自分の棚卸し

いま、自分の棚卸しをしないといけないなあと感じてます。
自分のこれまでの人生を振り返り、自分とは一体何者で、どこに強みがあり、弱みはどこなのかをもっとしっかりと理解することが必要かなと。
ある時まで60歳過ぎたら、定年して、家族、孫とかの世話をしながら余生を楽しむ。そのために60際までは頑張るという典型的な価値観を持っていたように思います。

それを変えたのは41歳の時、会社からMBAに会社派遣で行けと言われて、全くわからないまま、とりあえず慶應ビジネススクールに入りました。その時に当然入試があり、その過去問の英語がとてつもなく難しくて、半年ぐらい必死で勉強しました。
今思えば、そんなに試験の成績だけが重要ではないことが後からわかりましたが、当時は前の会社からビジネススクールに行った人はいなくて、私が第1号でしたら、誰も何もわからない状況だったのです。
まあ、無事に入学してからが、目から鱗の連続でした。同級生は私よりも10歳は若い30前後の人ばかりでした。でもみんな優秀でした。自分は今まで何やってきたんだろうと凹みました。

特に凹んだのは、交換留学でシカゴのケロッグスクールに行った時のことです。
この時も留学に必要な英語の試験があり、ビジネススクール入学後もTOEFLの試験勉強や英語の面接の勉強をしてました。
それで、なんとかケロッグに行けることなりました。実は私はケロッグのコトラー先生に会いたかったのです。大学時代からマーケティングを専攻しており、コトラーのマーケティングマネジメントは当時のバイブルでした。
で、なんとかコトラーに会いたくて、英語の勉強と学校の成績もよくないと交換留学でケロッグには行けなかったので、頑張りました。
会社に入ってから、30才ぐらいの時に社内勉強会を自分で主催して、コトラーの原書を読む会とかやってました(笑)


で、ケロッグに行ったのが2003年の夏です。そして9月から2年生のクラスに編入されました。で、その時の経験がそれまでの自分のありとあらゆるプライドと自信を消し去りました。
日本でも、大阪から、東京に行くと、すごい奴がいるとびっくりしたのも束の間、アメリカに来たらもっとすごい奴がゴロゴロいてもう本当に情けなかったです。
大学も東京でしたが、大阪はやはり日本で2番目の都市だと自信あったんですがね。
ちなみに私は大阪、堺市の出身で、コテコテの関西人です。
しかもケロッグの学生は、慶應よりさらに若くて20代後半ばかりでした。
なので年の差が12才以上離れてるんです。でもみんな、年取った僕のこと、特に小売業出身の学生はほとんどいないから、興味があったのか、色々聞いてくれました。

この時思ったのが、英語は道具だなと。いくら上手な英語が話せても、中身のない人の話は誰も聞かない。自分の知らないことを知ってる人の話は、英語が下手でも聞いてくれると。
で、いまだに、シンガポールでも、英語で苦労してますが、中身が大切だと信じて頑張っています。

このアメリカで半年暮らした後から私の人生は大きく変わりました。
多分、私の価値観が変わったのかもしれません。
この先の話はまた次回に!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です