K字経済ではLVMHをベンチマークする必要あり
日本には本当の意味での高級百貨店は存在しない。
昔、若い頃にニューヨークのブルーミングデールズに日本の百貨店の人間はよく行っていた。
当時は百貨店劇場論というのがあり、百貨店の売り場は舞台であり、販売員は演者であり、いかにお客様に感動と興奮、満足感を与えるのか、それを場の雰囲気と演者のサービスで実現するのだということであった。
その象徴がブルーミングデールであった。
特に年に数回開かれる海外展はそのスケールや買い付けた商品のバラエティさだけでなく、その国の文化なども提供されており、まさに文化を伝えるイベントであった。
そんな中、ブルーミングデールはNYで最高級の百貨店ではなかった。サックスやバーグドルフグッドマンの方がより富裕層を相手にしていた。
だからこそ、日本の百貨店にはブルーミングデールがぴったりだったかもしれない。
いまや、NYの百貨店もかつての勢いはなく、日本と同じような状況になっている。
しかし、今回パリでLVMHがオープンさせたサマリテーヌはこれからの百貨店の生きる道を示す一つの方向だろう。
詳しくは下記の日経の記事を読んでほしい。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGR24EYO0U1A620C2000000/
中流社会が終わりを告げている。特にコロナ後の社会でさらに貧富の差が激しくなるだろう。
いわば、欧米のようになると言うことだ。つまり、特定少数の富裕層と中流以下の大衆に分けられるのだ。だとすると、日本で今のような大衆を相手にしている小売店は必要とされない。
で、日本にはなくて海外にある百貨店は何か?
本当の富裕層を相手にした百貨店なのだ。
昔はこう言う百貨店は必要とされなかったし、そもそも日本の社会では受け入れられなかっただろう。しかし、コロナ後の社会は違う。
そして、最も大事なことはこれまでの百貨店の外商などのお客様は海外から比べると、大したお金持ちではなかったと言うことだ。
そもそも百貨店の外商顧客は医者、弁護士、資産家などの人たちで構成されている。しかし今の世の中で、資産を10億、100億と積み上げているのは30歳前後の若いIT世代、金融関係の世代だ。
彼らは普段、スーツを着ないし、欲しくもない。車もフェラーリとかに乗りたい人は少ない。
でもリシャールミルの時計はほしいのだ。最低でも1000万近くする時計で、自分のほしいモデルを気長に待つらしい。
こう言う新しい富裕層にとって居心地の良いサードプレイスになるのが今回のLVMHが目指しているサマルテーヌではないだろうか。
実際に私はこの目で見ていないので、なんとも言えないが新しい富裕層というのはコロナを境に多く生まれている。彼らにとってのサードプレイスづくりをどの小売業が仕掛けられるのか。
こういう店は日本にいくつも必要ない。例えば銀座のGINZA6も一つの事例だ。
この店の存在価値は銀座の中央通り、6丁目のど真ん中にあるからこそ、価値がある。だから同じコンセプトのお店はもう存在し得ない。
今必要なのはコロナ後に生まれた新富裕層のためのサードプレイスづくりだ。