中身を読んでみると、それよりももっと大事なことがお茶の本にたくさん書いてある。
私がおすすめする本は以下だ。

日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫) 文庫 – 2008/10/28

確かにビジネスに茶道の精神を生かすというのは理解できる。しかし、私の経験で言えば、戦略、マーケティングなど企業の意思決定では茶道はあまり関係ない。
でも茶道が考えるお客さまをいかにもてなすかは小売りの業界にいる人には大いに参考になるのではないか。
私はもっと早く茶道を始めるべきだったと後悔している。

海外では百貨店のM&Aは活発になっている。日本ももうすぐかも・・・・

タイのセントラルグループには要注意!

あまり知られていないが百貨店の国際的な集まりとしてIGDS(https://www.igds.org/)がある。以前の会社(Jフロントリテイリング株式会社)で当時の会長からIGDSへの加入の検討を指示されてから、もう8年近くになる。元々、百貨店というビジネスモデルにはスーパーマーケットとは違って規模の経済性というのはあまり効果がないと言われてきた。いわゆるPB商品などの展開、それをグローバルで展開するなどイオンが積極的に取り入れている手法だ。

百貨店、特に日本の百貨店は海外との百貨店との交流はほとんどないといっても良いだろう。ラグジュアリーブランドとの取引や海外商品の直接買い付けなどで海外出張は今でもあるだろうが、現地の百貨店との交流はお互いにメリットを感じなかったのが大きな理由だ。

このことから、日本の百貨店の経営層の国際化は大きく遅れたように感じる。
JFRがIGDSの会員となり始めて会員として国際大会に出席したが、やはり日本のステータスはとても低かった。

IGDSの出席者の多くがCEOであり、同族経営のトップが大半を占めていた。やはり海外で見ると百貨店ビジネスというのは同族、家族経営の会社が一般的だ。日本の百貨店も以前は同族経営だったが、今ではほとんどがサラリーマン社長になっている。

最近の日経の記事に登場するタイのセントラルグループも同族経営である。この記事はロンドンの名門百貨店セルフリッジがセントラルに完全に買収されたというものである。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGS194XT0Z10C22A8000000/

セントラルグループはコングロマリット企業であり、小売りだけでなく色々な産業を持っている。

わたしがいた当時は小売りグループのトップは今のトスのお姉さんがCEOとしてIGDSに参加していた。ティラティワット家のほとんどが米国で教育を受けている。
今のグループCEOのトスも高校生から米国で教育を受けており、息子も同じだ。

つまり、タイのセントラルは経営層は米国人とほぼ同じ環境で育っている。しかしやはりアジア人であり、みんな日本が大好きである。

IGDSの世界大会を日本で開いた時も、みんな日本に来るのが楽しみであった。大会は東京で行われてたが、すぐに彼らの多くは直島に観光に出かけていた。

そんなセントラルはこれまでイタリアのリナシェンテ、オランダ、ドイツの百貨店を買収している。私は一度聞いたことがある。

アジア人がイタリアの老舗百貨店を買収してどうやってうまく経営をすることができるのかと。

その時の答えはお互いの企業オーナーは古くからの信頼関係にあり、買収後もそこを大切にしながら経営しているので問題ないと。

考えて見ると、セントラルが買収してきた百貨店は全てIGDSの参加企業なのだ。

私はなるほどと思った。

普通はアジア人が欧州の百貨店を買収して経営しようとしても上手くいくはずがない。やはり人種差別というものは存在する。特にアジア、まだ先進国とは言えないタイの企業が欧州の老舗百貨店を次々と買収できるのにはそういう信頼関係があってこそ可能なのである。

今回のセルフリッジはロンドンでは地元に愛される百貨店として有名だ。

ロンドンにはハロッズという有名な百貨店がある。しかしこの百貨店は中東の富豪に買収され、いまや中東、中国人御用達の店となっている。地元民はハロッズには行かず、セルフリッジにいくといつも聞かされてきた。

しかし、今回タイの企業が買収したのである。
日本人の感覚だと、上手くいくの?と思いがちだが、先述した通り、セントラルの経営陣はアジア人ではあるが、感覚は米国人なのである。

こう考えるとこれからの日本の百貨店はセントラルにはどう写るのだろうか?

信頼関係のない企業を買収することはセントラルにはない。力づくで買収することはないだろう。

しかし、彼らの持つネットワーク、規模の経済性を考えるとそう遠くない将来に日本の百貨店が買収される可能性は否定できない。