1兆ドルコーチの肝は信頼と無欲

結局お金目当ての仕事、友達関係は長くは続かない

ビルのコーチとしての凄いところは、シリコンバレーでエンジニアでもなく、高学歴でもない彼が、フットボール上がりのコーチとして、いくつもの会社のCEOとして見事に成功した経験と自信がベースにあるからなのだろう。
そして、それをベースに基本、無給でコーチングを引き受けているからこそ、コーチを受ける側も信頼するんだと感じる。お金ではないのだ。


今、流行りのコーチングを見ると、結局コーチングのノウハウを身につけて、コーチとして独立している人が多いように感じる。事実、こういうコーチングビジネスがたくさん出ている。
この人たちはビルのように自分の経験を語ることで、相手を納得させることは難しいだろう。
また、やはりお金がベースであり、基本、お金を払ってくれたら誰でもコーチをするだろう。
ビルは違う。コーチをして良い人かどうかを見極めた上で、コーチを引き受ける。お金がベースではないのだ。

ビルのコーチングは信頼が全ての基本だ。彼は会社の全員をコーチングする上で、一人一人がチームとして機能しているか、チームのために貢献しているかに重きをおいている。

自分の会社人生を振り返って、特に役員時代、役員全員でワンチームで一つになっていたのかと思い返すと残念ながらそうではなかった。これは大きい会社なら、どこの会社でもそうなのかもしれない。結局、組織はチームとして機能しなければうまくは行かない。みんなそれは分かっているけれども、なぜそうならないのか。結局みんな、お金で動いていたのかもしれない。

昨日、TBSの半沢直樹を見ていて感じたのは、そこまでしてみんな会社の中で偉くなりたいのかなということだ。
最近、若い世代の人と話していると、そういう雰囲気は全く感じない。だから、彼らに半沢直樹はどいう映るのかを聞いてみたい。
昔のようなヒエラルキーの塊である大会社ではなく、フラットな組織であるベンチャー企業が人気が出ているのもこういうところではないかと感じる。

まずは、人のために、お客さまのためになることをする。お金になるかどうかはあとで考える。そう言われて会社で育ったつもりが、結局、取締役会では社外取締役、マーケットでは投資家からいくら儲かるのか、効率は良いのかばかり聞かれるのが実情だ。
まず、そこが変わってこないと会社は変わらないだろう。

あとは、一人一人がイキイキと楽しく、誇りを持って仕事をしているかだろう。
そういう組織で残された人生を過ごしてみたい。

1兆ドルコーチに思う

コーチングする上で大切なのは、伸びない人はコーチしないことってどういうこと?

今日からは今読んでいる「1兆ドルコーチ」について少し考えてみたい。
この本はアメフトのコーチから、優秀なプロ経営者となり、その後、スティーブジョブスやグーグルの会社をコーチングし、シリコンバレーでは伝説のコーチングプロとして有名なビルキャンベルの物語である。
この中には会社を経営をする上で大事なことやコーチングについて色々と書かれている。

会議の方法、特に取締役会の進め方は読んでいて、自らの経験を振り返るとなるほどと思えることがいくつもあった。
例えば、最終的には決めるのはCEOであり、それを他の取締役は尊重すべきだが、基本は全員が自由に意見を述べて論議できる雰囲気を作らなければいけない。またそのためにはCEOはある時はみんなの輪から一歩下がっていなければいけないと。

この話を読んで、星野リゾートの星野代表の経営スタイルを思い出した。
彼は大きな方針を自ら出すが、それ以降の大部分、特に個々のホテルでの経営については全員で決めるスタイルをとっている。テレビでその模様が出ていたが、とても自由な雰囲気の中で、かつ全員が真剣に討議していた。
やはりリーダーによって会社は変わるなと感じる。


若い頃、百貨店のお店のナンバー2である店次長にこう言われたことがある。
「いいか、藤野くん、覚えておきなさい。店長と店次長の差は店次長と新入社員の差よりも大きいんだよ」
当時はそんなことはないだろうと思った。
しかし、自分が店長になったときに、この言葉はなるほどと感じた。
また取締役になり、常務になった時も、社長と常務取締役の差は同じように取締役とマネジャーとの差よりも大きいと感じた。
これは私のいた会社の文化だったのかもしれないが、確かにリーダーという存在は組織の中では絶対であり、唯一のものなのである。それは百貨店の店長というのも、一国一城の主という意味ではある意味同じなのかもしれない。

今日の本題は、この中でビルがコーチをするときにコーチできる人材かどうか(本書では教えられる側の人間がコーチャブルな人)を見極めてからコーチをするということだ。
ビルが求めたコーチャブルな素質とは「正直さ」「謙虚さ」「諦めず努力を厭わない姿勢」「常に学ぼうとする意欲」である。確かにコーチはいかにその人の能力を伸ばすかだ仕事だが、相手が人のいうことを聞かない、努力をしなければいくらコーチしてもダメだし、やはり素養というかその人の能力そのものがなければいけない。

