伝える力

最近、NewsPicksを読むようになりました。最近流行ってますよね。あとFBでもいろんな方がコロナの後どうなるかを議論しておられます。それを読んでいて、あーちょっと何言ってるのか難しいなと思ったこと、皆さんありません?
その議論の中身云々ではなくて、その伝え方にちょっと疑問を感じています。
なんとなく、多くの人が虚勢を張るかのように、難しい言葉とか、専門用語を多用している気がしてなりません。

新進気鋭の若手の学者の多くの記事は難しいというか、よくわかりません。私が不勉強なのかも知れませんが。専門用語を多用し、横文字をいっぱい入れて文章って、格好良いなあとは正直思います。そして、それを理解して、それに賛成、反対の議論をするのはもっとカッコイイでしょう。でもそれってみんなに伝わってるんでしょうか?
私はいくら自分の考えていることが正しくて、崇高であっても、理解してくれる人がいなければそれは単なる自己満足ですよね。
人間、かっこよく見せた方が気持ちが良いのかなと思います。私もこれから自分で事業をしていく立場としては、自分をもっと魅力的な人間として売り込む必要はあるのかなと思っています。でもそれが専門用語使って、カッコよく喋るのとは違うでしょう。特にIT系の人にこういうタイプが多いかと。

だから、シンプルなメッセージだけのTwitterが人気なのかも知れません。トランプ大統領の伝える力は凄いです!
中身はともかく、わかりやすい、誰でもわかります。

安倍首相も国会答弁で9月入学について、もっと「前広に」議論すべきだという発言をしました。あるコメンテーターがこれこそ、霞ヶ関の役人言葉であり、総理は役人の用意した文をそのまま読んだだけと批判していました。
確かに、みなさん、前広にって使います??
これが使うって人もいるんでしょうね。知識階級っていうんですか、それとも学のある人なら使うってことでしょうか?

民主主義の世の中って、そんな美しい世の中ではないと思います。世の中いろんな人がいます。非常事態宣言が出ても、沖縄に遊びに行くし、パチンコ屋さんにも行く人がいます。そういう人たちがいるのを前提として、権力ではなく、言葉で、今の重要性を伝える力が求められています。
誰にでもわかりやすく、そして力のある言葉を伝える力が今求められているのではないでしょうか?

そのためには、どれだけわかりやすく、事例を使って説明できるかです。
誰でも知ってるような出来事、事件などを使って、言いたいことを説明するのが伝える力の源泉だと私は思っています。
サルでもわかるシリーズの本が人気でしたよね、またマンガで読むドラッカーとか、やっぱりそういうのが大切だと思うんですよね。
吉本新喜劇で勉強するマクロ経済学とかあったら良いなと個人的には思うんですけど、どうですかね???



繋がる力

昨晩、異世代交流会の分科会であるSNS分科会に参加しました。
20代の若者がSNSをどう使いこなしているかを勉強させてもらいました。
ゲストスピーカーは3人でしたが、やはり2人は家にテレビがないと。ショック!!
思ったのは、テレビって双方向チャネルじゃないんですよね。だから若者には人気がないんだろうって。テレビ会社もあと10年経つと衰退産業ですね。


さて、驚いたことに一人の女性はTwitterのアカウントを一人で8つ持って、それを使いこなしているということなんです。
それ以外にもいろんなSNSを駆使して、いろんな人と繋がっているんですよね。その数はすごいです。だからSNSを全部チェックするだけで一日が終わるので、毎日チェックするのと時々するとかを整理しているそうです。


SNSの凄さは繋がる力だと思うんです。これまででは考えられなかったスピードと範囲でいろんな人と繋がることができます。
シンガポールにいる時にも、新しいビジネスを始めるにあたってどうネットワークを作るかはLinkedinだと教わりました。私の元ビジネスパートナーはこれで世界中の人と繋がり、実際にビジネスを一緒にするところまでいきました。
また、あるシンガポーリアンの女性も彼女のHP制作を頼んでいるエンジニアもネットで見つけたカナダ在住のカナダ人で会ったことは一度もないということでした。
シンガポールでの経験は英語ができれば、世界中の誰とでも自由に繋がることができると教えてくれました。
そういう意味で日本で、日本語だけで生活していると遅れてしまいます、間違いなく。。

