危機的状況にどう対応するのか

今、シンガポールは日本よりも危険です。
570万しかいない国ですでに58人の感染者が出ています。またそのうち二次感染、3次感染が相当進んでいます。
先週の金曜日には政府がアラートレベルをSARSの時と同じオレンジに上げたため、一部の地域でパニック騒ぎとなりました。
この真っ只中にいて、私は自分が2011年東日本大震災の時に大丸東京店の店長だったことを思い出します。
あの時はまず、大きな地震により営業ができなくなりました。しかも、店内には合計6000名近くのお客さま、従業員がいたのです。ビルのオーナー(JR東日本と三井不動産)は全員退避という指示を出しました。私たちはテナントという立場なので、余震が続く中、お客様に店外に出ていただくようにお願いし、退店の誘導をしました。その時に何人にもお客様から、店内にいた方が安全だから残りたいと切望されたのです。とても申し訳のない気持ちでした。なぜなら、地震が揺れてる時にはお客様に「このビルは2008年に建てられた最新鋭のビルで免震構造になっており、外にいるよリも安全です」とお伝えしていたからです。

そして、その日はライフライン(電気、ガス、水道)は大丈夫だったものの、交通機関がストップしたため、徒歩以外では帰宅できなかったのです。店内には従業員とその家族は留まる事ができました。その他の多くの人が地下通路で寝ておられました。
私は次の日の営業をするのか、どうかの決断をしなければいけませんでした。
こういう時は社長の判断ではなく、店長が判断をします。
百貨店の食品売り場でお弁当売り場の仕込みは早いところでは朝の5時から始まります。
ということは朝の4時には営業するかどうかを決めないといけないのです。
あの時のことを思い出すと、いろんな人がいたなと思い出します。

家族の事が不安でとにかく家に戻ろうとする人。特にあの当時は電話が繋がりにくく、SNSは比較的繋がったのを覚えています。またその日は帰れないので、会社のみんなにお弁当や食料を調達していた会社員の人。帰れないから飲み屋で飲んでいた人。私は全く外に出れなかったので自分の目ではあまり見れませんでが、すごい人が歩いて家路に急いでいたのをTVで見ました。緊急時にはその人の本性というか性格がよくわかります。本当に色々です。
私はあの時に、まず思いました。まずお客様、従業員の安全をどう守るか、そして営業をどうするのかでした。
幸い、電車が少しづつ動き出したので、次の日は需要が見込まれる食品売り場と修理対応などを含めたサービス対応として1Fフロアを開ける事にしました。朝の4時に店内放送で従業員に伝えました。結局ほとんどの人は眠れなかったのではないでしょうか。

百貨店を営業するには多くの人員が必要です。またエレベーター、エスカレーターが使えないと営業はできません。
新しい百貨店にはお客様用の通常階段というのはほとんどありません。非常用階段しかないのが普通です。
これは火災が起きた時に階段というのは大きなトンネルと同じでとても危険なのと、スペースを有効に使うためもあり、客用階段というのはあまり設置しません。
私は夜中に4度地下3階から13階まで歩いてフロアのチェックをしていました。正直、足はパンパンになりました。
でも火事場のバカチカラでなんとか乗り越えました。
ここでのポイントは大型店舗はエスカレーター、エレベーターが動かないと営業できないという事です。

その次の日、オープンを確か早めて食品、特にお弁当の販売をしました。みなさん待ち望んでいて、あっという間に売れたのです。すごい状況でした。確かにコンビニには何も商品がなかったです。なぜならトラックが全く動けなかったのです。この時に、「あー社会に役に立つ事してるなあ」と実感しました。
でも、すごいのは朝の5時から仕込みをしてくれた取引先のみなさんです。
彼らはおそらく一睡もしてなかったと思います。今の働き方改革では許されない事ですが、こういう時にこそ人間の真価が問われるのではないかと思いました。取引先の皆さんには改めてお礼をすべきであったと反省してます。

しかし本当に大変な事になったのは、数日後に原子力発電所の爆発です。
この時は私はよく覚えていませんが、放射線が漏れているとのデマが流れて、結構多くの方が東京から関西などに逃げたそうです。数日後外資系の化粧品が役員などを含めて日本を脱出しました。当時あるブランドは誰も販売員もおらず、シートをかけて開店休業状態でした。私はこれからの店をどう運営していけば良いのかに必死で、自分が逃げるなんてことは全く考えられませんでした。
今のような自分も新型ウイルスにかかるという恐怖感はありませんでしたが、日本が、東京がどうなるんだろう?そして店はどうなるのか?会社はどうなってしまうのか?という不安感は同じだと思います。
特にあの時は余震が続き、携帯に緊急地震情報が何度もなりました。
システムで震度5になるとエレベーターは緊急停止します。そうすると復旧には管理会社の人がきてチェックするまでは動かせません。その時にエスカレーターを使っていいのかどうかも曖昧でした。

やはり、緊急時には地震でエレベーターが止まると、その顧客誘導が必要であり、エスカレーターも危ないので利用を止めると本当に営業できません。余震がつづいている間は本当に営業になりませんでした。
少し落ちつてくると、今度は売上をどう立て直していくかになります。
おそらく、今全ての企業でこのウイルスによる、業績悪化にどう対応するかを連日やっていると思います。でも会議は危ないからできないかもしれませんね。
この話を続けてるとどんどんありますが、今日お伝えしたいのは本当に危機的状況の時に意外と人間は冷静に慣れるものだということです。
次の機会にお話しますが、現金を要求してきた爆破予告事件がありました。この時がおそらく今まで生きてきたなかでもっとも緊張した時ではなかったかと思いますが、この時も意外と冷静でした。
私はよく、ポカをします。
昨年パリに出張で行った時に、羽田の出発ラウンジで財布を置き忘れました。機内に入った時にわかり、アテンダントANAのラウンジのこの辺りで落としたと伝えたら、すぐに探してくれましたが見つかりませんでした。飛行機のドアが閉まる時に最終責任者のアテンダントがこのまま、パリに行かれますか、飛行機を下りられますかと聞かれました。この時も結構冷静に判断できました。結果はそのままパリに行き、パリ到着後も財布は出てきませんでした。それから12時間後、最終的にラウンジではなく税関が管轄する出国エリアで見つかりました。また現金を含めて全て無事でした。嬉しかったなあ、あの時国際電話で羽田空港に確認の電話した時のことは忘れられません。でも国際電話代が1万円かかりましたがね。

このときも財布が見つかるまではもう、ドキドキでパリに向かう飛行機の中は生きた心地ではありませんでした。12時間は長かったです。でも意思決定は冷静にしたなと思います。
基本、気の小さいビビりの男ですが、判断するときは冷静だったなと。

でもできることなら、こういう意志決定はせずに穏やかに暮らしていきたいと思っています。
早くウイルスが収まることを祈ります!

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