これを読んでいて、同じ話を思い出した。船井総合研究所の故船井幸雄の言葉だ。以前にも紹介したと思うが、彼が経営コンサルタントを引き受けるかどうかを判断する基準は相手の社長が「まじめ」「素直」「勉強熱心」であるかどうかである。
これはビルの求める資質と全く同じである。

私はこの中でも謙虚さ=素直であることが大事だと感じる。自分の経験でもやはり、会社に入り、それなりに結果も出してくると謙虚さがなくなってくる。また仕事への自信が過信、傲慢になってくることがある。私も少し反省しなければと思う。ビルは本書でコーチングの根底には人の価値は肩書きや職務ではなく、心の持ちようで決まるという。
人間、どう自分と向き合うのかを常に問わなければいけない。少しぐらい仕事がうまく行ったとか、収益をあげれたとか、マスコミに取り上げられたとか、講演に呼ばれたとかで、自分を過信してはいけない。常に謙虚に自らを戒めることが大切であり、そのためにコーチが存在するのではないかと。

これまではいいコーチには残念ながらあまり出会えなかった。これからの人生でいいコーチに巡り合えることを楽しみにしている!まあ自分がコーチとする年齢かもしれないが、まだまだ修行が足りないなあと感じる。

大衆食は世界を制することができるか?

東京ヴィーガン餃子が登場!

私の友人がこの度、東京ヴィーガン餃子を始めました。
https://tokyovegangyoza.com/ja/

この餃子は一切肉を使わずにヴィーガン対応(ヴィーガンは、ベジタリアニズムから生した分で、にとどまらず「生活から動物由来のものを排除しよう」という「全菜食義」(ヴィーガニズム)の考え方であるをしています。)
これを作ったのはSF在住の吉川さん。
なぜ餃子なのかと彼に聞くと、彼の子供さんが菜食主義者の中でもより厳しい規律をもつ、ヴィーガンになったそうで、家でのパーティではBBQなどがなかなかできなくなったと。特に食に対する関心の高いサンフランシスコではそうなのかと感じる。
それで、肉なし餃子ならどうかと、大豆でできた人工肉を使った餃子で試したところ、みんな大喜びしたそうでそれがきっかけのようだ。

吉川さんによれば、餃子は日本でも大衆食であるが、世界中で餃子とほぼ同じものが食べられている。しかしその起源や歴史はまだ整理されていないと。それを彼は紐解きながらも、これからのサステイナブルな社会で健康的に暮らすための大衆食として、餃子を世界に広めていきたいと考えている。

今、二子玉川で期間限定でショップを出されているが、残念ながらコロナの影響もあり、私はまだ食べていない。実際に食べた友人からはお世辞抜きに美味しいとのコメントをもらった。早く食べてみたい!

では、餃子のような大衆食で世界を制することはできるだろうか?
一般的に大衆食で味に差をつけることは難しいと私は考える。確かにたこ焼き、お好み焼き、ラーメンなどのお店で繁盛店があり、行列のできる店と美味しいとは思えない店はすぐにわかるものだ。
ただ、繁盛店だけでなく、意外と美味しいお店は結構ある。つまりある程度のレベルの味を越えれば生きていけるのも大衆食ではないだろうか。

これをマーケティングの視点で見ると、やはりセグメンテーションとターゲットと経験の回数ではないだろうか。
例えば、餃子を取りあえげると、私は大阪出身なので、王将の餃子に小さい頃からお世話になった。今でも王将の餃子を食べたいと思う時がある。ではこの王将の餃子の味は本当にずば抜けて美味いのかと聞かれると、そうとは思えない。
これは蓬莱の豚まんにも同じことが言える。

王将の餃子も、蓬莱の豚まんもターゲットはファミリーだ。誰が食べても美味しいと言える味を目指している。
かつて大丸東京店のデパ地下でNO1の売り上げを誇っていたお土産菓子「東京ばなな」の社長から、東京ばななの味の秘密を教えてもらったことがある。
東京ばななの味は東京出張で地元に帰った時に、お土産で買ってきた東京ばななをもらって食べた子供さん、職場の同僚、部下の人が、「うん、美味しかった、また食べたい」と言ってもらえる味を目指している。だからコストのかかる高級なクリームや材料は一切使っていない。高級なパティシエの味と競う必要はないと。

ターゲットは子供であり、普通の人なのだ。ターゲットを明確にしている。そう、大衆だ。
王将の餃子も蓬莱の豚まんもターゲットはファミリーだ。だからこそ、大衆食と言えるのではないか。
そして小さい時からの食の経験が味を脳の中に刷り込み、そして離れなくしている。チキンラーメン、カップヌードル、吉野家も大衆食と言えるのはそういうことではないだろうか。