繋がる力はやはり英語、中国語ができると飛躍的に広がるということです。ただし、英語ができるだけではダメなんです。
お互いの文化、環境を理解できなければ上手くはいきません。これは私の苦い経験です。
だからこそ、「聴く力」が必要なんですね。

若い人のSNSでのネットワークづくりを聞いていて、少し気になったのはその繋がり方は私たちの世代と違って、薄いんです。なんだか私たちの世代は友人を一杯づつコーヒーをドリップで入れるようにゆっくりと、時間をかけて人との繋がり作っていたように思えますが、今の世代はインスタントコーヒーを入れるのでもなく、いろんなドリンクが飲めるドリンクバーを置いて、あまり味を気にせずに、まずはざっといろんなものを飲んでみるみたいな薄い感じがしました。
広く浅くって感じですよね。でもSNSだからいろんなテーマで分科会もあるのでそんなに上っ面だけという繋がりでもないという不思議な感じです。


どちらが良いとかではないような気がします。でも新しい時代はいろんな世代の人と上手く繋がりながら新しいものを作っていく必要があるので、これもしっかりと聴く力を使いながら、やっていかないといけないと思います。

個人的には繋がる力に必要なのは結局はその人の持つ人間力だと思うのです。そして人とは会った時の第一印象が全てかなと思います。直感というやつですかね。この直感というのはZOOMなどではわかりにくいんですよ。
昔ユリゲラーという超能力者がスプーンを曲げるという超能力をテレビでやってましたが、それをテレビを通じてもできると挑戦していましたが、上手くいかなかったように記憶してます。
やはりこのなんとなく、馬があうというのは直接合わないとわからないんではないかと。

これからの時代の繋がる力はやはりSNSだなと改めて感じたし、昨日の話では色々なSNSを使っていくことが大切であると。そしてミドル世代の私たちはあまり自分でなんでもやるのではなく、若い世代に助けてもらうという気持ちを持って、フラットな付き合いをしていくことが肝心だと。あまり自分ひとりで頑張らないようにしないと。。
NOTEってSNS知りませんでした。調べようっと。

聴く力

最近、コーチングや瞑想などを体験して感じることがあります。
やっぱり、聴く力が一番大切だなと。
人を動かすには、自分のことを好きになってもらうだけではダメなんです。
相手の事をどれだけ知るか、相手の立場に立って考えられているかです。

情けない話ですが、やっとわかったような気がします。
コーチングの基本に、こうあります・
「人はもともと創造力と才知にあふれ、かけることころのない存在である」をまず宣言すること。

ともすると、相手のことを見下したり、決めつけてしまい、話を聴くのは無駄だと、指示命令だけをしていたなあと反省しています。組織の中では、どうしても時間のない中ですぐに結論、結果を求められるのですから、仕方がないと割り切っていたこともありました。
でも、やはりそれは自分の能力の無さというか驕りだったんだろうと。


昨日、友人のプロのコーチからコーチングを少ししてもらい、いやあもう10年早くしていたら良かったと本当に思いました。
今はコーチングを少し自分で勉強しようと思っています。

でもこのコーチングって、初めての人にはハードル高いんですよね。
私もそうでした。なんだか、自分のことを見ず知らずの人に曝け出してしまうことの恥ずかしさとか、本当にこれが役に立つのかどうかとか。やはり、友人の紹介とかがないと、コーチングを受けるのって抵抗あります。
でもアメリカでは社会人なら普通に受けてますし、まあ若い女性が占いの人にみてもらってる感じですかね。
このハードルをどう下げるのかが日本の大きな課題です。

コーチングを受けていて、良いなあと思うのは話を一生懸命、聴いてくれる、そして絶対に説教はないということです。
人は自分の話を聴いてもらうだけで、心が落ち着いたり、頭の中が整理できたりするんです。みんな説教はしたいけど、受けたくないでしょう。

