シリーズ#05 コトラーのリテール4.0を読み解く

UX,ユーザーエクスペリエンス、顧客体験って、どれも新しい言葉だけど、みんな同じ。
所詮、顧客第一主義の言い換えに過ぎない

今日は日本オムニチャネル協会という所の無料ウエビナー(ZOOMを使ったセミナー)に参加した。元セブンイレブンCTOの鈴木さんが主催している協会だそうだ。コロナの後、これからの小売業はどう生きればいいのかを論議するものであった。
Facebookで集客を行い、ZOOMを使い1200名近くの聴衆が参加した。
最終的にはこの協会への参加を募るものであったが、無料としてはとても有意義であった。

私の妻がコンサルティング会社を5年ほど前に立ち上げて、クライアント募集のためのセミナーを頻繁に開いた時の経験を聞いたことがある。無料セミナーに来る人の大半はシニア世代でこういうセミナーで時間を潰している人が多かったと。彼女はそういう人をセミナーおじさんと呼んでいた。だから無料セミナーは絶対にしないほうが良いと私に警鐘を鳴らしていた。セミナー開催のために会議室を借り、その募集の為のチラシを印刷し、郵送、メールでこれまでの会社関係の人に送ったりするなど相当の費用がかかる。しかし、その集められる人員は会議室の規模(100名以下)が限界である。
しかし、今日のセミナーでは会議室は必要なく、チラシの印刷も要らない。コストはZOOMへの登録費用とFacebookでの広告だけである。それで1200名の潜在顧客を集めた。
時代は本当に変わったと感じる。
またゲストスピーカーも全員リモート出演であり、コストがかからない。今回はそこそこ有名な方ばかりだったので、1200名を超える聴衆が集まったように、うまく著名人をゲストで参加してもらえれば、Facebookで集めるフックになる。
これが、今のマーケティングだなと。
でも冷静に見ると、やってることの本質はな何も変わらない。そこがマーケティングの面白い所である。

このセミナーの中での論議で印象に残ったのは、コロナ前から課題になっていることが、今回のコロナで一気に吹き出したということであった。つまり、あまり課題は変わっていないと言うことだ。
オムニチャネルと言いながらも、マルチチャネルにしかなっておらず、ユーザーエクスペリエンスが十分でない小売業が苦しんでいると。
そして、デジタルと言うものはこれからは電気と同じようなものになる。電気がない世界を誰も今は想像しないように、今後はデジタルがインフラになり、その時に小売ではオンライン、オフラインとかを分けて考えること自体がナンセンスになるだろうと言うことであった。
で、大事なのはいかにお客様の目線に立って、顧客体験をいかにストレスなく満足していただけるようにするかだと。

これって、別にコロナの前でも10年前でも同じ話だと感じないだろうか?
本質はいかに、顧客の声を聞き、顧客を裏切らず、すぐに対応し、顧客の期待をいかに超えるものを提供するかである。

私が若い時に感銘を受けた本がある。ウオルマートの創業者、サムウオルトンが書いた「Made in America」である。
その中に彼はこう書いている。
Exceed your customer’s expectations. If you do, they’ll come back over and over. Give them what they want – and a little more.
訳:あなたのお客様の期待を超えることをしなさい。そうすれば、お客様はまた来てくださる、そしてその時に彼らの欲しいものを提供するのだ、そうすれもっと来てくれるようになる

で商売の基本は何も変わっていない。ただそのやり方、データ収集、分析が違うだけである。やはりセミナーを聞いていて、現場の感覚をなくすとダメだと感じた。
ともすると、コンサルタントは現場と言っても、現場の社員とデータに目が行きがちだ。実際に現場で顧客の声を聴く時間は取っていない。
これからのコンサルタントは現場で実際に声を聞くことも大事ではないだろうか。顧客アンケートを読んで、現場に指示を出しているのは小売のリーダーではない。
大事なのは顧客の生の声を聞くことだ。なじみの販売員や社員の所に頻繁に通い、忖度された声で満足している役員をこれまで多く見てきた。

セミナーでもリアルとネットの融合について論議があった。だが、これもコロナ前からの議題である。何も目新しいことではない。顧客の生活はコロナで変わる。どこまで変わるかはまだわからない。しかしコロナともに、感染を正しく恐れながらも、楽しく生活する為に、何がストレスに なっているのか、それを突き止めて、それを改善することが企業の役割であろう。
前回取り上げた、ZOOMなどのリモート会議が生活スタイルを大きく変えることは間違いない。そして、それによって増える需要と減るものがある。
こういうことを丹念に調べて行くことが、小売のマーケティングである。


私は1995年の阪神大震災の時、大丸梅田店の営業企画部門に勤務していた。神戸店はほぼ倒壊に近い被害を受けたが、幸い梅田店は大きな被害はなく、すぐに営業を続けた。
その時に思い出されるのが、実際に自分の足で現地を調査した経験だ。震災後1週間で電車は芦屋駅までは開通した。それで、芦屋駅から徒歩で三宮の神戸店までを目指しながら、その途中の小売店舗では何が売られているのかを実地調査した。これは梅田店に多くの被災者の方が買い物に来られていたからだが、実際にお店へのご要望だけでなく、今後何が必要なのかを調べるためであった。

今コロナでは、百貨店は不要不急の店となっているが、当時の梅田店には毎朝、尼崎方面から歩いて梅田店に来られ、パン、水、生活用品を求める方が大勢いらっしゃった。日々、復旧に合わせて、刻々と変わるニーズ、ウオンツに対応することが求められた。
同じことが2011年の東日本大震災でも経験した。この時は店長としての役割であったが、本当にいろんなことを学んだ。不要不急の店でも、ないといけないと感じたのはこの時だ。初めて東北新幹線が復旧し、福島から買い物に来られたお客様は東京の百貨店で買い物をする喜びを本当に喜んでおられた。福島という過酷な現実から離れて、百貨店というハレの空間での買い物ができるというのがどれほどその人の精神的な癒しになるのかということを感じた。百貨店にもまだまだ役割はあると思った瞬間だ。

