デジタル社会におけるSNS被害に思う

私は自分では本来、悲観的な人間だと思っている。大阪弁でいう”あかんたれ”だ。

しかし回りからは常にアグレッシブに生きているように思われがちだ。それを自分としてはいつも励みにしながら、アグレッシブに生きるためのパワーにしている。そういうパワーこそ、友人や家族などから得るものだと思う。
それが今のデジタル社会では直接会ってもらうのではなく、SNSやビデオチャットなどから得る時間が増えてきた。
しかしこれも匿名ではなく、実名でのやり取りだからこそパワーをもらえるのである。

最近起きた誹謗中傷でプロレスラーの女性が命を落とした事件は本当に悲しいし、悲惨な事件である。
この匿名のSNSによる攻撃は今コロナの期間では、自粛警察ともいわれて流行している。これも酷い。
デジタル社会の一つの負の側面はこの匿名による、情報発信の自由度である。
発信する側にすると、軽い気持ちで投稿しているのだと思う。しかしその人間も受け手としてそういうSNSを自分が受け取る側に立つといかにその行為が酷いものであるかを経験するだろう。しかしSNSで誹謗中傷する人間は決して自分を表に出すことはない。なぜなら、彼らこそ弱い人間なのだから。

相手を思いやる気持ち、相手の立場にたって、物事を考えることが出来れば、おのずと行動は変わってくる。
しかしデジタル社会ではこの簡単なことが、どうも匿名による自由な発信によってゆがめられているような気がする。何とか政府は早く手を打ってほしい。

マーケティングの世界でも顧客第一主義が基本である。相手の立場に立ってこそ、相手の気持ちがわかるし、それをもとに商売をするのである。

私のこのブログでも同じである。デジタル社会だからこそ、こうして自分の考えを自由に多くの皆さんと共有し、また時にはご意見も頂ける。こういうインタラクションの場こそがSNSであるべきだ。そのためには匿名ではなく、個人としてしっかりと名前を出して発言をすることは大切ではないだろうか。

また私はこういうブログでは誹謗中傷や批判はあまりすべきではないと考える。みんな人間は弱い生き物だ。その弱いところばかりを見るのではなく、良いところを見るようにしていきたい。これはマネジメントにおける人の指導法もそうだし、コーチングの基本でもある。
常に前向きに、毎日が昨日よりも良くなるように考えながら生きていける自分でありたいと。




シリーズ#10 コトラーのリテール4.0を斬る

カスタマイゼーションとパーソナライゼーションの違い

今日は第5原則「パーソナルであれ」について考える。
コトラーは言う。小売業者はこれまでのOne to Manyであるマスマーケットのアプローチから、可能な限りパーソナライズされたソリューションの提案、One to One への戦略変更を求められていると。

またこれまでカスタマイゼーションとパーソナライズゼーションは同じように扱われてきたが、実は本質的な違いがあると。カスタマイズと言うのは一定の範囲の中から、顧客が選ぶことができ、自分にあった製品、サービスを受けることだ。つまり、スーツでいえば、イージーオーダーのスーツである。一定の範囲で好きな生地を選び、好きなシルエットを選び、ボタンも好きなのが選べる。そして、自分のサイズに一番近い体型のパターンを修正するのが、カスタマイゼーションだ。
一方でパーソナライゼーションは消費者に関する情報(過去の購買実績、好みのスタイルなどの分析)の活用によって行われる。期待を先回りして、高い確率で満足が得られるソリューションの提案を行うのである。
いわば、フルオーダーのスーツの注文である。顧客の持つイメージを元に、生地、スタイル、装飾品などをトータルで提案することがパーソナライゼーションである。

したがって、カスタマイゼーションは消費者の選択に対するリアクション的な行動であり、パーソナライゼーションは消費者に感動と喜びを与えるためのプロアクティブ的な行動である。