時間のあるこういう時にこそ、自分を見つめなす良いチャンスです。
オススメの本はhttps://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%AB%EF%BC%88%E7%AC%AC%EF%BC%93%E7%89%88%EF%BC%89%E2%80%95%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%99%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9-ebook/dp/B00CJ5F3J2

コーチを試しに受けてみたい人がいれば、石渡マキさんを紹介します。安心して受けてみてください。
https://www.linkedin.com/in/maki-ishiwatari0521/

難しいことをわかりやすく伝える技術

昨日の続き。
今思い返すと、なんだか先生みたいなこと沢山してきました。
慶應MBAで先生から頼まれて、マーケティングの授業を3年ぐらい連続して受け持ちました。京都大学MBAでも講義したことありました。なんだか結構やってますね。
あと、慶應MBAで単発ですが外国人向けの授業もやったことあるんですよ。
あと、海外のMBAの生徒が日本の百貨店に興味があるとのとこで、会社に来てもらい、何回か簡単な授業&セッションもさせていただきました。

まあ、大した英語力もないのに、外人にもよく話してきたなあと、今振り返ると懐かしい。
でもその時は、なんとか、最初の掴みで笑わしてやろうとばかり考えていました。さすが関西人、笑わせてナンボっていつも思います。
その笑いの原点はシンプルさです!
特に難しい話をするときに、難しい専門用語(コンサルタントは何故、いつも3文字英語が好きなんでしょう?自分を頭良く見せるためですかね??)を使いまくる人いますよね。私は絶対やらない。それよりもわかりやすい例をだして話します、だって原理原則はそんなに難しくないんですよ。
私の話すことはマーケティング、戦略、小売業などが多いんですが、確かに専門用語もありますけど、だいたい、例を使うとわかってもらえます。

それで思うのは、今のZOOMとかでの講義では場の雰囲気が分からないから、難しいだろうなと。
やはり、講義の楽しさというのは聴衆との駆け引きです。
寝てる人が一人でもいたら嫌なもんです。そうしたら話題を緩いのにして起こしたりとかね。
こういうお客様の顔を見ながら話するのが基本だと思います。だからアドリブが重要なんです。
私は台本通り話するのは苦手です。
キーメッセージはありますが、あとは本番で、出たとこ勝負です。

ただ、今朝のTVで尾木ママがオンライン授業の方が一人一人の表情がもっとわかり、濃密な授業ができると話されていました。うーん、確かにZOOMでホストでやるとそれもあるのかなとちょっと思いました。
一度ZOOMでも試してみたいです。

結局、私が思う楽しい講義は、いろんな引き出し、例え話を持っていることです。
昨日も話しましたが、コトラー先生の話も本当に例え話がうまいんです。
アメリカのシカゴのケロッグでの授業で人気の先生はみんな、たとえ話が面白かった。


だから、相手と話した時に、分からないことがあると、私は例えばどういうことといつも聞くんです。
その例え話がうまいかどうかでその人が本当に理解しているかがわかるのではないかと思っています。

やっぱり、みんなに話すことが好きなのかも、いや、好きなんだろうな。。。
でもすぐに笑いをとることの方が気になってしまうので、大学の先生にはなれませんね(笑)
これから、何を話しましょうね

コトラー勉強宣言!

今参加してる異世代交流会というのがあります。
https://www.generys.co.jp/

シンガポールで知り合った主催者の潮来さんが誘っていただきました。20代、40−50代、60代以上の3つの世代でいろんな意見をかわしながら、その中で面白いことができれば良いのではという感じの比較的ゆるい交流会です。
本来はリアルに集まりスピーカーの話を聴きながら意見交換をするようですが、今のコロナで私はまだ一度もリアルの参加はありません。
で、代わりにZOOMで結構頻繁に分科会をしています。
昨日は、レンタルおっさんをしている荻野さんのお話でした。なかなか面白かったです。
1時間1000円で人の悩みを聴きまくるという仕事ですが、意外に需要はあるそうです。やはり人に相談したいけどなかなか相手がいないんだなあと。
ぜひジェネリスにも参加してください!