さて、このように顧客の声を聞くことの大切さは同じであるが、やはりデータの量は凄まじい勢いで増えているのである。実際に百貨店でも昔からPOSを導入して、データを集めてきたが、うまく活用できていない。
ここに大きな問題があったし、今もその呪縛から逃げれていない。
データは石油と同じだと、リテール4.0では説いている。
確かに原油はそのままでは何も使えない。それを精製して石油という形にしないと活用できないのである。
データもそうだ。目的に合わせて、データを収集し、分析して活用する。それが大事だ。
しかし、これまではそうとは違ったように思える。システム会社からの提案や米国からの事例を紹介されて、こんなことができる、こんなデータがわかるということが先になってきたのではないか。
つまり、原油を何の目的かを明確にしないまま、精製してきたのである。
データはこれからは生活の基本になるだろう。コロナではデータをうまく活用した台湾、韓国が封じ込めに成功している。


小売業の置かれている環境では、オンライン企業はそもそもデータをベースに事業モデルができており、詳細なデータが取れる。しかしそれが店舗となるとうまく統合ができていない。
店舗主体の小売では中途半端なデータしか取れていない。特に店舗型小売では、何がどれだけ売れたかを調べるためにデータを使い出したのだ。オンラインではもともと、誰が、何を、いつ、どんなタイミングで、いくら買ったかまでを把握できるのである。

データをどう使うかについてはさらに深く掘り下げるべきだが、今、ここで大事なことは、何のためにデータを集めるのかを明確にしないまま、システムだけを作ってはいけない。
いわゆる、システム屋さんに暴走させない組織づくりでもある。

大事なのはあくまでも中心はお客さまに喜んでいただくために何が必要なのか、何が足りないのかをきちんと理解することだ。サムウオルトンが生きていたら、どう言うんだろう??


シリーズ#04 コトラーのリテール4.0を読み解く

コロナでさらに変わるカスタマージャーニー

マーケティングの世界では横文字がみんな好きである。理由は単純、そのほうがカッコいいから。その時代の流行り文句みたいなのがあり、みんなそれ使っては「俺はすごいマーケターだ」とか言っていた。そういう学者とかを私の大学時代の恩師(慶應大学、堀田一善名誉教授)は嫌い、マーケティングをなんとか経済学のような理論として認められないかという研究(マーケティング学説史)をされていた。私もその影響を受けて、会社のマーケティング戦略でも、少し理屈っぽいところが残ったのかもしれない。


カスタマージャーニー(P34)という言葉は昔はあまり聞かなかった。これは顧客がどういう風に最終的に特定のサービス、商品を購買決定していくのかを辿ることで顧客の購買行動を分析し、そしてその段階ごとに顧客にどうアプローチしていくかを考えることである。私の時代では消費者行動論という授業であったと記憶している。
簡単に言えば、どうしたら、自分の商品をお客様に買ってもらえるようになるかを、顧客がどう行動するかを最初から考えて行こうというものである。
まず最初の顧客と商品の接点は、インターネット以前の世界では、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌というメディアが全盛であった。
私のいた百貨店では、80−90年代は新聞と折り込みチラシ広告が最も重要なメディアツールであった。だが、今ではほとんどその広告を見ることはない。それは多くの人、特に若者が新聞を読まなくなってきたからだ。また雑誌も大きな影響力を持っていた。anan、ノンノなどの女性雑誌などが代表例だ。
この時代、情報は一方通行であり、今のような即時性はなかった。つまり、情報はゆっくりと売り手から買い手へと流れていた。顧客にとっては売り手やメディアの情報が全てであり、それを確かめる術を持っていなかった。これを情報の非対称性という。

つまり、顧客は情報をもとに購買するかどうかを決めていくわけであるが、昔はその情報は非常に少なく、顧客には全く知り得ないモノであった。
だから、限られた情報発信源である、小売店、メディア、広告などに頼ってきたのがこれまでの購買の流れである。
確かに口コミや友人からのオススメというのも昔から存在してきた。しかしこれも情報の拡散は直接あって話をするとか、電話などに限られてきた。
少ない情報をもつ消費者に多くの情報を持つ、メーカー、小売業者がメディアを使いながら、情報提供をしながら購買に誘導してきたのである。

しかし、今はインターネットの時代である。なんでもグーグルにきけば教えてくれる。またメディアも日本だけでなく、世界の情報がリアルタイムで無料で手に入る。最近、私がジョギングの最中に聞くのはシンガポールのCNAのラジオ放送だ。いくらでも情報は溢れているのだ。だから若者はテレビ、新聞が必要ないのである。若者世代にはSNSは情報収集と情報発信の両方を兼ね備えている、すごい存在だ。これがカスタマージャーニーを複雑にしているのだ。
しかし、シニア世代にはテレビ、新聞はまだまだ欠かせないものである。

このように、色々な世代が色々なチャネルを通して、情報を収集し、モノやサービスを買っていくのである。
そして今はSNS全盛時代であり、ビジネスにおいてはテレビよりもSNSに広告を出した方が良いという時代になってきた。だから顧客とメーカーの持つ情報量は対等になってきた。そして、一部では顧客の方がはるかに多くの情報を持っていたりする。メーカーは顧客に教えてもらわないといけなくなってきたのである。なんとも難しいカスタマージャーニーになってきた。つまり、一方通行ではなく、相互に情報交換をしながら、人それぞれに情報を操作しながら、思い思いの購買が行われていく。それを昔のようにコントロールするのは難しくなってきたのである。

