シンプルに生活することと道具をたくさん持つことのジレンマ
久しぶりの投稿です。
今月末にアメリカ人のグループが松風庵で茶道体験をされるので、HPでもお勧めしている本「WABI SABI」を読み返していました。これは外国人から見た、日本の侘び寂びをどう自分たちの生活に取り入れるかの方法を書いています。
筆者のポイントはミニマリズム、物質主義からの脱却と自然と共に生きるということになります。
それを茶道と結びつけながら説明しています。千利休の作り上げた侘び茶を例にとりながら、いかに一服のお茶で客人に喜んでもらうかを考えることが大切であり、そのためにはおもてなしの心で全てをまとめることが必要と。
読んでいて、あー納得と思うのですが、いざ、普通のお茶の世界に戻るとどうしても季節の道具でお点前をしなければいけないので、色々とお道具を揃えないといけません。毎月、毎週でも道具揃えは季節感を大事にすると変えなくてはいけません。
そうするとあれも買わないとこれも欲しいとなる。そうするとどんどん道具が増える。気がつくと物質主義の塊になっている自分がいます。
茶道の本質は侘び茶であり、お客様にいかに喜んでいただけるか、そしてその喜ばせ方が道具ではなく、お点前やおもてなしの心であるべきなんだと思いながらも、そうはなっていない茶道の現実を感じています。
こんなこと、外国の方に説明しても分かりにくいなあと思いながら、道具は何にしようと悩んでおります。
昨日お茶会のお手伝いに行ってきたんですが、お茶会ってやはりお客様はどんなお道具がみれるのかと期待されてくるんです。だから席主もそれに応えないといけない。なんかそこから変えないと侘び茶にはならないなあと。
でも来年、お茶会の席主やることになったんですが、どうしても道具は頑張らないとと思ってしまうんです。
茶道の世界は難しいです。