知識を習得するのは本、ビデオでほぼ事足りる時代。その時に必要なのは続ける力だ。
今日は近くの小田原の宗匠の初釜に参加した。3年ぶりの初釜で予習もロクにせず、ほとんど忘れていたにも拘らず、男子は私だけであり、正客を務めることになった。
案の定、ほぼ何もできず、隣に座ったベテランの生徒さん(ご自分も生徒をお持ちの先生)にご指導いただきながら、悪戦苦闘の懐石での御点前となった。
その時に隣のベテラン先生から教わったことは、何でも聞いたら良いと思うのは間違っていると。
自分で事前に予習するのは当たり前であり、またお稽古では勉強してきたなんていうことは絶対に言ってはいけないと。また先生から教えてもらう以外のことを色々と聞くものでもないと。
先生が指摘したことをいかに次に間違わないように覚えていくのかが大事だと。
お茶の心の基本は相手の気持ちをいかに慮るかということに尽きると教えていただいた。
私は確かにそうだなと感じた。先生の立場に立つと、色々なことができない初心者に色々言ってもできない。では、今できることを一つ一つクリアさせることが大事だと考えるのだろう。
そして、それを着実にマスターする生徒を見て、先生もまた教える気持ちが高まるということなのだ。それもできないのに、あれやこれやと聞くことは失礼に当たると。なるほどと思った。
また今日のお茶で感じたことは、知識、技術もさることながら、そういう学ぶ気持ちをどう自分が持ち続けるのかが学びには大切だと感じた。
厳しい指導だけでは、とても稽古は続かない。自分に強い気持ちがあれば良いが、なかなか難しい。今日も色々とご指導いただいたのは勉強にはなったが、よしもっと頑張ろうという気持ちには繋がりにくい部分もある。
こういう時に、慰めてくれる先輩や同僚がいればなあと感じた。
厳しい指導も大切だが、やはり励ますことも大切だなと。
そこで今、大阪で進めている子供向けのオンラインカルチャースクールにおいても、まずは生徒である、子供にそういう気持ちをどう持ってもらえるかが大切だと感じた。
知識、技術の前に子供達がオンラインで学びたいと思える環境を作り、そして学び続けたいと感じる仕掛け作りが大切だと。
やはり、ここでも前回のマーケティングの基本である、顧客は誰か、顧客は何に価値を持っているのかを問うということに繋がる。
そのためには凄い知識を持っている講師よりも、子供たちを引きつけることのできる先生というか、メンターが欠かせない。
講義の中身自体はそんなに変わらないが、その中で子供達を飽きさせない、楽しくさせて、またなぜ、なぜと聞きたくなるような講義というか授業こそが大切なのだと。
これは何も小学生だけでなく、全ての教育に当てはまるだろう。
私もオンラインでプログラミングコースを受講していたが、3ヶ月しか続かなかった。
継続する気持ちが萎えたのだ。もし、メンターがいたら、一緒に学ぶ仲間がいて、競争をしていたら変わっていただろう。
今の時代、オンライン上にはあらゆる情報がある。だから何かを学ぶにしても教材は色々ある。しかしそれをどう使いこなして、継続して続けることができるのかがポイントになる。
良きメンターと競う会う仲間の存在があれば、誰でも東大に入れるのではないだろうか。
しかし、私のお茶のレベルはいつになれば初心者から脱出できるのだろうか??
自ら学び続けたいという向上心はあっても慕い、尊敬出来るメンターに出会える事が出来ない人達は少なくないと思います。シニアの役割は貴重ですよね。