さて、今日のタイトルですが、昨日の分科会でも話題になりましたが、自分に自信がないという人が多いのをどうしたら良いかということでした。


確かに、私も自分に時々自信が無くなります。で、解決策は何かと。今までの中で人よりに一生懸命やってきたことを、探し出し、それを伸ばすことではないかと。

で、思い返すと大学の時から、マーケティングを専攻しており、フィリップコトラーの本をよく読んでいました。
ただ、私の大学時代のゼミの恩師堀田先生はコトラーのマーケティングは理論ではないという立場であり、私もマーケティング学説史を勉強しながら、マーケティングが理論となるためにはどうすべきかなのを勉強していました。でもマーケティングは好きで、コトラーの本が一番わかりやすかったです。

それから、会社に入ってもコトラーのマーケティング原理という辞書のような本を原書で読むという勉強会を始業前に開いたりしていました。
楽しかったなあ!!
その頃から、できればコトラーの授業を受けてみたい、会って話がしたいと思うようになりました。
30才の頃、仕事に限界を感じていて、コトラーのいるケロッグMBAを目指そうと思い、勉強をはじめました。
しかし、勉強して1年たった頃、人事異動になり、やりがいのある仕事についたため、MBAを断念しました。行ってればよかったかなあと。。

その間も、コトラーの本だけでなく、当時米国小売業でのバイブルとも言えるBuyers Manualを当時の上司から教えてもらい、それを読んでいました。またその間はハーバードビジネスレビューの小売マーケティングに関する文献を読んでいました。それをお店の上層部に説明するなんて偉そうなこともしてました、思い出すと。。


そうこうしているうちに、41歳の時に慶應MBAに行くチャンスを会社からいただきました。そして、42歳の時に交換留学でケロッグMBAに行けることになりました、残念ながらその当時はコトラー先生の授業はもうありませんでした。
しかし、私の大学院のゼミの恩師奥村先生がケロッグのご出身であり、コトラーに親しい間柄でしたので、慶應MBAとケロッグMBAの戦略的パートナーシップ締結のお手伝いをさせていただき、その時にコトラーさんにもお会いし、お話をさせていただきました。その時にいただいたサインは宝物です。

その後も、社内の勉強会もよくやりましたが、やはりベースはコトラーのマーケティング原理のテキストでした。
奥村先生からは戦略論、アントレプレナー論などを教わりましたが、やはり自分の得意分野はマーケティングになるのかなと。

役員時代は慶應MBAでの臨時講師や早稲田大学で講師を勤めた時がありました。イノベーションをいかに起こすかというのがタイトルだったかと思いますが、やはりはベースはコトラーの、誰に、何を、どのようにというシンプルなものだったかと。やはりターゲットを誰に誰にするのかということが、全ての基本です。

昨年まではプログラミング、AI、IT分野の勉強をしてきて、マーケティングはちょっとサボってました。
でも自分の得意分野をしっかりと強化することは大事だと思います。
昨日たまたま、コトラーの新刊「リテール4.0」が出たのを知り、これを機会にコトラーの復習をしようと思います。
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4022516763/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o00_s00?ie=UTF8&psc=1

今はネットでも3分でわかるコトラーマーケティングとかありますよね。
でもやはりじっくりと本を読むことも大切かと。
コトラーのすごいことは、難しいことはわかりやく教えてくれることです。池上彰もビックリかもです。

昔もマーケティングの本は環境が変わっているので、もう事例も考え方もところどころ、古くなっているので使えません。
読み返すのは最新のものから前に遡るのがいいかもと。
また勉強会でも機会があればやってみたいです。
やることたくさんあるなあと

テレワークが田舎を救い、みんなを健康にする!