そう考えると、私の友人の始めた東京ヴィーガン餃子は大衆食と言えるのだろうか。ヴィーガンというコンセプト自体がまだ日本では一般化していない。なのでターゲットは健康意識の高い人になるだろう。しかし、ここでのポイントは味と値段のバランスだ。
王将の餃子にしても、蓬莱の豚まんにししても間違いなく安い。だから、誰でも食べることができる。
東京ヴィーガン餃子は1個40円なので、大きさにもよるがリーズナブルと言える。
また、二子玉川という立地で最初に展開するのには、結構意識の高い人たちが集めるエリアであり、ニューファミリーをターゲットにするのはいいかも知れない。
あとは、味がどこまで多くの人にとって美味しいと言えるかどうかが、大衆食になるかどうかではないだろうか。
素材にこだわり、味付けなどにこだわると、子供たちの素朴なニーズにどこまで応えられるかになってくる。

私は東京ヴィーガン餃子が誰をターゲットにして、大衆食の位置付けなのかどうかも知らない。
ただ、みんなが気軽に楽しめて、みんなが美味しいと言える大衆食はどんどんでてきて欲しいし、それが日本から世界に拡大するのは楽しみです。
ガンバレ、東京ヴィーガン餃子!!

リベンジ消費は本物か?

大型家電は活況だが、車や百貨店は不振の意味するものは「言い訳できるストレス発散消費」だ

昨日の日経ではボーナスが減る中で、大型家電がよく売れており、リベンジ消費と報道されていた。高級な家電製品を求める若者などで賑わっているようだ。
アメリカや中国でもリベンジ消費として5月の小売の急回復を伝えている。アメリカではアパレル、家具、スポーツ用品の伸びが大きかったようだ。
一方で車や百貨店での動きは鈍い、特にアパレルの動きが悪い。これは顧客が消費を抑えようとしている現れなのだろうか。

私は全体として消費力そのものは落ちていないと考える。確かにコロナの影響で多くの人が職を失ったり、厳しい生活を余儀なくされているのが報道されているが、もともと、車、百貨店などの耐久消費財を買っているメインの層は中流階級であり、今の段階で中間層にコロナによる経済的ダメージが直接は及んでいないと考えらる。ただ、前回も話したが、このままだと多くの企業が連鎖的に苦境に陥り、中間層にまで失業が現実のものとなるだろう。

今、消費者、特に中流層以上は外出を控え、家でできるだけ過ごしている。だからお金は使っていない。しかしそんなに収入は減っていない。また国から10万円の給付金をもらった。結論として貯金は増えているのである。
だが、この先が見通せないので、使うべきかどうかを悩んでいる。これが実態だ。

今は家での生活が今はメインだ。だからこそ、家での生活に必要なものを買いかえることは罪悪感はない。家電は必需品なのだ。必要なものだから、冷蔵庫を買いかえる、でも少し良いモノにしたい。お金はある。だから思い切って高級家電にしてしまう。

私は高級家電はリベンジ消費ではないと考える。こういう時でもお金を使うことに罪悪感を覚えずに大金を出して、ストレス発散のために高級家電を買うという、「自分に言い訳のできるストレス発散消費」だと感じる。

こう考えると、今売れているモノの動きがわかりやすい。
家で必要な高級家電、健康のためのサプリ、健康器具、ウエア、料理をするための高級食材、ホームワーク用のパソコン関連商品などだ。高くても今、必要なんだからとなればお金は出す。医療機関でお金を払うのに罪悪感を持たないのと同じだ。

一方で、車はどうだろうか。もし今後の災難避難のために家の充電につい買える電気自動車なら、自分に言い訳できる消費にならないだろうか。高性能の電気自転車がよく売れているのもうなづける。通勤のために自転車を買うことには何の罪悪感もない。

今の消費者は自分に言い訳できるかどうかがポイントなのだ。
消費者はお金は持っている。でも使う気分にならない。使うのが怖いのだ。だから若者は投資を始めたりしている。

企業が今考えるべきことは、消費者が自分に言い訳でのできる商品、サービスをどう提案するかだ。
レストランでも、免疫力の高い食材などを中心にしたメニューの開発などをすることで外食をすることに自分で言い訳ができるのだ。

みんな、ストレス発散で遊びたい、パーっとお金を使いたい、美味しいモノも食べたいのだ。でもそれには言い訳が必要だ。

オンワード樫山とZOZOの提携が意味するものは

大量の失業者が出る予兆

昨日の新聞報道でオンワード樫山とZOZOとの提携が発表された。記事の中でこう書かれている。
オンワードは2020年3~5月期の最終損益は24億円の赤字(前年同期は16億円の黒字)に転落した。店舗数はこの2年間でほぼ半減の1600店舗になる見通しで、利用が伸びる電子商取引(EC)の強化は喫緊の課題だった。自前で利用者を増やすには限界があり、年間800万人の顧客を持つZOZOとの連携で集客力を高める。

この中で注目は今後2年間で1600店舗の店がなくなるということだ。これはオンワードだけの問題ではない。他のアパレルメーカーも同じ状況であり、三陽商会やワールドも同じ動きをするだろう。
そうなると全国で今後少なくとも5000店舗以上のアパレルのお店がなくなるということだ。
この秋から、噂では駅ビル、百貨店、ショッピングセンターからの大量退店が起きると囁かれている。
アパレルとしては、販売チャネルの拠点を店舗からネットに移行することで、生き残りを目指すのは当然である。

