シリーズ#03 コトラーのリテール4.0を読み解く

消費者はどんどん進んでいくのに、会社はぜんぜん進まない!

このコロナでデジタル化がさらに加速している。そのハブはスマートフォンであろう。このもともとは電話だったらしい、このデバイスで今や、銀行の振込、送金からテレビ会議、ビデオ鑑賞、ランニング記録などあらゆることをこなしてくれる、そばになくてはならない存在だ。
このスマートフォンがコロナ対策でも韓国、台湾では大活躍している。シンガポールでも政府からのアプリを登録することで、全ての人の行動履歴を把握し、もし感染者がでたら、その人の行動履歴をチェックして、その人と接触していたら、瞬時に濃厚接触者と分かるようになっている。
これを日本では個人のプライバシーが侵されるだのと議論になり、とてもそういうことはできないだろう。しかし、グローバルに見ればそれが普通なのである。日本だけが違う常識を持っているのではないだろうか。

例えば、少し話は違うが、アメリカで今、感染者が日本よりも多く増えているのに、経済を再開させている。これに日本では疑問の声が上がっている。確かにそうであろう。でもそれは日本の常識である。
アメリカという国は常にどこかの国と戦争状態にあり、毎日、戦場では兵士が亡くなっている。今、コロナとの戦争をしている時に、犠牲者が出るのはしょうがないと思えるのがアメリカという国ではないだろうか。
日本は戦後、自衛隊は一度も戦争状態になったこともなく、海外派遣でも一人も亡くなっていない。もし亡くなっていたら、大変な事になる。
でもアメリカは中東で何千人も亡くなっているのだ。戦争というのはそういうものである。
ヨーロッパでも私は同じ常識、コモンセンスがあるのではないかと思う。
多少の犠牲者が出ても、それ以外の大多数の生活を守るというのが戦争のやり方であり、アメリカは常にそうしている。
日本の島国文化であろう。

私は日本もそうすべきとは思わない。しかし常識というものはこれだけ違うのだということは認識すべきではないだろうか。常識なんてものはそもそも普遍のものなんてありはしない。

ドイツでの失業者への現金給付が素早いのもドイツが国として豊かであるというだけではないのではないだろうか。ドイツでも、アメリカでもシンガポールでも、一人一人に納税番号が付与されており、それを常にチェックされる。
それはまたプライバシーの侵害と日本ではなるが、それを全員が認知しているからこそ、今回でもその番号で素早く、個人を特定して、その指定先口座に現金が振り込まれるのである。確かに行政のデジタル化が進んでいない日本という面もあるがそこに問題があるのであって、政府を糾弾するならそこではないかと。
マイナンバー制度はこれを狙ったものだが、この仕組み自体があまりにも消費者にわかりにくい、しかも手続きが面倒という、顧客ファーストではなく、霞ヶ関ファーストの仕組みに問題があったのである。
いわゆるなんでもこのカード一つで個人の管理を済ませてしまえるという行政の狙いが見え見えだったのではないだろうか。

リテール4.0の中ではインターネットと常につながっているスマートフォンを常に持ち歩く消費者が今、ゲームのルールを変えている(p11)と述べている。そしてこのコンタクト性とリアルタイム性が今までにないものだということである。また消費者は企業から情報をもらう立場ではなく、共に対話する対等な関係になっている。
そして消費者はSNSを駆使して、情報を取集、分析し、それをまた自分のこととして発信するのである。ちょうど、今私がしているように。

消費者はあらゆるところで情報にアクセスしてくる。これまでのように、買い物に行く前に調べるというだけではなく、買い物中でも、食事中でも調べたり、情報交換したりしている。その流れにそった対話を企業ができなければ、消費者は満足しない、それをまた発信してしまう。

私はNetflixをよく見るが、PCでも、TVでも、スマートフォンでも同じところから続きが見れるし、それが電車でもどこでも見れる。映画を続きから見るのに何のストレスもない。このことが当たり前になってきているのだ。

前にも話したが、今の進んだ若者はSNSをいくつも使いこなし、また一つのSNSだけで独自のアカウントを複数作成して、プライベート用、仕事用、趣味用などと分けている。彼らにはTVも新聞も必要ない。
毎日、朝、数種の新聞を読み、NHKを見て情報を収集することが日本の大企業の役員の常識と思っている人は危ない。

消費者はどんどん前に進んでいる。しかも若者の速度は早い。そしてそれについていける大人は少ない。
この間、異世代交流会を主催している方からの言葉が印象的であった。
「今の20代の若者と付き合う方法はいかにフラットな関係でいられるか」ですよと。
会社の上下関係は当然あるとしても、今までとは違う、フラットな関係が必要だ。これは企業と消費者にも当てはまる。

以前、百貨店の店長時代にしたかったのに出来なかったことを思い出す。
お中元、お歳暮の時には催事場でギフトセンターを開設して、注文を承るのだが、私は店長になるまではいつもほぼ20年以上毎年、応援者としてお客様から受注業務を行なっていた。その時にいろんなお客様の声をいただいた。生の声であり、とても参考になった。昔、自分が若かったころ、受注していたら、送り主の名前が当時の社長の名前だった。ハット気づき、いつもお世話になっておりますとお話したら、その倍以上に丁寧にいつも主人がお世話になっておりますと話されて、流石に社長夫人は違うなあと感じた。その時、社長が誰に送っていたかは思い出せないが。
で、店長になった時に、やはり自分でも受注をしてお客様に話を聞こうとすると、部下に猛反対された。
もし、私がミスをしたら、誰が謝りに行くんですかと。私が謝って済まなかったら、社長になるんですよと諭されました。それで、断念したんですが、今思えばやるべきだったなと。そうやって、経営陣と現場は離れていく。
顧客とフラットになる。まさにトランプ大統領のツイッターだ。これをやっている大企業の社長はいるのだろうか。

これからの時代はデジタル社会だが、本ではデジタルは電気のようなものだ(p15)と表現している。見えないインフラとして製品、サービスに活力を与えるものだと。確かにそうだなと。だとすると、IT技術者に会社の未来を託してはいけないのではないかと。会社の未来を作るのはお客さま、消費者なんだ。それに一番近いところで顧客と一緒に進みながら、顧客の期待を超える製品、サービスを提供するのが大事で、そのためにどうデジタルを使うかだと。

スティーブジョブスの有名な話。彼はノートパソコンのCPUを冷却するための冷却ファンがうるさくて、クールではないとなくすように技術者に要求した。その当時の技術では不可能と思われていたが、ジョブスは全く聞かなかった。そしてイノベーションが生まれた。クールなMacBookが産まれたのである。
技術が生活をよくするのだが、技術そのものだけでは生活は良くならない、それを理解しないといけない。

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