本書ではカスタマイゼーションの例としてNIKEのシューズのカスタムサービスの話が出ている。車でも今はホームページで好きなボディカラー、オプション装備品、シートの形状など色々なカスタム化が可能になっている。
商品のカスタム化だけでなく、サービスでも美容室では、カット、パーマと言ったこれまでのものから、ネイル、ヘッドスパなどこれまでのヘアーカットサービスが癒しのサービスへと変わってきている。これもカスタマイゼーションの一つであろう。ではこれからのパーソナライゼーションとは何か。
本書ではデジタル技術をベースにしたパーソナル化を提言している。つまり、顧客にはあくまでも人間がアプローチしているかのように見せかけながらも。個人のデータを集め、それを分析し、一人一人の個性に合わせた提案をすることが求められているのだと。
そして、その提案は顧客のスマホに向けて、店外から店内にいる時でも常に顧客とインタラクティブにコミュニケーションしながら作り上げて行くものだと。つまり顧客とのコミュニティ作りによる、新たな価値創造を商品だけでなく、店内での体験を含めて総合的に行っていくと言うことである。
しかし、これは言うは易く行うは難しである。
本書ではセフォラやNIKE by メルローズの例を取り上げているが、私にはあまりピンと来なかった。

私が考えるパーソナル化とは、先ほどのオーダースーツの例でいうと、これまで最低でも15万近くはしていた、フルオーダーのスーツをイージーオーダー並の10万円以下、79000円でできるような仕組みをデジタルを使ってできるようにすることではないかと。しかも、スマホの中にはもっと色々なオプションが用意されているのだ。
これまでは熟練の販売員と技術者がいて初めて成立した、フルオーダーをデジタル化し、情報の分析もAIでこなすことで、店頭での接客時間は限りなく少なくする。採寸はやはり人間がすべきだろう。しかし、デジタル世界ではこれまで以上の関係性を構築して、来店前から来店後までのコミュニケーションをしっかりとする。

これを応用したメガネ屋さんもできるのではないだろうか。
今のメガネ屋さんはJINSなどの低価格業態と百貨店などの中高級店に二分化されている。しかし、その中間価格帯といいのはマーケットがないのだろうか。私は、やはり最終的な調整はメガネを必要だし、しっかりとした技術、サービスが販売員には求められると考える。しかし、今の価格はJINSなどに比べるとあまりにもかけ離れている。ではどうするのか。パーツごとにメガネを分解し、車のタイヤ交換のようにレンズを入れ替える。もしくはフレームだけを入れ替える。というようなカスタマイズとパーソナライズを合わせた提案ができないだろうか。
メガネのレンズはフレームごとに形を合わせないといけない。だから一度作ったレンズを他のフレームに入れ替えるのは難しいし、もともとそういう考えはなかったのではないか。しかし、冬のスノータイヤのように、冬にはどっしりとした重厚感のあるフレームを、そして夏には爽快感のある軽いフレームに付け替えられるような提案はあるのではないだろうか。私も夏には軽いチタン枠をかけたいし、冬はセルロイドのずっしりしたフレームをつけたい。

メガネをパーツにして、一番値段の高い、レンズ、フレームをもモジュール化することによって、新たなパーソナル提案ができそうな気がする。それはJINSのような使い捨て感覚ではなく、良いものを長く着回す着物感覚でできないであろうか。メガネというのはもともと、カスタマイズ化して買うものだ。しかし、その応用が効かない。JINSのように一人で用途に合わせて10本もメガネを持つのも良いが、やはり安かろう、悪かろうはつきまとう。

パーソナル化はこれまでも小売業では固定客作りにおける重要なものと位置付けられてきた。しかし、やってきたことはサンキューレターを出すための住所を集めてきたに過ぎない。それを今はカード開拓が担っている。しかし、パーソナル化は商品、サービスと一体化してこそ効果が出るのではないだろうか。