世の中、みんなテレワークですよね。
で、多くの企業でテレワークで全然やっていけると。緊急事態宣言が終わってもテレワークできますという感じの人も多いようです。でも都会のマンションに閉じ込められているから窮屈で、だから週末に湘南の海に行きたいとか思うんでしすよ。
だったら、みんな田舎に引っ越したらどうでしょう?
例えば、私のいる真鶴って、神奈川県で唯一の過疎地域に指定されています。タクシーの運転手さんによると、半分くらいの家は空家だと。
確かに最近ジョギングしてますが、少し住宅地に入ると人の住んでいない家が結構あります。
真鶴から東京までは東海道線一本で1時間45分。小田原で新幹線に乗れば1時間でいけます。まあ、終電が早いのでそれが私はちょっと不満ですけど。だから週に1回の出勤は全然OKです。

私もコロナの前は本格的に仕事を東京でやるなら、東京にアパート借りないといけないなあと考えてました。でももういらないなあと。そしてシンガポールで仕事やるのか東京でやるのかということもあんまり考えなくていいなと。ポイントはどこにいても出来るビジネスを始めれば良いんです。
どこでもリモートで仕事が出来る、たまには対面で会うことが出来るような場所であれば十分やっていけます。この条件をベースにビジネスモデルを組み立てれば良いのです。
前職の小売業界でも、このスタイルをベースに事業をすることはできますよね。リアル店舗を中心に物を考えるとできないけど、オンラインをベースに考えれば良いんです。そして、家賃の高い場所にお店出さなければ良いんです。

前提となる、人々の暮らしが毎日、電車に乗って同じ場所に行き、みんなと一緒に仕事をして、会議して、終わったら電車に乗って帰る、たまにご飯食べて帰るという固定概念をどう捨て去るかなんです。
このマインドセットが出来るかどうかがこれからのアフターコロナでは重要です。
今だに経営者の皆さんはやはり、指揮官たるもの戦場に出て陣頭指揮をしないとダメだと考えている人もいるでしょう。
でもそれがもう間違いなんですよ。
このマインドセットを含めた、大きな生活そのものの変革が大事です。

そうすると、真鶴のような自然がいっぱいのところは住むには最高です!
お魚はたくさんあるし、お野菜もある。そして空気が美味しい。
で、今なら土地の値段もそんなに高くありません。もう少し行くと湯河原町なら温泉を引ける家もたくさんあります。
これからこの辺りは人が増えてくると私は確信しています。
そうなれば、終電も増えるだろうし。もっと住みやすくなります。

もう東京一極集中の時代は終わりです。
東京にわざわざ住まなくても、十分仕事は出来ます。そうなれば本当に地方の時代になり、自然と共生したビジネスがもっと生まれてくるのではないでしょうか?

会社にいた時に一番嫌だったこと、誠実ではない人、嘘をつく人

36年間会社にいました。役員になっても所詮、サラリーマンです。みなさんが思うほど役員、取締役になったからといっても、そんなに企業秘密をなんでも知っているわけではありません。特に人事なんて本当に知りませんでした。
最近、オーナー企業経営者と話していても、自分は一度も小切手を切ったことはないし、銀行と融資の相談をしたこともなかったなあと。なんだか、経営者してましたなんて、恥ずかしくて言えないなあとも思います。どこまでいってもサラリーマンでしたね。

さて、長いサラリーマン生活で、今振り返って一番嫌だったことは何かなと考えました。
こういうのって、今勉強しているコーチングの手法なんです。あなたにとっての豊かさはなんですか?とか一番充実していたときはどんなときですか?という形でその人の経験の中から、その人の持つ価値観や基準を見つけ出していく手法です。

色々と考えて、今の自分としては、一番嫌だったのは、嘘をつく人と一緒に仕事をすることでした。それも見え透いた嘘をつくんですが、そういう人でも会社の中では認められてしまうというなんとも言えない状況の時がありました。
詳しくは言えませんが、やはり嘘はいけないでしょうってのが私の思いです。おそらく本人は嘘をついていることがわかっていないかもしれません、いわゆる病気ってやつですね。こういう社会人としてありえない人が会社の中ではなぜか評価されてしまうというのが、私には絶対に許せなかったです。
こう思うのはやはり自分が嘘をつくことに対しての嫌悪感がすごくあるからだと思います。会社っていろんな人が見てるから、必ず最後に正義は勝つと思うのですが、こういうことが時々ありますよね。
だからストレスたまるんです。
コーチング的には嘘をつく人とどう向き合うのかという、余裕が私になかったのがダメだったんだと思います。もっと、私がその人と向き合って、なぜ嘘をつくのかを確かめていくべきだったんでしょう。対立軸ではなく、一緒に考えるというスタンスで。
だから、やはりコーチングというスキルを持っておく方がいいと思います。