これまでの駅ビルや百貨店のドル箱はアパレルショップである。粗利益の高いアパレルが高い家賃、益率で入店してくいれた。食品、サービス業は人気があっても収益的には低い。だからこそ、オンワードと百貨店との蜜月は続いてきたのだ。
しかしコロナの影響で人が店舗に来なくなることで、店舗の販売チャネルとしての優位性が崩れてしまった。アパレルは生き残りのために退店せざるをえない。しかし、駅ビルなどはその代わりを見つけることは今の段階では厳しい。
恐らく、売り場を全て埋めるのが難しいのではないかと予想される。

ではどうなるのか。まずアパレル販売員の解雇が始まる。まずはアルバイトから、そして契約社員、そして正社員へと連鎖が広がる。その後、収益の落ちる駅ビル、百貨店は経費削減のために人件費の削減に向かう。これも同じく、アルバイトから正社員へと続く。

都心の店舗に人が集まらなくなれば、その店舗の価値は下がる。とすれば、家賃も下げなければいけない。しかし今の状況では多少の家賃を下げても、入居したい店は少ない。誰しもリアル店舗よりもネット販売に力を注ぐのが当たり前だ。

また、働く人たちも都心で恐怖と向き合いながら仕事をするよりも、郊外の安全な場所からテレワークで過ごしたいと思い始めている。そうすると人々は都心にはもう今のようには集まらない。消費はこれまでのように都心に集中することなく、ネットと郊外に移っていくだろう。
アマゾンは過去最高の株価を付けて急成長してつづけ、ニトリ、ワークマンなどがネット、郊外店舗で人気を集めている。

では、駅ビルや百貨店はどうすれば良いのか?
もともと、百貨店は少し贅沢をしたいという人をターゲットにハレのオケージョンに向けた商品に強かった。特に冠婚葬祭などや誕生日などの特別の日に使う、ラグジュアリーなお洋服、雑貨などで収益をあげてきた。
しかしそういうオケージョンニーズそのものが今、減ってきている。
例えば、婚約、結納、結婚式、両家の引き合わせなどでは色々な商品ニーズが生まれるが、それらが簡素化してしまい、改まった服などいらなくなっている。結婚式でフォーマルスーツを着ている若い男性は非常に少ない。

こういう中でも、人が集中的に集まる場所ではまだまだマーケットはあった。
しかし、これが郊外となるとマーケットが小さくなり、高級品マーケットは非常に小さくなり事業としては成立しない。
私の経験でも、郊外の地域ではデパ地下を主体にしたミニ百貨店は上手くいかなかった。都心でも三越恵比寿店も閉店になると聞く。
人が郊外に分散する中で、郊外での高級品マーケットの展開は成立しない。また、ちょっとハレの感覚の食料品も成立しない。

しかし、そうは言っても、ハレの消費をしたい人はいるし、その数自体は全国レベルで見れば、まだ減っていない。分散したに過ぎない。
ではその分散した消費者をどう集めるのか。それはまずはネットしかない。しかし、彼らを満足させる高級マーケットのオンラインサイトは存在していないのではないか。

確かにルミネ、マルイ、各百貨店がオンラインサイトを展開している。しかしそこのブランドとして際立つものがあるだろうか。ここで買うとアマゾンや楽天とは違う興奮、ワオと思えるものがあるだろうか。
サイトの構成、展開商品など全てにおいて、ブランドとしての完成度が低い。
思えば、店づくりを長年してきた私の目からすると、お店の改装には何億ものお金を毎年改装工事に費やしているのに、サイト制作、運営などにはあまりにもお金をかけないできた。またブランディングもしっかりとできなかった。

ZOZOの方がひょっとすると、百貨店のサイトで買うよりも高級感があるかもしれない。
結局、全てのお客様を気にするあまり、一般的で個性のない表現、ブランドでしかないのが今の百貨店と言える。

しかし、今問題なのは、この大量閉店により生み出される失業者をどう対応するかが一番である。
IT業界への転職というのは、若い世代であればまだ考えられるが、中高年では厳しい。

ヒントは郊外にある。なぜならマーケットが生まれるからだ。人が動くところにマーケットは生まれる。しかしそれは大きくはない。小さなマーケットを囲い込んでいくマーケティング戦略が必要だ。
私の住む、真鶴には東京から移住してきた若い夫婦が経営する、美味しいパン屋さんとピザ屋さんがある。どちらも繁盛している。これは一つのヒントと言える。
失業した中高年が都心でタクシーになるもの厳しいのが今のコロナ禍だ。

都心で活路を産むことを考えてはいけない。これからは郊外、田舎だ。ポイントはどこに人が動くかだ。そこにチャンスがある。

消費そのものは決してなくならない。分散するだけだ。

NEWシリーズ#6 コトラーのマーケティング4.0を斬る

デジタル化によりさらに高まる人間性の魅力

本書の第8章「ブランドの誘引力を高める人間中心のマーケティング」では、世の中がデジタル化し、多くのことを人間ではなく、機械がこなすようになればなるほど、人間はより人間らしいものを求めるようになると説いている。
これは全てが合理的、効率的に処理されてくるようになると、人間はどこかでゆとり、安らぎなどの感情的なものを求めるのである。
東大卒のエリートでなんでも出来るけれど、常に理屈ばかりで面白みのない人が組織のリーダーにはなり得ないだろう。
どこかに人間らしい魅力があることが、これからのデジタル社会ではさらに重要になる。