そして今、コロナがやってきたのである。みんなが一斉にテレビ会議を使い始めた。そしてそれを仕事だけでなく、オンライン飲み会などプライベートでも使い始めてきたのである。そのすごさは、これまで以上に多くの情報が集まるということである。オンライン飲み会をした人は経験があると思うが、これまでなかなか、物理的には会えなかった人も参加できるようになって、さらに場が盛り上がったことである。これまでは地方や海外にいて東京で集まっての飲み会には参加できなかったけど、オンライン飲み会ならどこにいても参加できる。
またオンラインでの集まりが増えることで、これまでなかなか参加しづらかったようなテーマの集まりにも参加できるようになる。私も最近、若者のSNS事情を聞くイベントに参加して、とても有意義であった。
このように、テレビ会議システムがコロナによって、新たなチャネルとなったのである。そしてそれはとても大きな情報収集力と同時に発信力を持つことになるだろう。

今後のカスタマージャーニーを考える上で、リテール4.0では「新しいカスタマージャーニーはもはや固定的な漏斗型ではなく、顧客はその道筋において、必ずしも全ての段階を通り抜けるのではない」と述べている。また「このプロセスにおいて店舗は需要な分岐点となる」とも述べており、これまでとは違う店舗の役割定義が必要だと説いている。
まだまだ、店舗ビジネスは大切だということをこの本では説いており、しかしその役割が変わらないといけないと。

とすると、やはり、この顧客はそもそもどんな人なのかを考えることが大切という話になるのである。これを今はペルソナと呼び、象徴的な人物像を明確にすることが大切であると述べている。
これは伝統的なSTP(セグメンテーション、ターゲティング、ポジショニング)であり、さらに顧客像を明確にすればさらにどうアプローチすれば良いかがわかってくる。
だから、あまり昔とアプローチ手法は変わらない。変わったのは情報の発信源が多様化したということではないか。
メーカー、小売、消費者の情報における役割が変わってきたことをしっかりと認識しないといけない。


さて、40年前からマーケティングと関わってきた者として、残念なことは昔の本は全く役にたたないことだ。理由は多くの文献がその時代の社会変化、顧客変化のみに焦点をあてて、表面的な議論のみに終始していたからであろう。コトラーのマーケティング原理も30年前の本は使えない。なぜなら、原理原則の解説となる事例にインターネットの世界はないからだ。今読むとやはり古いなあ、いや、懐かしいなあということにしかならない。
しかし、マーケティングの原理原則は大きくは変わらない。対象となる人間そのものはそんなに変わってないからだ。
コトラーの本は多くがわかりやすい事例をもとに、原理原則の説明がなされている。だから、余計に古い本は使えないのである。

前にも述べたが、2500年前の孔子の教え、論語は今でも読み続けられているのがその証拠だ。
ということは、まず大切なことは顧客の持つ、ニーズ、ウオンツは大きくは変わらない。ただ、それは時代とともに、ラジオからテレビへ、そしてパソコン、スマートフォンと変化はするが、顧客の基本的な感情や価値観などはそう変わらないのである。
つまり、我々マーケティングに携わる者は抑えるべきは、時代は変わっても顧客の基本的な価値観、生き方はそう大きくは変わらない。しかし、社会の変化とともに、そのニーズ、ウオンツは変化してくる。
コトラー先生の偉大さは、その事例のわかりやすさである。

シリーズ#03 コトラーのリテール4.0を読み解く

消費者はどんどん進んでいくのに、会社はぜんぜん進まない!

このコロナでデジタル化がさらに加速している。そのハブはスマートフォンであろう。このもともとは電話だったらしい、このデバイスで今や、銀行の振込、送金からテレビ会議、ビデオ鑑賞、ランニング記録などあらゆることをこなしてくれる、そばになくてはならない存在だ。
このスマートフォンがコロナ対策でも韓国、台湾では大活躍している。シンガポールでも政府からのアプリを登録することで、全ての人の行動履歴を把握し、もし感染者がでたら、その人の行動履歴をチェックして、その人と接触していたら、瞬時に濃厚接触者と分かるようになっている。
これを日本では個人のプライバシーが侵されるだのと議論になり、とてもそういうことはできないだろう。しかし、グローバルに見ればそれが普通なのである。日本だけが違う常識を持っているのではないだろうか。

例えば、少し話は違うが、アメリカで今、感染者が日本よりも多く増えているのに、経済を再開させている。これに日本では疑問の声が上がっている。確かにそうであろう。でもそれは日本の常識である。
アメリカという国は常にどこかの国と戦争状態にあり、毎日、戦場では兵士が亡くなっている。今、コロナとの戦争をしている時に、犠牲者が出るのはしょうがないと思えるのがアメリカという国ではないだろうか。
日本は戦後、自衛隊は一度も戦争状態になったこともなく、海外派遣でも一人も亡くなっていない。もし亡くなっていたら、大変な事になる。
でもアメリカは中東で何千人も亡くなっているのだ。戦争というのはそういうものである。
ヨーロッパでも私は同じ常識、コモンセンスがあるのではないかと思う。
多少の犠牲者が出ても、それ以外の大多数の生活を守るというのが戦争のやり方であり、アメリカは常にそうしている。
日本の島国文化であろう。

私は日本もそうすべきとは思わない。しかし常識というものはこれだけ違うのだということは認識すべきではないだろうか。常識なんてものはそもそも普遍のものなんてありはしない。