AIによる顧客情報の分析によるライフスタイル提案は良いのだが、その前にやることが小売業にはまだまだ多くあるような気がする。

経営者は従業員とどう向き合うのか

「誠実であれ」の具体例:心に響くのはお金ではない

私が百貨店の店長をしていた時に、もっとも評判のよかった従業員向けのサービスがある。
それはサンキューランチというイベントだ。
毎月のお店の売上予算が達成したら、翌月の特定の2日間だけだが、従業員食堂でサンキューランチを販売した。
普通なら2000円近くするサーロインステーキ、海鮮丼、うなぎ丼などを390円で限定数、提供するというサービスである。

このイベントは大好評で当日は11時のスタートに何十人もの行列ができるほどであった。誰しもが嬉しそうにステーキを食べていたのを思い出す。限定数がなくなり多くの苦情が来たのを覚えている。

この企画は私がその当時、従業員食堂でランチをしていた時の経験から生まれた。一般的に大規模な百貨店の店長はあまり従業員食堂でランチをすることが少ないようだ。まあ理由は色々あるだろうが、私はできれば従業員、特にお取引先の人と話しをしてみたいという気持ちがあったので、できるだけランチを食堂で取るようにしていた。また、食堂のカレーがお気に入りであったのもその理由の一つだ。
そして、取引先のおばちゃんたちとだんだんと仲良くなって、ランチの時間をいかに大切にしているかを知った。ミカンとかをおすそ分けしてもらったり、とても楽しかった。
また呉服のイロハを年配のベテランさんからも教えていただいたのも、食堂であった。
取引先の方にはアルバイトや派遣の方もいて、あまりランチにお金をかけれないという実情も知ることができた。ペットボトルに食堂のお茶を補充する人もいてビックしたものだ。
従業員食堂自体はレストランに比べると高くはないのだが、それなりの味であり、とても美味しいものが安く食べれるというところでもない。昔の百貨店の従業員食堂は会社の補助もあり、安くても美味しいメニューが揃っていた。古き良き時代である。

肉体労働である販売員の人たちにとって、お昼休みは唯一の楽しみであるのだ。それをもっと楽しくできる方法はないか。そしてそれがお店の利益貢献にもなるようなことを。
そこで思いついたのが、売上達成したら、会社からサンキューの気持ちを込めた豪華なランチの提供をしたらどうかということだ。
当初、これを当時の人事部長に話すと、経費が100万ほどかかると乗り気ではなかったが、私にとって100万のコストは売上を伸ばせばいくらでも元は取れる。従業員の士気が上がれば、売上10%なんて難しい数字ではないと思っていたので押し通した。

そして、売上が達成して、いざ、サンキューランチとして何をメニューとして提供するかで悩んだ。人それぞれ好き嫌いもあるし、いくつかのメニューを提供できればよかったが、調理場の大きさ、用意する数、コストなどから1メニューに絞るということになり、最終的にはサーロインステーキ定食に落ち着いた。


当日、11時のスタートに恐る恐るのぞいてみたら、なんと黒山の人だかりだ。私はとても驚いた。こんなにも人気になるなんてと。
何故なら、得する金額としては2000円マイナス390円なので1600円である。1600円の為にこれほどの人は並ばないのではないだろうか。やはり、ランチにサーロインステーキを390円で食べれるという体験がプライスレスなのであったのであろう。1600円のお金の価値が、ステーキになって10000円以上になったように思う。

その後も、売上達成が続き、ステーキから海鮮丼、うなぎ丼と続いたが、やはりステーキが一番人気のようだ。やはり、ステーキなんだなと。間違ってもヘルシーなお弁当は出してはいけない。
私は、今でもたまにお店に立ち寄って、当時の販売員さんと話をする時があるが、褒められるのはサンキューランチのことばかりである。

顧客体験をいかに期待以上に提供するかと従業員体験は全く同じなのである。ただ、やり方が違うだけである。
ただ、ヒントをうまく活かすにはコツがいるのかもしれない。そのコツをどう掴むかが難しい。