本書では他者を引きつける6つの人間的特性として、6つあげている。
身体的魅力、知性、社交性、感情性、パーソナビリティ、道徳性だ。


身体的魅力は企業で言えば、カッコよさである。製品、サービスのでざいん、品質、性能がクールかどうかである。

知性はその企業に新しい知識、アイデアを生み出す力があるかどうかである。

社交性は常に顧客と恐れずに対話できる覚悟があるかどうかである。トップ自らが恐れずに顧客と向き合う姿勢とも言える。

感情性は顧客の心に訴えて、それを他者に伝えたいと思わせるような企業、ブランドであるかどうかだ。これは企業にそのようなパッションがあるかどうかだ。

パーソナビリティは企業が自分の強み、弱みをしっかりと把握し、それを高めるための努力を続け、それを顧客にも明らかにしているかどうかである。人間力の強さは弱みを相手に見せることも大切なのである。

道徳性とは倫理的で、強い誠実さを備えていることをいう。まさしくコーポレートガバナンスである。企業として誠実に社会の一員として行動しているかどうかである。

このような人間的魅力を全て兼ね備えている人物をあげるとしたら、すぐに目に浮かぶだろうか?
でも企業なら意外に簡単と浮かぶのではと。
テスラ、アップル、グーグル、ヴァージンなどではないだろうか。結局は創業者とダブルかもしれないが。
残念ながら、日本の小売業で名前は浮かんでこない。

おそらく、ブランド、企業に人間性を持つためにはこれまでとは違うアプローチが必要なのではないかと。
つまりそれはヒエラルキーを基本にした企業組織の解体ではないかと。
自分もMBAの教育を受けた端くれとしては、経営のプロが多くの企業の中には少ないと感じる。MBAでも最終的には人間力だと私は感じた。頭の良い人だけならいくらでもいる。でもそれだけでは、経営はできない。
自分の経験でもマネジメントには王道はない。山登りのようなものでいくつもの道、手段がある。しかし、どのルートを取るにしても、チームは同じである。そのチームをどう作り、どう結束して困難に向かっていくのかは同じである。

一人で上記に述べた魅力を全て持たなくても、チームでそれが補完できれば問題ない。そのチームづくりこそが経営の肝のような気がしてならない。
日本の大企業はワンマン経営ができる創業者がいない会社がほとんどだ。だとすればチーム経営ができなければ会社は滅びる。
今こそ、苦難に立っている企業はチーム経営をすべきだし、そのための改革が必要だ。どうしても自分が社長になるとワンマン経営したくなるのだろう。そしてチームではなく、部下経営になってしまうのだ。

部下経営というのは、結局全員を自分よりも能力が低いと考えてしまうことだ。そして人は信用することができるかどうかではないだろうか。企業の中で信頼関係を作ることは本当に難しい。でもそれがなければ良いものはできない。
これは私の経験からも言える。そのための努力を企業人、特に上に立つ者はしっかりと認識するべきだろう。


最近、TVでジャパネットたかたのCM沢山見ません?

NEWシリーズ#5 コトラーのマーケティング4.0を斬る

最近、家にいることが多いので、いつもよりTVを見ている気がする。で、感じるのはジャパネットたかたのCM放送がやたらと目に付く。昨日はケルヒャーのスチームクリーナーをやっていた。最近、真鶴の家に一人でいるので、床掃除が気になっていて、フローリングの汚れ、網戸の汚れ、レンジ、コンロの汚れを一気に綺麗にしてくれるスチームクリーナーが気に入った。それで、私は放送を見ながらスマホでケルヒャー、スチームクリーナーとグーグル検索して、他で安く売っているところを探すことにした。
これがコトラーの本でも出でくるが、一般的な消費者の行動だ。情報をリアル店舗やTVなどいろんなところで集めて、最終的にはネットで一番安いところを探して購買するというものだ。
以前は百貨店などの小売店舗で問題になったショールーミングという現象だが、これがTV通販や雑誌広告でも同じことが起こっている。
一方で若者はwebルーミングといって、ネットで調べてから、実際に店舗で試着してから買うという購買行動も見られている。ネットと店舗の使い分けがますます複雑になっているのだ。

さて、ジャパネットのケースに戻ろう。私はどこが一番安いかを探そうとしたが、なかなか分からなかった。それはジャパネットの売り方にあった。スチームクリーナー本体はどこで買っても同じものだが、ジャパネットはオプションの付属品をオリジナル化しており、そのオプション製品が別で買うと15000円相当だと訴求している。しかし、そのオプションが本当に15000円なのかどうかが、ネットで調べても良く分からない。そしてセット価格が18800円と他のサイトと比べてもそんなに安くはないが、高いとも言えない。そして7月21日までの限定価格ということで早く買わないといけない気分になる。なかなかうまい販促だなと感じた。
https://www.japanet.co.jp/shopping/steam-cleaner/index.html?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=shamei&utm_term=steam-cleaner_shamei_kw&gclid=Cj0KCQjwoub3BRC6ARIsABGhnyZ0Fe9n353vdsA7m0nvVi9kKek0uTWXX_27wKkPIuTWqlMF06bt2bIaAryCEALw_wcB