ドイツでの失業者への現金給付が素早いのもドイツが国として豊かであるというだけではないのではないだろうか。ドイツでも、アメリカでもシンガポールでも、一人一人に納税番号が付与されており、それを常にチェックされる。
それはまたプライバシーの侵害と日本ではなるが、それを全員が認知しているからこそ、今回でもその番号で素早く、個人を特定して、その指定先口座に現金が振り込まれるのである。確かに行政のデジタル化が進んでいない日本という面もあるがそこに問題があるのであって、政府を糾弾するならそこではないかと。
マイナンバー制度はこれを狙ったものだが、この仕組み自体があまりにも消費者にわかりにくい、しかも手続きが面倒という、顧客ファーストではなく、霞ヶ関ファーストの仕組みに問題があったのである。
いわゆるなんでもこのカード一つで個人の管理を済ませてしまえるという行政の狙いが見え見えだったのではないだろうか。

リテール4.0の中ではインターネットと常につながっているスマートフォンを常に持ち歩く消費者が今、ゲームのルールを変えている(p11)と述べている。そしてこのコンタクト性とリアルタイム性が今までにないものだということである。また消費者は企業から情報をもらう立場ではなく、共に対話する対等な関係になっている。
そして消費者はSNSを駆使して、情報を取集、分析し、それをまた自分のこととして発信するのである。ちょうど、今私がしているように。

消費者はあらゆるところで情報にアクセスしてくる。これまでのように、買い物に行く前に調べるというだけではなく、買い物中でも、食事中でも調べたり、情報交換したりしている。その流れにそった対話を企業ができなければ、消費者は満足しない、それをまた発信してしまう。

私はNetflixをよく見るが、PCでも、TVでも、スマートフォンでも同じところから続きが見れるし、それが電車でもどこでも見れる。映画を続きから見るのに何のストレスもない。このことが当たり前になってきているのだ。

前にも話したが、今の進んだ若者はSNSをいくつも使いこなし、また一つのSNSだけで独自のアカウントを複数作成して、プライベート用、仕事用、趣味用などと分けている。彼らにはTVも新聞も必要ない。
毎日、朝、数種の新聞を読み、NHKを見て情報を収集することが日本の大企業の役員の常識と思っている人は危ない。

消費者はどんどん前に進んでいる。しかも若者の速度は早い。そしてそれについていける大人は少ない。
この間、異世代交流会を主催している方からの言葉が印象的であった。
「今の20代の若者と付き合う方法はいかにフラットな関係でいられるか」ですよと。
会社の上下関係は当然あるとしても、今までとは違う、フラットな関係が必要だ。これは企業と消費者にも当てはまる。

以前、百貨店の店長時代にしたかったのに出来なかったことを思い出す。
お中元、お歳暮の時には催事場でギフトセンターを開設して、注文を承るのだが、私は店長になるまではいつもほぼ20年以上毎年、応援者としてお客様から受注業務を行なっていた。その時にいろんなお客様の声をいただいた。生の声であり、とても参考になった。昔、自分が若かったころ、受注していたら、送り主の名前が当時の社長の名前だった。ハット気づき、いつもお世話になっておりますとお話したら、その倍以上に丁寧にいつも主人がお世話になっておりますと話されて、流石に社長夫人は違うなあと感じた。その時、社長が誰に送っていたかは思い出せないが。
で、店長になった時に、やはり自分でも受注をしてお客様に話を聞こうとすると、部下に猛反対された。
もし、私がミスをしたら、誰が謝りに行くんですかと。私が謝って済まなかったら、社長になるんですよと諭されました。それで、断念したんですが、今思えばやるべきだったなと。そうやって、経営陣と現場は離れていく。
顧客とフラットになる。まさにトランプ大統領のツイッターだ。これをやっている大企業の社長はいるのだろうか。

これからの時代はデジタル社会だが、本ではデジタルは電気のようなものだ(p15)と表現している。見えないインフラとして製品、サービスに活力を与えるものだと。確かにそうだなと。だとすると、IT技術者に会社の未来を託してはいけないのではないかと。会社の未来を作るのはお客さま、消費者なんだ。それに一番近いところで顧客と一緒に進みながら、顧客の期待を超える製品、サービスを提供するのが大事で、そのためにどうデジタルを使うかだと。

スティーブジョブスの有名な話。彼はノートパソコンのCPUを冷却するための冷却ファンがうるさくて、クールではないとなくすように技術者に要求した。その当時の技術では不可能と思われていたが、ジョブスは全く聞かなかった。そしてイノベーションが生まれた。クールなMacBookが産まれたのである。
技術が生活をよくするのだが、技術そのものだけでは生活は良くならない、それを理解しないといけない。

シリーズ#02 コトラーのリテール4.0を読み解く

コロナでますますグローバル化が進む!

多くの人がアフターコロナの世界を予測している。誰もが答えを持っていないだろう。だからこそ、色々な意見が出ている。
そこで私も社会の変化で一つ予測をしたい。

コロナ後、自国第一主義の動きがさらに出てくるだろうという意見もあるが、それはサプライチェーンの見直しをはじめとする徹底したビジネスモデルの効率化の見直しであろう。


私はさらにグローバル化が進むと予測している。それはリモートワークの普及がさらに進み、会社への出勤だけでなく、海外へ出張しなくてもコミュニケーションが出来るようになってきたということである。
つまりオンラインコミュニケーションが大きく生活を変えるということだ。


例えば、リテールの世界、特にラグジュアリーの世界では、年に2回の展示会に直接現地、パリ、ミラノ、NYなどに行き、直接商談を進めることが重要とされてきた。そのために多くの時間と経費を使ってきた。
また私も経験があるが、パリの本社の意向で急な戦略転換を百貨店のある店舗に要求されるケースが時々ある。
こういう時には担当役員もしくは社長が直接パリまで行って交渉するというのがもっとも有効であるとされてきた。でもすぐには行けないということでうまく行かないケースがあった。この辺りは伊勢丹の機動力は凄かったと記憶している。
でもこれからはパリに行かなくても、ZOOMを使って交渉すれば、済むのではないだろうか。
このオンライン会議がコモディティ化することで、物理的な移動は少なくなることが予想される。そのためビジネス需要としてのエアラインの移動は減ってくると予想される。

