渋沢栄一にとっても老いるということは大きな問題だった
今、論語と算盤を学んでいる。一番手っ取り早いのは中田敦彦のYouTube大学を見るのが今時かもしれない。私も3部作となっている動画を2倍速で見たが、よくまとまっている。やはり、今の若者にはぴったりの学習方法だなと感じた。
これからは動画の時代であり、いつでも視聴できる動画こそがメディアの中心になるだろう。
しかし、今月還暦を迎える私と若者むけではこの本で刺さるところが微妙に異なる。
今日の話題は、第2章、立志と学問の中に出てくる、精神老衰の予防法ということだ。
つまり、いつの時代も青年は大事だが、老人も大事だということである。ただ、有用な老人は肉体は衰えても、精神は衰えることなく、日々進歩させていることが肝要だということである。
明治維新前の江戸時代に生まれ、大正時代まで生きた渋沢栄一が晩年の大正時代に今の世の中は昔に比べて、活力がないとか、青年はもっと勉強をすべきだとか、今のシニア世代が嘆いていることを書いているのをみて、人の考えというのはいつの時代も変わらないなと感じる。
そして、老人、まあいくつからを老人と定義すれば良いかわからないが、ここでは60歳以上とするならば、彼らにはどんな次の人生が待っているのであろう。
それを切り開くのは自分自身だと渋沢をこの本で説いている。
つまり、日々、自らを進歩させることが大切であり、そのためには自らの分相応な分野の中で、自分の強みを活かせるところに絞って毎日精進することだと説いている。高望みをすることはいけないと。
そして周りの人と比べるのではなく、自分のできること、得意なことを一生懸命やることで自ずと天命は下されると。
ただ、この天命はハッピーエンドだけではなはsiいと。自然の摂理の中で叶わないこともある。
10年前の東日本大震災で犠牲になった方達を思うと、彼らに何の落ち度もなかった。なのに命を落とすことになったことをどう考えればいいのかと悩んでしまう。
渋沢もこの論語と算盤を編集し始めたときは、もう80代であったと思う。大正時代の80歳は今で言えば、100歳近いであろう。
それでも世の中の役にどうすれば立つことができるのかを考えていたことは素晴らしいし、同時に自らを進歩させることの必要性と同時に行動をとっていたことが尊敬できるところだ。
最近の森元オリンピック会長の発言で老害という言葉が出ていたが、私は精神年齢というものは体力と関係なく維持できるものだと思う。
しかし、そのためには努力が必要であり、それを死ぬまで続けられるのかということが大きな課題だ。
引退というのは自分の人生においてはないのだと思う。
最後まで毎日、少しでも前を向いていきたい!
分相応に高望みせず得意なことを一生懸命やる。全くその通りですね!