ここでまずジャパネットたかたの基本戦略について考えてみよう。
ジャパネットのメインターゲットはシニアである。しかも、あまりITや技術には詳しくない人たちである。だから、チャネルはシニアが良く見る、新聞、チラシ、そしてTVなのである。今や、TVはシニアがメインのチャネルであり、だからTVでの販促が増えている。TVの広告宣伝費は昔に比べると相当安くなっている気がする。
そして、ジャパネットの特徴は顧客のお悩みをどう解決するかがメインとなっている。スチームクリーナーや高圧洗浄機などは、家の暮らしで気になっていることをシニアでも簡単に解決できるような提案にしているのである。
そして価格については、顧客がネットで他社と比較検討するのを前提にしたセット商品にしている。これはオリジナル商品に近い。事実、電子辞書などはシャープと共同開発としてオリジナルモデルを販売しているので、価格が安いのか高いのかがわかりにくい。
シニアはあまりネットで他社比較するという行動まではしないし、注文も電話が主流だ。ジャパネットは何とかネット注文に移行させたいと、ネット注文で5%オフを展開しているが、なかなかハードルは高いだろう。

このように、ジャパネットの戦略はシニアの生活におけるお悩み解決をメインにした展開を行い、そこから主婦を次のターゲットにしている。商品を売るのではなく、家の中での暮らしの悩みを解決するための提案を行うことを前面に出している。
この戦略は素晴らしいと言える。特にシニア層に向けての展開としては良く考えられている。

では今後はどうなのだろう。
私はこのままでは百貨店と同じ道を辿るような気がしてならない。コトラーはマーケティング4.0で、これからのターゲットは「若者、女性、ネチズン」であると述べている。
ジャパネットは若者はターゲットにしていないし、若者も全く興味がないだろう。また女性もミドルからシニアの主婦はターゲットになるが、トレンドを気にする独身女性などはターゲットにならない。ネットをメインにした人の集団であるネチズンもジャパネットは興味がない。ジャパネットのサイトは良く考えられてはいるが、どうしてもメインターゲットのシニアを意識したものにならざるをえない。

マーケティング戦略の基本はWHO,WHAT,HOWだ。誰に何をどの様に提案するかが明確でないといけない。明確にすればするほど、差別化になり、ブランディング化が成功する。
ジャパネットはこれまではシニアに向け、シニアのお悩みをわかりやすく伝えて、共感を得ながら、それを解決する商品、サービスを提案することで成功してきた。
しかし、これからのデジタル時代になり、若者、女性、ネチズンに向けた展開をどうしていくのかが大きな問題になってくるだろう。
きっと、社内ではすでにこの課題を認識し、解決策を模索しているところだろう。
これまでの創業者の高田社長の個性が強烈で、そのブランドが残っているとなかなか新しいターゲットに向けた展開は難しい。
これはアパレル企業でも同じことが言える。例えば、オンワード樫山ではいくつものブランドがターゲットごとにある。しかし、オンワードというブランド自体はやはり昔のイメージをひきづりやすい。しかし、若者向けのブランドにはオンワードであることをあまり気づかれない様にしている。同じ会社でもブランドごとにターゲットを変えることは出来る。
ジャパネットでもジャパネットではない、ブランドを使いながら、違う個性、特徴を出したネット販売が出来るかもしれない。こうした取り組みを早くしなければ、これからのデジタル社会では乗り遅れてしまう。

個性が強ければ強いほど、特徴化は出来るが、それを変えることは難しい。であるなら、新しいものを一から生み出す覚悟が必要なのかもしれない。

ジャパネットには創業者に代わる、ユーチューバーのような若者受けする、個性的な司会者が登場するネット番組が必要なのかも


これからは自分をどうブランディングするかだ!

NEWシリーズ#4 コトラーのマーケティング4.0を斬る

今日はコトラーのマーケティング4.0の第8章「ブランドの誘引力を高める人間中心のマーケティング」について考える。
この章でのポイントは「デジタル化が進む世界で、マーケティング4.0に移行すると人間を中心にすることの重要性はさらに高まる」ということだ。

本書ではブランドの魅力をさらに高めることであり、それはより人間的なものであると。それを本書では6つの特性で表現している。
身体的能力、知性、社交性、感情性、パーソナビリティ、道徳性の6つだ。どれも人間的な特徴であり、単に記憶力、計算能力、探索力、情報収集力など機械が得意なものではないものばかりだ。
本書では企業そのものがこういう人間的特徴を持たないといけないと、デジタル時代には顧客からの支持を得ることはできないと述べている。
つまり、裏方のシステムや仕組みはどんどんデジタル化するけれども、顧客へのサービス、訴求はより人間的な匂いのするものでなければいけないのだ。
これはやはりブランディング、つまり特徴、個性をどう企業に持たせるかである。