一方で、オンラインで会議をするためには、その前提としてやはり交渉担当は英語ができないとどうしようもないということになるだろう。ZOOMで通訳を会しては厳しい。
海外の相手と直接話す機会がこれからは飛躍的に増える。つまり会議はもう国内だけでなく、世界中でどこでもいつでも出来るのである。
これは大手の戦略コンサルティング会社では当たり前のことであるが、これが多くの企業で一般化するのである。

物理的な距離というのは物流などにおいては縮まることはないが、会議を始めとするコミュニケーション距離は圧倒的に差がなくなる。
これをうまく使える会社と使えない会社では大きな差が出るだろう。

人々も生活もこのオンラインコニュニケーションの普及によって、さらにグローバル化が進むだろう。その時にこれを使える人と、使えない人では大きなネットワーク、知識、視野の差がついてしまう。
日本のメディアはどうしても国内中心になる。これはシンガポールにいてTVを見るとよくわかる。英語圏で暮らすことはやはり違うんだなと。
また中国CCTVの英語放送を見ると、いかに中国がアフリカを重要な地域と考えているのかが分かる。本当にいろんなアフリカ地域に中国は進出しているのである。このような国際感覚を日本のメディアでは持つことができない。

とすると、若い世代はもちろん、ミドル世代も英語の勉強をすることが大事ではないか。ポケトークでビジネスは多少できても、ビジネスでもっとも大切な信頼関係は作れないだろう。

コトラーのリテール4.0を読み解く

これから数回に渡って、コトラーのリテール4.0を読み解きながら、これからの世の中はどう変わるのか、消費者はどう変わるのか、インバウンド需要はどうなるのか、小売業はどう変わるのか、マーケティングはどう変わるのかなどをみていきながら、最後に提言を出していく。


まずはリテール4.0を読んだ感想から。
この本の提言は主に10の原則をベースに書かれているが、それ自体はそんなに目新しいものではない。ただ、その原則を今の実務担当者がどう理解し、どう評価しているのを見ることが出来る構成になっているので、さらに理解が深まると言って良いだろう。
そして、この提言はコロナショックを受けても、なんら修正を必要とするところがない。つまり良くポイントを捉えているということだ。
一つあるとすれば、この本では3-5年後にどうなっているかという予測があるが、これは3-5ヶ月後と読み替える必要がある。

ある識者によると、コロナによって、これまではあと10年かかるだろうと言われてきた、社会、消費者変化が10ヶ月でやってくると。そうすると企業の仕組み、ビジネスモデルも同じように急速に変化を求められる。


特に企業においては、この急速な環境変化に対応できる、自由で大胆な発想が特に求められる。そのような発想が今の経営陣で、なし得るのだろうかというのが私の率直な感想である。この本にある10の原則を忠実に成し遂げるためには多くのチャレンジが求められるが、それを今の経営組織が許してくれるのだろうか。短期的な利益と投資家の顔色を見ながらのWILLが感じられない経営者が伝統的な大企業に多数いると感じるし、事実そうであろう。
先日NHKで放送された日本電産の永守会長のインタビューを見て、こういう人こそ年齢に関係がなく、情熱が消えない優れた経営者だなと感じた。

今の政府と大阪府の動きを見ても同じことが言えるのではないだろうか。吉村大阪府知事はこれまでの常識にとらわれることなく、新しい試みを矢継ぎ早に出している。それを府民が支持する。昔の橋下知事と同じことである。
一方で政府は全体のバランスを取ることが第一であり、そこに自民党の意見、公明党の意見を交え、そして有識者会議を隠れ蓑にしながら、全体最適の政策を出してくる。これでは誰もが喜ばない対策しか出てこない。そして野党がそれをほじくり返して、批判する。いつもの日本の政治である。
それは確かにこれまでであれば、致し方のないことかもしれない。


だが、今、世界を見れば、日本のような生ぬるい政策を出している先進国は少数である。
誰が今のシンガポールの感染爆発を知っているのだろうかと。そしてその問題が国の成長を支えてきた根源的な問題に繋がっていることを。


多くが安倍首相のリーダーシップ力を批判する。確かにそれもある。でもおそらくは今の政治体制であれば、誰が首相をやっていても同じことしかできないのではないか。
全体の仕組み、以前にもブログに書いた、社会デザインシステムという考え方を持ちながら、どう仕組みとして社会を変えていくのかという視点がなければ、人を変えても何も変わらないのである。
大阪府は橋下徹が維新の会で大きく府民の気持ちを変え、大阪府と大阪市の組織も変え、そして政治でも維新の会で主導権を取っているからこそ、今の吉村知事は成果を出せているのである。やはり、若さは今、大事ではないだろうか。
今、注目されている政治家は北海道、大阪の知事である。東京都の小池知事にその若さが感じられない。それではこの時間のないこの時には難しいかもしれない。

今日の論点は5年はかかると思われていたことを私たちはこの半年でやり遂げなければいけない。その時にどういう体制でやるのかということが社会、個人、そして企業にも求められているのである。
その認識を持つことがスタートである。

9600円のステーキ弁当がなぜ売れたのか?