次に嫌だったのが、誠実ではない人です。私も人事異動とかでいわゆる降格人事的な辞令を出すことがありました。そいうときはできるだけ、相手の目を見て誠実にその理由を本人に話してきたつもりです。まあその当人にはそう取られていなかったかもしれませんけど。だって、嫌なもんですよ。降格人事を言い渡すのは。でも誠実さというのはそこにあるんではないかと。
しかも長年、自分の右腕として使ってきた部下には当然のことだと思うんです。でもそれできない人がいるんです。でもそういう人が会社で評価されたりする。私自身こういう経験もしました。本当に裏切られたというか、情けない感じでした。
こういう不条理なことが通用するのは、やはりサラリーマン社会だからもしれませんね。

会社の時にお世話になった人と、会社を離れても付き合うのかどうかと言えば、それはもう人間としてその人を尊敬できるかどうかだと思います。
私は会社を離れても、付き合って行きたいといってくれる、上司、同僚、取引先、部下がどれだけいるのか、現時点ではわかりませんが、この数が自分の36年の集大成なのかなとも思います。
まあ少なかったら、これから増やせばいいので、頑張るだけです!



今の目標は親父です!

私の父は教師でした。もう亡くなってはや8年になろうとしています。
最初は大阪市の中学校の数学の先生でしたが、その後、若くして教頭先生に昇進したのですが、最初の赴任先が問題のある中学校で、そこでの悩み、葛藤があり、最終的には退職をすることになりました。その後、私立の中学校へ転職して、70歳まで教師人生を送りました。先生が似合う人でした。

父はよく働く人でした。平日も学校が終わった後、家庭教師をやり、日曜日には少人数の塾のようなものを家で開いていました。当時は先生の副業は認められていたんですね。今だとあり得ないでしょうが。
その当時は毎晩、遅くに酔っ払って帰って来るとしか思ってませんでした。楽しみはお土産のお寿司でした、まあ大体、端っこによったグチャグチャの握り寿司でしたけど、美味しかったのは覚えてます。

それで中学時代は、私も家で他の生徒に混じって授業を受けていました。
当時の父の指導は熱血指導だと記憶してます。でも、当時の私には先生という職業があまり好きではありませんでした。
自分の学校でも、当然ですが、みんな先生と呼ばれてました。それに違和感を覚えていました。当時は先生というのはお医者さんを代表する頭の良い人がなる職業でのみ、先生と呼ばれるべきであり、学校の先生というのはちょっと違うのではないかと。
なのに、学校では先生と呼ばれ、親もペコペコしているのをみて、こういう人になったら、自分は勘違いするのではないかと思ったのです。医者は無理でも先生にはなれそうだったので。。

また、当時は反抗期というのもあり、父の仕事、つまり学校の先生に対して抵抗があったように思います。
その時の自分は、先生という名のつく仕事ではなく、頭を下げる仕事の方がいいかなと思ったのです。
実は父のお父さん、私の祖父は洋服の仕立て屋をしていました。1歳の時に亡くなったのでほとんど記憶はありませんが、家には当時のハンガーなどが置いてありました。なので商売というのは自分に向いているのかなとも思っていました。
でもうちの家系は元々は先生の家系だそうです。曽祖父は校長先生だったとか。

それで会社に入った時は将来、会社をやめて本でも書いて、大学の教授になるのが当時のぼーっとした目標だったように思います。
で、先生とは真逆の「頭下げてなんぼ」の世界に入ったのです。小売業界に36年間身を置いてきましたが、営業の現場にいたのは6年間。でもその時に小売の厳しさと楽しさを得ることができました。お客様から、お金もらって、ありがとうといってもらえるなんてなんて素晴らしい仕事かなと思いました。
でも、今思えば、会社の中でも、いろんな勉強会したり、講義をしたり、先生みたいなことやってたなと今振り返ると思いだします。