それは今はやりのSDGSとか、環境保護とかといったものではない。
いわば、俳優がもつ個性のようなものだ。誰しも好きな俳優がいるだろう。その理由はカッコがいいからとか、情熱的とか、人懐っこいしぐさとか色々あるだろう。
企業も同じだ。例えば、銀行、保険会社、百貨店などはどこも同じような品揃え、サービスであり、特徴がわかりにくい。しかし、アップル、テスラは違う。企業そのものに強烈な個性がある。その個性が今、全ての企業に求められているのではないだろうか。


今、中国語、英会話のレッスンを受けているが、本当に語学レッスンはいろんな会社が乱立している。よくつぶれないなあと思う。教育方法は昔のリアルの英会話学校からオンライン英会話がコスト面から、今は主流になってきるが、これはデジタル化をベースにした変化だと感じる。オンラインスクールは価格競争に終始しているように思える。
これからは、もっと個性が前面にでた語学スクールが求められるように感じる。
デジタルでの競争の次に来るのは個性だ、間違いない。

あと本書では、「多くのことがデジタル化でできるようになると、顧客はますます不安になる。そして、無意識のうちに自分のアイデンティティを探し求め、デジタルの世界で人間であるとどういうことかと自問するようになる」と説明している。
私の解釈では、デジタル社会になり、多くのことが人間ではなく、機械が取って代わるようになると、どんどん一体自分は何をすればいいのかとみんな不安になる。会計業務に人はいらなくなる。翻訳だって機械で十分という時代になるかも知れない。このように全ての業種、業態でいろんな仕事が人は必要なくなるかも知れない。
そういう時代になった時、人はどう生きればいいのか。

これも答えは同じだ。一人一人が個性を明確にするということだ。
これは頭がいいとか、記憶力がいいとか、分析が鋭いというような、デジタル的なものではなく、人間的な特徴を自分が持つかではないだろうか。
サラリーマンという職業はもっとも個性、特徴のない仕事だ。特に管理職になると何ができるのかも分からない。
弁護士でもどんな弁護士なのかが大切だ。
俳優で例えると、誰もが主役をすることはできない。脇役も必要だし、ヤクザ役しかできない俳優もいる。でもそういう個性がないと使ってもらえないのだ。
サラリーマンの世界でも、有名大学出て、そこそこ仕事もできるが、これといって特徴がない人はこれからのアフターコロナの時代には必要とされないだろう。でもみんな個性はあるのだ、気づいていない、伸ばしていないだけだ。

私も自分自身のブランディングを再度見直す時期にきていると感じている。
みなさんもぜひ、コロナ禍の時期に自分のブランディングを考えてみるのはどうだろうか。

アフターコロナの時代なんてわからないけど、人間はそんなに変わらないことを理解しよう!

NEWシリーズ#3 コトラーのマーケティング4.0を斬る

最近、アフターコロナの時代を解くとかの本がたくさん出ている。アマゾンと違ってリアルの本屋さんのいいところは立ち読みできるところだ。先日、東京に行ったときに本屋で有名な人が書いたコロナ本をいくつか読んだが、買う気にはならなかった。中身はあまりなくて、原理原則を書いているだけだった。タイトルに騙されて買う人は多いんだろうなと。
代わりに、一人で簡単にできるNHKの料理のテキストを買ってきた。これがなかなか優れものだ。昨日作ったのはナスの肉みそ蒸し煮だ。なかなかいける!リアルの本屋にも価値があると感じた瞬間だ。

リアルでしか発見できない体験をいかに作り出すかが小売店には求められている。意外な発見こそ、顧客にはワオなんだ!
テキストをパラパラとみるだけだが、おいしそうな料理があり、しかも簡単、テキスト代も500円ぐらい、思わず買ったのである。

さて、今日は今月になって2回目の電話インタビューをコンサル会社から受けた。今後の小売業、特に百貨店の将来ついてが議題だ。
なかなか話しにくいところもあるが、危機感と同時に可能性も指摘させていただいた。コロナとどう生きていくかなんて誰にも分らない。でも何か前提になるものがいる。しかし、私は結局、人の行動、気持ちはそんなに変わらないだろうと思っている。


インタビューを受けて感じるのは、今回のコトラーの本のなかにある、いかに顧客を購買する人から、購買を推奨してくれるファンづくりいかにしていくかだろうと。
コトラーは購買しなくても、その商品を推奨してくれる人をいかに作るかが大事だという。テスラをその例に挙げている。テスラを買える人はそう多くない。でもテスラはすごい、創業者のイーロン・マスクはすごいと推奨する人は多い。だからこそ、何か月待ってもテスラを注文するのだ。