2012年秋に大丸東京店が増床オープンした時、地下のデパ地下の目玉商品の一つがミート矢澤の出店でした。もともと、五反田のお店で人気だったハンバーグをメインにしたお弁当のお店を出店していただきました。
その時のコンセプトはお客様の五感に訴える店づくりでした。いわゆる店内厨房で目の前で調理をすることで、視覚、嗅覚、熱、音、雰囲気などを感じてもらえるような仕掛けをしました。
特にお肉の細道と名付けた場所には有名な叙々苑にも出店してもらいました。

その中でミート矢澤の目玉弁当が9600円のステーキ弁当でした。みなさん、弁当に1万円近くも出します??
出しませんよね、普通。でもこれがよく売れたんです。確かに一番人気はハンバーグ弁当1600円でした。でもステーキ弁当も1日20食近く売れていたんじゃないかな。
なんで売れたんでしょう?確かにテレビでも取り上げられましたし、話題ということで買っていった人も多かったと思います。
私は大丸東京店のデパ地下の弁当売り場だからこそ売れたんだと思います。事実、他の百貨店でこんな高級な弁当は売っていませんし、売っても売れないでしょう。
では、なぜ東京店のデパ地下だと売れるのでしょう?

答えは多くの新幹線の乗り場に近いからだと思った人が多いでしょう。そうです、半分は当たりです。でもだとすると品川駅でも売れるんではないですか?東北新幹線だと大宮駅でも売れるでしょうね。
でも売れません。すると、みなさん、いや、乗降客数の数が違うんだよっていうかも知れません。
確かにそれもあります。

私の分析は、東京店のデパ地下の弁当売り場はブランド化しており、ここで買う弁当はうまいというイメージを刷り込まれた人が相当数いて、そのメインは東海道新幹線のビジネス客だということです。
店長している時に良く聞いた話は、電通などでは新入社員の時に出張で大阪に行くときは必ず大丸の地下で弁当を買ってから新幹線に行くように。決してキオスクで弁当は買うなと、教えられたそうです。
今では東京駅の地下も綺麗になり、相当追い上げられていますので、そのブランド力は陰ってきたかもしれませんが。。

でも、それだからと言って、9600円の弁当が売れる理由にはなりませんよね。でもここからがポイントなんです。
大阪に出張で行く、ビジネスマンが弁当買う時の気分ってどんな感じでしょう?なんとなく、ハレの気分になってるんですよね。今は2時間半ですが、それでもこの2時間半をゆっくりと過ごしたい、ちょっと特別な気分を味わいたいと思う人が結構いらっしゃるんです。そういう時によし、今日はちょっと贅沢しようとなるんです。
だから昔から、3000円前後のうなぎ弁当はよく売れました。またシニアの方には3000円前後の握り寿司が売れるんです。
でもこのステーキ弁当は9600円、これまでの高級弁当の3倍の値段です。なかなか手は出ないですよね。
でもこう考えてください。ステーキ屋さんに行って、美味しいステーキを食べたらいくらになります?1万円はしますよね。でもなかなかステーキ屋さんに一人では行かないでしょ。しかも、このステーキ弁当のステーキはたっぷり入っていて、しかも注文してから焼くので出来立てが食べれる。
どうです、ハレのこの機会に飲みに行ったと思って、食べてみようかって気になりません。この気分をアゲアゲにできるのは東京駅ならではなんです。伊豆とかに旅行に行くグループなんか見ていると、すごい感じました。
これが一つのメインターゲットです。

次のターゲットはギフト需要なんです。
例えば、東京駅の周りのオフィスビルの人たちも結構昼のランチでお弁当を買ってくれます。でもデイリーユースでこの弁当は売れません。ハレの弁当ってなんでしょう?そうお誕生日プレゼントになりません?また結構ニーズとしてあるのが、退職などの記念品です。こういうのも東京駅にあるデパ地下ならではですね。

最後に家族へのハレのお土産です。家族の記念にこのステーキ弁当を買って、家で親子4人で分けながら食べるそうなんです。これも普通なら、肉屋さんでステーキ買って焼けばいいんじゃないのってことですが、これもハレの気分を味わう、つまり、絶対普通なら買わない9600円の弁当を食べるというハレの感覚が大切なんです。

デパ地下の強みはハレの気分を味わえること。そして、来られるお客様のニーズ、ウオンツに合わせて、少し冒険、チャレンジをしてみたくなるような仕掛けづくりをして、日常の中に非日常をうまく取り入れてもらうことが成功の秘訣です。
東京駅ならではの立地、来られるお客様の特徴を生かしたからこそ、成立した9600円のステーキ弁当です。
私、東京店長4年ちょっとやりましたけど、9600円弁当は1回しか食べれてません(悲)しかも自腹です、当然。
個人的には1600円のハンバーグ弁当の方が完成度は高いと思います。これは結構食べてます!
ぜひ食べたことない人は東京駅に行ったときに買ってください!
http://kuroge-wagyu.com/my/daimaru/daimaru.html
ちなみに値段は今、ちょっと値上がりしてます。悪しからず。。。

永遠のプチ贅沢、高級食パン!

先日、友人からちょっと相談みたいなことがありました。彼の友人で食パンの販売をして成功しているお店が昨今のコロナの影響で厳しい売り上げになったため、WEB通販にも乗り出したが、あまり経験がないのでプロの助言が欲しいらしいと。
私のいた百貨店はWEB通販には乗り遅れていましたので、そんなに成功体験はありませんが、失敗体験は売るほどありますので、アドバイスくらいは出来るかと思っています。まあ機会があればですがね・・・

でもこのお店、ネットで調べたら凄い人気店なんです。しかもサイトもよくできていると。まあそれなりに改善点はあるとは思いますが、私がアドバイスすることなんてあるのかなあと。多分私の出る幕はなさそうです。
あずきの食パンは絶品との友人が言ってましたので、一度買ってみようかと。ちなみにお店のURLは以下です。
https://www.shokupan-azuki.jp/
どなたか、食べたことあるんではないですか?
いたら感想を教えてください!!