そして今日のテーマ、今、なぜ、私の目標は父なのかです。
昨年の10月の命日、つまり7回忌の翌年なんですが、私は当時シンガポールにいました。7回忌ではないので。
その日に、なんと、父の教え子、つまり卒業生がわざわざ、お参りに来たというのです。
7回忌でも凄いとなりますが、その次の年です。
私は凄いなあとしかなかったです。中学時代の恩師が亡くなっても毎年家までお参りに来る人がいるというのも凄いことですが、そうさせた父は一体何を教えていたんでしょう、どういう生徒との関係性があったのでしょう。
私は正直なところ、負けたと思いました。

父は若い頃から家庭よりも学校、生徒を大事にする人でした。なので晩年も母は父のお世話で大変苦労していました。本当にひどい父だなと思うことは何度もありました。でも亡くなる前にはとても柔和な人になり、素晴らしい笑顔を見せる良いおじいさんとして息を引き取りました。
でも、だからといってその時には父を目標にしようなんて全然思っていませんでした。

そして7回忌がやってきたとき、卒業生が7人くらいで家にお参りに来たのを母から知らされました。
この時に、もう負けたなと思いました。自分が死んで7回忌に来てくれる会社の人なんて絶対いないと思ったからです。
そして、昨年の命日にまたやってきたのを聞いて、いやあ凄いと。

良く人の評価は死んでからわかると言われますが、本当にそうだなと。
私はこれからの人生はできれば、父と同じ教育に関わる仕事をしていきたいと思っています。やはり、血がそうさせるんでしょうかね。
そして少しでも父に近づけることができるように、人との関係づくりをやっていきたいと思います。

でも父には勝てないなあと。。。
参りました、お父さん




今、定年後の生活みたいな暮らしです

コロナの自粛で、真鶴に自主ロックダウンしてはや1ヶ月が過ぎました。
この間、一度も電車に乗っていません。また行動範囲はほぼ半径3キロかな。ジョギングコースが最長みたいな。
で、思う事があります。

今の生活は定年後の典型的なパターンかなと。
色々と毎日、自分で決めていろんなことしてるので、忙しくしているんですが、充実感がないんです。

確かに、友達と会って飲んだりとか、ゴルフしたりとか、趣味のお茶のお稽古していないのもあるんですが、毎日色々と自己研鑽していても、目標というか目的のない勉強というのは虚しい感じがします。
ある人材紹介会社の調べだと、定年前と定年後で何が違っているかというと、会社で働いている時間と家でテレビを見ている時間だけが入れ替わるだけという人が結構いるようです。なんだか、寂しいですよね。

テレビで毎日、コロナ関連の番組見ていたら、精神的に病んできますね。これはレポートが出ていて、毎日2時間コロナのニュース見たら精神的に良くないと。不安を煽るだけだと。

趣味が家でやることで、自分一人の世界に没頭したいという人はそれでいいのかもしれませんね。陶芸とか。うちの近くの湯河原には元首相の細川護熙さんが陶芸をされていますがね。
私はまだまだ、煩悩が捨てきれないのでしょうか、やはり社会と繋がって何か自分で充実出来るものを探してしまうんです。


要は、仕事がしたいんです、早く!!
毎日ゴルフはありえませんし、ウインドサーフィンを毎日する体力もないし。お茶のお稽古も毎日はできないし。
趣味って、やはり毎日はできないですよ。シンガポールにいく事があるから、英語、中国語も勉強しなきゃと思えるんです。パワーポイントの使い方も勉強しないと、となります。
老後をどう過ごすかと同じ話をしてるんですかね、私???

前にお話しした禅の修行ではありませんが、どう自己を捨て切れるかは本当に大事なんだなと思う反面、やはりいろんな楽しいコト、悩むコトに目がいってしまうんです。これが煩悩なんでしょう。
私も必ず、社会とサヨナラする日が来ます。その時には煩悩も一緒にいなくなりますが、どう自分をコントロールしていくのかというのは大事なコトだと思います。

これからの社会を考えると、まず自己を振り返る事が一番だなと思っています。
少しづつですが、自分の心の中にある引っかかっているものが見えて来ました。でもそれをどう取り除いていくのかがわからないんです。このコロナ隠遁生活を有意義なものにするために自己と向き合うことを出来るだけして行きたいと思っています。

