最近、茶道にできるだけ時間を割いてお点前を勉強している。また股関節の手術のリハビリもひと段落したので、居合道も再開した。
いつも思うのだが、余計な部分に力が入るとうまくいかないものだ。茶道の先生には頭で覚えるのではなく、体で覚えこませるのだと。そうでない綺麗なお点前はできないと。そのためには反復練習しかないと言われる。
家で帛紗のチリ打ちを練習するのだがなかなかうまくいかないし、これだけやるのは正直億劫にある。しかしこれが大事なんだなあと最近思えるようになってきた。
というのも、今年の初めに友人を招いて、初めて我が家の茶室(二畳台目の小間)で初釜の茶事を亭主として行った。この時のことを思い出すと身体に覚えていないことは全くできなかった。それだけ茶事ではお茶をふるまう以外にやらなければいけないことがたくさんあり、余裕が全くなかったからだ。
お稽古場でもそうだ。今日はこういうお点前かと予習してきたものとは全く違うお点前だと、もうそれだけで緊張してしまう。
この余裕というものは、力を抜く=自然体から生まれるものだ。
だからこそ、家で自分1人で予習、復習が必要だとつくづく思う。
試験勉強でも自分なりに自信の持てるレベルまで勉強すれば、少しは自然体で試験に臨めるが、そうでなければやはり、不安がいっぱいなままでうまくいかないことが多い。
これはウインドサーフィンでも同じだ。波と風を操りながらするスポーツがウインドサーフィンだが、自然相手のスポーツではコンディションが自分の力量以上にすぐになったりする。強風になると怖気付いてしまって体が緊張してうまくセイルを操作できなくなる。
今習っている中国語もそうだ。事前に自分で音読をした文章だと、先生の前でもある程度自信を持って話せる。しかし、うっかり予習をしていないと、わかっていたはずの単語すら読めなくなってしまう。
水泳のクロールも同じ。力を入れすぎるとすぐ疲れるし、呼吸も一定のリズムでしないと、すぐに苦しくなる。
対人関係もそうかもしれない。仕事で初めて会う人とは、事前に相手のことを調べておけば、話のネタも見つけられるし、余裕が生まれる。
結論としては力の抜くためには、どこかで目一杯予習や復習をしておくということなのだろう。だからこそ努力が大切ということなのかもしれない。
個人的にはゴルフだけはどうもこの予習、復習がうまくできないし、やる気がおこらないのはなぜなんだろうと。。。