本屋のケースで考えると、今は家で仕事をする人が多い。だとすると今まで料理をしなかったシングル世帯もやってみようかと思う。でも本格的にするのはちょっとと思う。そこをついて、一人暮らしの人向けの簡単にできるレシピ特集があればと思う。それも一人分はなかなか作りにくい。冷凍して後日食べるか、次の日は少しアレンジして違う料理に変化させる。この一連を一週間分にしてまとめてくれるといいなあと感じる。こういうイベントはリアルスペースのほうがインパクトがある。いろんな本を並べて、その中身をしっかりと見ることが出来るからだ。
これをしっかりとやると、またその本屋行ってみようと思う。次はどんなことをやってるかと。そこでネットでそのイベントの情報が分かれば最高だ。最終的にはリアルで、実際に本を手に取り中身をざっと見ることで好奇心が満たされる。これはアマゾンではできないことだ。

いかに顧客にワオと思わせるか。アマゾンでは体験できないことで。そこがキーポイントだ。
それができると、そのワオ体験を顧客は勝手にブログやSNSで配信してくれる。その流れをいかにつくるかがリアルの小売店の生き残る道だといえる。
その時のヒントはニッチだ。何かの時代の流れに沿ったもので、ニッチな領域でいいからそこで、特徴化できるサービスを作り、そこで良い評価を受けることを目指す。すると、そこからファンが生まれ、そのファンが自然とコミュニティを作ってくれるのだ。そしてそのファンと一緒に次のニッチを探していけばよいのだ。その積み重ねが、幾層にも重なりオリジナルのロールケーキが生まれる。

この戦術はなにも新しくも何でもない。ファンづくりのための一手法に過ぎない。しかし、旧来型のマーケティングはどうしても上から目線的にターゲットを決め、そのプロファイルを仮定したうえで、販促手法を選んできたのである。目線は顧客と同じではなかった。これからは顧客と同じ目線で、仮説や前提に縛られない柔軟な対応が求められる。
これを専門家はリーンなマーケティングとかMVPとかいいうが、まあ、難しい話をしてもしょうがない。ポイントはいかにファンを作るきっかけになるワオ体験をリアルとネットで実現するかだ。

だからこそ、カスタマージャーニーは重要だ。顧客が今どんな思いで生活し、どんな暮らしをして、何に興味があり、何を重要視しているかを探ることだ。そしてその中から、リアルでしかできないことを探り出して、ネットを使いながら実現すれば、アマゾンなんて怖くもないのだ。

Retail is Detail
なんだとつくづく思う。

病院が空いてる!

コロナショックは田舎の病院に大打撃

昨日、湯河原のローカル病院に義母を連れて行ってきた。急に具合が悪くなったので診察に連れて行ったのだが、それが信じられないほど空いていた。
いつもなら30人くらいの年配の患者さんが占拠している待合室には数人いる程度だった。
診察もすぐにできたし、血液検査、エコー、CT、心電図などがあっという間に全部できたのだ。これは今までなら予約しないとすぐにはできなかったし、検査結果も普通は後日なのにすぐに教えるという。検査結果も医師から直接詳しく説明があった。

待合でいた老人の女性が先生に「病院に来るのは怖くて、来れないし、電車もまだ乗ったことない」と嘆いていた。先生は「病院はそんなに危なくないですよ。街のレストランとかと変わりません」というと「レストランなんて怖くて入れない」と。先生も本当に暇そうにしており、私たちの診察のあとも、ロビーでウロウロしているので義母が検査をしたりしている時に根掘り葉掘り聞くことができて私としては満足であった。

ターゲットが老人の病院、特に田舎では、特に経営的に厳しいのではないかと感じた。こういう病院は検査機器は十分ではなく、少し症状が思いと大きい病院に行ってもらうしかない。こういう病院のターゲットは慢性疾患の老人に向けたメンテナンス病院なのである。だから今のコロナショックでは不要不急の症状では老人は病院には来ない。

重い病気以外は病院に行かないことは、社会保険料の低減に繋がるので、財政面では国としては助かるだろう。一方で病院側の経営はどうなんだろうと考えてしまう。老人はコロナは致命的な病気となるため、多くの人は家で過ごしている。しかしこのままだと、地方、田舎の開業医、ローカル病院は経営危機に陥るだろう。それは間違いなく、医療レベルの低下になる。今でも私の家から今回の病院まで車で10分はかかる。徒歩圏内にクリニックはない。
これから地方移住が進む中で、この医療体制をどう考えるかも大きな問題になるだろう。

でも世界レベルで見ると医者の数は少ないのが日本だ。コロナ後に医療体制を国はしっかりと考える必要があるだろう。

マーケティング的に見れば、近くの熱海、湯河原の温泉を使った療法で治療する病院は特徴があるので人気だが、やはり検査機器がなければどうしようもない。若い医者が顔色をみて症状を判断することはほとんどない。

あとビックリしたのは昨日の医師は私への説明で義母の肝臓の症状を説明するために使った画像はパソコンからグーグルで取り出した肝臓の画像だった。一番説明しやすいのをセレクトして説明してくれた。もはや医療現場でもグーグルなしではやっていけないんだなと改めて感じた。デジタル化はここまで進んできたなと。

まずは病気にならないことに尽きる。健康が一番だ。