最後に料理は随分と上達したかと。醤油、酒、みりん、砂糖があればなんとか美味しくで来ますね。
ただ、やはり、具材のチョイスが下手だなあと、クリエイティビティにかけてます(悲)

ベンチャー企業がやってるポータルサイトって、新しい形の百貨店かも

今、コロナで苦しんでいる飲食店を支援するサイトがベンチャー企業から出てますよね。
先に飲食代を払って、コロナ自粛の後でそれを使う飲食券を販売するとか、飲食店が新しく始めた惣菜を通販で売るとかなど色々です。また売れ残った食材を格安で提供するサイトもあります。
まあ、いろんなニーズに対応してますよね。私もテレビで見たときにはチェックしたりしてますが、たくさんありすぎです。なかなか集客できないんじゃないかと。
おそらく、各地域で同じようなサイトがどんどん生まれていると思います。このポータルサイト作るのって技術的にはそんなに難しくないからでしょう。

前から思ってるんですが、最近のサイトを見ていると結局、マッチングサイト、紹介サイトなんですよね。そのベンチャーはポータルを提供しているだけで、コンテンツはないんです。でもコンテンツはあるけど、どうしたらいいのかわからない人とか、それを認識していない人とコンテンツを欲しがってる人をうまくマッチングさせているのが、イマドキのベンチャーサイトです。
私なんかは、やっぱりコンテンツが大事じゃないの?とか思っていたんですが、あれ、これって百貨店ビジネスだなあと、昨日思いました。

百貨店も結局は場所貸し業なんですよ。良い立地にお店、いわゆるポータルサイト作って、そこに集まってくる人が欲しがるモノ、サービスを集めて提供するだけなんです。
だから、百貨店の強みはまず、集客できる好立地なんです。これって、ポータルサイトでページビューの多いサイトってことですよね。
そして、そのお店にそこにくるお客さまのニーズに合わせた魅力的な商品、サービスが詰まっていることが強みになります。これもポータルサイトで魅力的なコンテンツがあるかどうかですよね。例えば、飲食店でも人気飲食店が揃っているかどうかですよね、人材紹介業だっていい人材が揃っていないとダメですよね。
そして最後は信用です。何かトラブルがあってもきちんと対応してくれるという安心感があるかどうかです。

私が百貨店に入った37年前でも自分で仕入れて、自分で売るという売り場は限られていました。私はたまたま、紳士服の重衣料で、プライベートブランド担当だったので自分で生地を見て発注するところからやってました。でもそれは今はもうほとんど無くなっています。
今は、 GINZAシックスに代表されるようなテナントビルビジネスが百貨店の生き残る道のようにいう人もいます。
昨日、百貨店時代の友人とオンライン飲み会していて思ったんですが、やはり百貨店のように固定費の高いマッチング事業ってのは儲からないなあと思います。
ポータルサイトの固定費はとても安いですよね。サイトの開設場所に銀座も新宿など一等地ってのはないからです。
ポイントは集客できるかどうかです。ここにはお金はかかりそうです。
でも、お店そのものの固定費は安いから、ターゲット絞ってあまり集客できなくても、単価をあげればOKなんです。

また、サイトだから、商圏、ターゲットは無限だと考えるのは時代遅れですよね。
サイトでも完全に地域密着で成功しているところもたくさんあります。
最初に紹介したレストラン紹介サイトも首都圏、特に千代田区、港区のみだけというのも結構あります。
だから、お店を借りて、家賃払って、内装工事してではなく、サイトで簡単に店を開いて、コンテンツを提供するというのは簡単です。しかも、このコロナでオンラインの技術と同時にみんなのリテラシーが上がってきて、抵抗なくネットの世界で会話したりするようになっています。
今でも百貨店ではネットでのやりとりは個人情報の問題、データの保管の問題などで後手後手になっています。
もう、ネット、オンラインで出来る事が大きく広がっています。
コロナのあとは百貨店の役割をするポータルサイトがどんどん出てきそうです。
それも地域密着型のサイトが。
そんな予感がします。

マッチングビジネスですよね、百貨店って、そう考えてる人いるかな、業界のなかで。。