魚釣りで同じ場所でも、名人は連れても初心者には釣れないのと同じかもしれない。
名人は言う。船の下にいる、魚の気持ちになって考えたらどうすればいいかが分かると。

そういえば、最初のサンキューランチの行列の先頭に並んでいたのは当時の営業部の部長と課長だったように記憶している。高給取りの二人がとても嬉しそうに並んでいた!!まあ立場的にはどうかと思ったが、まあいいか。

シリーズ#09 コトラーのリテール4.0を斬る

売らんかなの姿勢ではお客様はついてこない

今日はp99にある10の原則の4つ目である。「誠実であれ」について考えてみる。
本書では「誠実であれ」とは「ビジネス上の接点を持つ人に対しては、それが顧客、協力者、納入業者であろうと、誰とでも相互の信頼関係を結び、育て、維持していくこと」と説いている。
つまり、信頼を得ることで企業は支持されるのであり、それには相当のコストと覚悟が必要なのだと説いている。それは顧客だけでなく、従業員、取引先にも同じことが言える。
若いころ、私がよく聞いた話では、百貨店などの大型小売店では従業員も勤務が終われば、一人のお客様である。よって業績が苦しいからといって、すぐに店の従業員を削減するのはなかなかできないと。1人の従業員を解雇すると、その背後にいる家族、親戚など20人のお客様を同時に失うことになると。
恐らく今、地方の苦しい百貨店ではこういう呪縛に苦しんでいるのであろう。大きな固定費である従業員の削減をして、テナント化しようにも、それをすると顧客自体が失くなってしまう。小さいマーケットである地方では、顧客をどう引き留めるのかが大切な課題である。
しかし、もはや人気のない業態にはお客様は来ないのであって、自らが業態転換やビジネスモデル転換をせずには自滅するだけである。
顧客、従業員、取引先に支持されるだけのビジネスモデルをどう変革するかが今問われている。今のコロナで飲食店の中でも頑張っているところは業態転換を目指している。それには、顧客の目線で常に何が必要で、何が不必要なのかを見極めているからだ。
人間、これまでやってきたことを辞めるのは本当に難しい。しかし、戦略とは何をやらないかを決めることである。
それが年を重ねるごとに難しくなる。だから老舗企業は変革できないのである。


またこの原則ではカスタマーロイヤリティをいかに企業は顧客から勝ち取るのかについても言及している。
これまでの売り上げに応じて、ポイントカードの発行でポイントを与えることで、再び買ってもらえることは何もロイヤリティにはならないと。確かにそうだ。私もいくつものポイントカードを使い分けており、特にコンビニエンスストアではすべてのカードを持っている。家電量販店でも同じである。しかし、企業側はその顧客データを集めて、いかにも自分の固定客のように分析しているのが現状だが、なかなか売上に繋がる分析、対策が打てていない。
そして、企業はこのポイント経費でみんな苦しんでいる。販促費が売り上げの10%前後の小売業界で、5%前後のポイント経費を捻出しながら、他の販促を打つことは厳しくなってきているのだ。
なのに、このポイントで顧客のロイヤリティを獲得してるとはとても言えないのである。この現実に全ての小売業は苦しんでいるといっても良いだろう。

しかし、アマゾンはアマゾンプライムクラブ会員に対して、年会費はとるが、それをもろともしない価値を顧客に与えている。それがなんでも無料配達サービスであり、プライム映画の鑑賞権利などである。この本でもIBMの調査だと、顧客の74%は送料無料で商品を受け取れるなら、これまでに一度も買い物をしたことない小売業者から購入するといっているらしい。
だから、楽天の三木谷氏は送料無料にあれだけこだわるのだ。一方で百貨店といえば、WEB販売でも最近送料を大幅に上げている。

ポイントではもう顧客の心を掴むことはできないのははっきりしている。そしてアマゾンのようなわかりやすい送料無料、すぐにお届けサービスは顧客の心を掴むのである。
また本書で紹介されているナイキやレゴのような企業は売上には直接繋がらないが、顧客の心を掴む、イベントやコンテストを開催して、そのブランド自体の価値を上げている。