このお店もそうですが、今、食パンブームですよね。
でもこれって昔からあるんですよね。
私が大丸梅田店にいた頃ですから、もう30年ぐらい前の話ですが、その時にその当時の役員の紹介で導入したのが、雅というデニッシュ食パンでした。今でもそこそこ売れていると思います。昔は百貨店ルートだけで販売していましたが、今はそれ以外のチャネルを中心に展開しているようです。
https://www.miyabipan.com/product-cat/danish
この時は行列ができて、大人気でした。
でも、必ずこういう商品って、人気が急速に上がれば上がるほど、落ち込む時間も急激に早いんです。

今のコロナの感染者の推移に似ています。急速に人気が出ると、お店はそれに合わせて供給体制を強化します。でも最初の人気でリピーターがどこまで継続するかがポイントです。やはり行列ができてるから価値があるんです。ここでしか買えないという不自由さが顧客にかえって買いに行かなきゃと思わせるんです。
だから供給体制を増やし、他の百貨店や駅ビルから出店要請に応えて、お店を増やす、そしてWEBでも売るようになると、だんだんとその商品の価値は落ちていくんです。
そして、人気が一段落すると、需要が落ちてしまい、しかし工場を増やして供給が過多になり、経営が厳しくなるという負のスパイラルに陥ります。
だから、今の日本のコロナ感染者対策のように、あまり供給体制(コロナ的には特別な治療体制)を増やさずに需要の山(コロナ的には感染者です)を急激にあげることなく、なだらかにした方が長期的に人気も保てるし、利益面でいいという訳です。まあ、コロナ的には治療体制の強化は絶対やらないといけませんがね。

そういう意味では私の家の近くにあるパン屋さんはすごく人気ですが、支店も出さず、通販もしてますが、こじんまりとやってます。どうしても食べたくなった時にはお店に行って並びますが、並んでいる人は遠くから買いに来ています。すごいですよ、その執念たるや。
今は、並んだり、買うときに濃厚接触になるので行ってませんがね。
ちなみにお店の名前はブレッド&サーカスです。
http://www.breadandcircusjapan.com/index.html
この店の食パンには度肝を抜かされました。
それまでは妻があまり食パンを好まないので、いつもバゲットとかカンパーニュを買っていたのですが、今はコロナで一人暮らしなので、試しに買ってみたらびっくり!!
確かにお値段は1斤730円と高いですが、まあプチ贅沢としてデイリーにでも買えるギリギリではないでしょうか。

このプチ贅沢のポイントは、デイリーで買えるかどうかです。
前述のデニッシュ食パンはデイリーでは難しい値段設定でした。
良く私たちは、ハレとケという使い方をしますが、百貨店はハレの場であり、ケ、つまり日常とは違うという買い物なんだというのが一般的です。
ただ難しいのは、食パンでもハレの食パンにするか、デイリーの食パンなのかというのは、対象とする顧客でも変わってくるでしょう。
この辺が商売の面白いところです。

ちなみに私は今、湯河原のブレッド&サーカスにはなかなか行きずらいので、近くにある東京から移住してきた若い夫婦がやってる、秋日和というパン屋さんで食パン買うようになりました。
1斤350円とまずまずのお値段です。
味もなかなかです!
https://www.asahi.com/and_w/20200114/1199780/
真鶴に来たらお試しあれ!

原点回帰

なんだか、久しぶりに大学時代、お金がない時によく作っていたコロッケ丼が食べたくなって作りました。
見た目はカツ丼にしか見えませんが、味はやはりコロッケです。
大学時代、家の近くの肉屋さんでコロッケひとつを揚げてもらい、それを家に持って帰り、玉ねぎと卵で簡単に作りました。安くてボリュームもあるというなかなかの自信作です。

人間には原点に戻る時が必要だし、必ずそいう時ってみんなあるんだと思います。
自粛生活の今は、みんなにとって原点回帰の時かも知れませんね。
自分がしてきたことを振り返り、そしてこれからのことを考える。
コロッケ丼って私にぴったりかも知れません。たこ焼き、お好み焼きで育って自分にとって、カツ丼は関東のモノって感じです。大学で東京にきた時に、美味しいカツ丼は蕎麦屋さんで食べるしかなかったです。蕎麦屋さんは大阪にないですからね。所詮、高級な料理は私には似合わないのかも。

コロナウイルスで消費者も今から原点回帰の生活になる気がします。
これまでのファッション、ライフスタイルが原点回帰するのではと。若い世代はもともと、シンプル&モダンになってっきています。まあナチュラル志向と言っても良いかも知れませんが。
都会から田舎暮らしになり、そして生活もシンプルに、そして食生活も素材を生かしたシンプルなものになってきそうです。とすると、フランス料理のような手の込んだものよりはイタリア料理のような、わかりやすいモノが好まれるのではと。アレルギーのある人は特に使ってる食材がわかるイタリアンを好みますよね。
新しいものを追い求めるよりも、昔流行った、懐かしい味を求めたり、古き良き時代を思い出すということが出てくるかも知れません。
でもデジタルがベースにはなるでしょう。間違いなく。

シンプルだけど、自分らしさを表現しながら、虚勢を貼らずに、自然体で生きていく、大事なのはお金ではなく、家族、仲間との関係性。
子供の頃って、そうだったような気がします。

リセットする力

シンガポールで知り合った友人からメールで「コロナを機会に人生と見つめ直す時間にします」と。まあここまでは普通なんですが、「それで私、2022年に世界一周計画を立てることにしました」と。
私はガツーンときました。
いやあ、想像もしなかったなあと。確かにそういう考え方があるなと。
これって、人生のリセットですよね。彼女は決して若くはないんですが、本当にパワフルで前向きだなあと。人生の行き方を勉強させてもらいました。

