これは日本にとっていいことなのだろうか
ニトリの中間決算が発表され、巣篭もり消費の追い風もあり過去最高の利益を達成したらしい。来年度もこのペースで収益を向上させていくと似鳥社長は自信満々であった。
さてこのことを私たち、日本人は喜ぶべきなのか、どう考えればいいのだろう。
マーケティングの観点からいうと、顧客が欲しいものを提供する企業が売上を伸ばすことは当たり前だ。特に今の将来不安で節約志向になり、またお家での生活が増えている中で、高品質低価格のホームグッズは需要が高い。
ニトリの商品は確かに安い。しかし、その商品を一つ一つ見ていくと、決してお値段以上のモノばかりとも言えない。先日、エアウイーブのマットレスに非常によく似た敷き布団パッドをニトリで購入した。値段はエアウイーブの半分程度であった。
私は自分の家ではエアウイーブを使用しているが、最近大阪の実家に泊まることが増え、実家の敷き布団では寝にくいと感じたので、実家近くのニトリで同じような敷きパッドを見つけたのだ。
見て触った感じは同じようであり、値段も安く、購入したのだが、やはり寝心地は全然違っていた。良いものにはそれなりの値段の価値があるだなと実感した。
価格は確かに全ての消費者にとって大きな武器と言える。しかし、やはり使って感じる価値、品質に差が出るものは、後から大きな後悔というかショックを受ける。
良い例がアマゾンや楽天などの通販サイトで安物買いの銭失いを経験した時だ。
誰しも、通販サイトで安くて良さそうに見えるものをポチッとして衝動買いした経験があるだろう。そして届いてから想像していたものとは違い、そのままゴミ箱行きになったケースもあるのではないか。これは値段そのものが非常に安く、騙されるのを覚悟で買うというこちら側のリスクを十分考えての購買行動だ。
これは宝くじ、ロトを買うようなものだ。まあ外れても仕方ない。この値段で良いものが手に入ればラッキーと思えるからだろう。
このような宝くじ的買い物は通販サイトではよく見られる。
しかしニトリの場合は、実際に店頭でものを見て買うのである。だから、キッチン用品やホームグッズなど手にしてその品質が確認できるものは問題ないかもしれない。
しかし、実際に購入して何度か試さないとわからないものは難しい。
私の経験ではベッド、デスクなどの家具はイケアと同じで、デザインなど表面的には良いように見えるが、結局は数年で故障する可能性が大ではないかと思う。
昔、米国に留学した時に多くの生徒がイケアで家具や生活用品を揃えていた。見た目は良いが、すぐに潰れる。でも彼らには数年使えればそれで良いのである。学生時代に使えればそれで良いと。
家具も消耗品なのであった。割り切って買っていた。
若い世代にとって、インテリア家具も消耗品だとすればそれもありなのかと感じる。
しかし、アフターコロナではより環境にも配慮し、マクドナルドの紙袋のようにもらった瞬間にごみになるという使い捨てをやめて、捨てずに長く使うという考えがこれからにはぴったりだ。また家にいる時間が増える時こそ、生活クリオリティをあげるべきだと。
だとすると、これからの家での生活を大事にするならば、生活用品も良いものを長く使うという考え方が大事なのではないだろうか。
この考えに立つと、ユニクロ、ワークマンなども同じカテゴリーに入るかもしれない。
良いものは値段は高い。でもそれを長く使うことで、結果的には経済的にメリットのある暮らしができるのではないかと。いわゆるヨーロッパ型の消費スタイルだ。
マーケティングとはお客様の気持ちになり、その人がもっとも幸せになる生活スタイルを提案することではないだろうか。
だとすると、単に値段が安いということだけにフォーカスするのではなく、もっと生活そのものを考える提案が必要な気がする。高くても品質の良い、長持ちする商品をどう提案していくかが小売業には問われている。
そういう意味では私は無印良品が好きだ。彼らには哲学がある。ウエアでもあまり流行に左右されず、無印らしいシンプルでモダンなデザインになっている。
昔、20代のころ、コムデギャルソンが好きでよくスーツを買っていた。コムデギャルソンには」黒のスーツしかなかったけれど、毎年その黒の色が微妙に違っていた。また微妙にシルエット、デザインに変化があ利、それにとても魅了されていた。なんとなく、コムデギャルソンの世界観が好きだったのだ。
同じようなモノばかり着ていてはつまらないし、飽きてくる。でもその商品に哲学があれば満足できるのではないかと。
今の商品で哲学を感じるものは少ないように思える。哲学とは企業理念ということになるかもしれないが、そういうはっきりとしたメッセージのある商品、企業がこれからの時代には必要なのかもしれない。
どんどん商品を安くすることは一見良いように見えるが、物価は上がらず、デフレが続き、日本の経済はいつまで立ってもよくならないような気がする。