一方で飲食店などを経営している友人は現在の状況を嘆きながらも、常に前を向いていて、新しいメニュー開発や、6月からの販促メニューを検討しています。でも実際はこの数ヶ月の資金繰りで頭の中はいっぱいなんだろうなと。
でも、彼の中では今をリセットしようとしているんです。

このように、人にはリセットする力があるんです。でもそれをうまくできないでいる人もいます。
その違いは何でしょうか?
経済学用語にサンクコストという考えがあります。これは簡単にいうと、ある目的のために費やしてきた時間、お金を勿体無いと思うあまり、この先うまく行かないと思っていても、中々スパッとやめれずにズルズルとそのままの状態でやってしまうことを言います。
東京オリンピックなんて完全にサンクコスト化してますね。
莫大なコストと時間をかけているので、今、これを中止するとなると連鎖倒産がすごいことになるから、絶対に中止にはできないと。でも来年に延期するだけでも、悪影響を受ける人はすでにいっぱいいます。もし、これで来年もオリンピックがコロナ収束が全世界で終わらなかったらどうなるんでしょう?
政府はある意味、ギャンブル的に1年延期させてますね。誰かが言ってましたが、オリンピック前にワクチンが開発されなければ、多分開催はできないだろうと。

まあ、オリンピックをリセットする力を持っている人は日本にはいないというのが今の現実なんでしょう。様々な関係者がいて、これまでに投資したお金を無駄にせず、そしてアスリートの気持ちもくみながら、軟着陸させるというのは難しいです。これこそ政治決断しかない。間違いなく、批判されます。
これができる人は世界ではトランプさんぐらいかも知れませんね。

さて、リセットする力に必要なのは、いかにサンクコスト、個人で言えば、それまでの成功体験、努力、プライド、自信などを捨てるのではなく、一旦ゼロとして考える力です。
例えるなら、車のトリップメーターを5万キロだったのを、ゼロにしてこれまで走ってきたことを忘れることです。まあそうは言っても完全に忘れることはできません。でも、そうすることで新しい知識や経験を再度自分の頭の中に入れるスペースを作ることなんだと。

私もシンガポールに移り住んだことで、これまでには知り合えなかった人に出会うことができました。私はシンガポールで人生をリセットしたんです。でもリセットすることは自分一人でできたとしても、それを持続させるには仲間の力が必要かと。それは家族であり、昔からの友人であり、そして新しく出来た友人です。このような仲間がいてこそ、リセットが継続できるんです。減量みたいなもんですね。一旦痩せても、仲間のあと押しないがないとすぐにリバウンドする人かな。
私も、時々リバウンドしてリセット前の自分を思い出したりしてしまいます。でもリセットするチカラを仲間からもらい、だんだんとそういうことも少なくなってきました。
私はリセットする力の溢れている友人を見習って、いつでもリセットできる人間でありたいと思っています。

皆さんも、今こそリセットしてみませんか!!


遊ぶ力

自粛生活も1ヶ月を過ぎて、流石にみなさん、疲れてきましたね。
最近はテレビでもお家でキャンプとか、バーチャル遊園地など様々なアイデアでお家で遊んでいる様子が見られます。
人間って、遊ぶ力がないと生きていけないんだなと感じます。

では遊ぶ力って何でしょう。
個人的には遊ぶとは何にでも、そのことを愉しむことができるかどうかの力なんではないかと。

仕事でも遊ぶことはできるんではないかと思います。理詰めで物事を決めるだけではなく、ちょっと違う視点を入れて一旦、バラバラにしてからもう一度考えるとかです。例えば、経営判断をする時に、役員クラスのおじさんたちだけで決める前に、若手から意見を自由に聞くという時間を持つということです。これっていらないと言えばそうですよね、またこれは企業秘密の最高レベルだから、情報漏洩の恐れがあるなんてとにかく保守的な会社はそうなります。で、結局何も遊べずにまあ、今まで通りに物事は決まって行くんです。で、うまく行かない。


アイリスオーヤマがこの時期でも好業績をあげています。その理由は実質創業者の大山会長が毎週月曜日に新製品検討会に出席して、その場で判断をして決める。そのスピード感と会長のマーケットを見る力があるからでしょう。だから他社に先駆けてすぐに消費者の求める商品を作れるのです。一度この場面をテレビで見たことがありますが、緊張感の中にも会長に遊び心があるなと思いました。やはり、創業者ならではのカリスマがそうさせているのでしょう。オーナー経営の良いところなんだなと。

あなたは今、人生を遊んでいますか?
人生は川に例えられます。上流から流れ出て、最後に海に出て終わりです。その間、狭くて険しい急流もあったり、平坦で流れのほとんどない箇所もあります。その川下りをしていく中で、自分はその場面、場面をどう遊ぶのか。
遊ぶ力、つまり遊び心のがないと人生はつまらないものになるのではないでしょうか?
川下りで途中の場面に合わせて、遊ぶことなしに黙々と下に流れることに集中する人って、面白いですかね。つまらない人生ですよね。

折角の川下り、私はいろんなところで場面に合わせて、遊びたいです。
そのためには常に、遊び心をもつ余裕というか、姿勢が必要ではないかと。

企業で言えば、川下りの船頭さんが社長かも知れません。もっとも早く、川下にいくだけではなく、ちょっと寄り道しながら、みんなを愉しませて、そして場面場面で見せ場を作りながら船を降らせていく。そんな社長さんにあんまり会ったことないなあと。

コロナの後は、企業も個人もこの川下りの方法が変わってくる、いや変えないといけないと思います。
そのためには遊ぶ力を身につけましょう!
私は遊ぶ事が多すぎるので、選択と集中しないといけません(反省)