私はこのページを読みながら、思いだしたことがある。昔、マーケティングで教わった言葉だ。売らんかなのサービスはいけないと。
これはこういうことだ。町のメガネ屋さんで無料でレンズの洗浄サービスをやりますと看板を出してもなかなか、お客様は飛びつかない。お客さんはこう考える。きっと、メガネを洗浄したら、傷があるとか、フレームに悪いところがあるとか探して、メガネを売りつけようとしていると。これを売らんかなサービスという。
しかし、このサービスを宝石店でやったらどうだろう?奥さんが品定めしているときに、旦那さんのメガネを洗浄するサービスだ。旦那さんは退屈だし、ちょうどメガネを綺麗にしてもらえるならありがたいと。それで機嫌がよくなり、思わず高い宝石を買ってあげたりするかもしれない。でもこの、洗浄サービスは直接売らんかなと思わせはしないのである。

損して徳取れという諺があるが、この考え方が誠実であれの真理ではないか。
結局、商売の真髄は何も変わってはいないのである。
今一度、小売業は自分たちのやっていることを見直してみるべきだろう。損して得取れになっているだろうかと。
売上、収益にばかり目がいって、肝心の顧客満足をないがしろにはしていないだろうか。
アマゾンの送料無料サービス自体はどう見ても赤字であろう。まさに損して得取れだ。

それに追随しているのがヨドバシカメラだ。私は最近、ヨドバシカメラの通販を利用する機会が増えた。アマゾンよりも品揃えが豊富とはいえないが、家電製品では強みがあり、特に修理についてはヨドバシの方が絶対的な安心感がある。それでいて、洗剤も文具も本も買える。そして送料は無料だ。この競争はどうなるかわからないが、このコロナでヨドバシの方が魅力的に感じるようになったのは私だけではないような気がする。

この観点からすると、百貨店、ショッピングセンター、駅ビルにはチャンスが少ないと言える。しかし、やり方はある。でもそれには勇気がいる。
ヒントは顧客体験である。マスではなく、限られた顧客に絞って、徹底的に顧客体験を提供することでロイヤリティは獲得できる。ポイントでは不可能だ。


コロナで変わる喫茶店、カラオケBOXの役割

スターバックス for Businessの登場があるかも?

最近、いくつかのアフターコロナの分析を読んでいて、気になるワードがいくつかある。その一つがリモートワークだ。
もう、多くの人がわざわざ満員電車で毎日会社に出勤しなくてもいいことはわかってきたのではないだろうか。
しかし、家で仕事をするには難しいという声もよく聞く。小さい子供さんがいる家庭では特にそうだろう。会議中に突然泣き出されたりなどのハプニングが起きる。そもそもそんなに大きい家にみんな住んでいないので書斎がある家庭は少ないだろう。となると、近所の喫茶店などを探すことになるが、これもまた会議をするには適当ではない。個人のプライベート空間ではないからだ。マイカーの中が一番という人もいるが、これもPCを操作するにはあまりよろしくない。
つまり仕事に集中できるプライベート空間の実現だ。

今のところ、We Workのようなシェアオフィスが一番最適と言える。埼玉などでは公共のシェアオフィスも少しでているようだが、この動きは加速するだろう。
個人的にはスタバにビジネスユース専門の店ができるのを待ち望んでいる。これから、オフィスを都心に持たない会社が多く出てくるだろう。その時にWe Workも意外に高いので、もったいないとなるだろう。そうであれば、一人での作業ならスタバで十分だ。今でも多くの人がビジネスで使っている。しかし打ち合わせや会議にはなかなか使えない。会議なら、貸し会議室というオプションがあるが、これはまた安かろう悪かろうという感じのところが多い。美味しいコーヒーはないし。環境は大事でモチベーションや仕事の効率に影響する。
ならば、スタバがビジネスで使える場所を提供すればいいのではないか、と私は考える。

別にスタバでなくとも、ドトールでも良いし、何ならカラオケボックスをビジネスユースで使えるように改装する手もあるかもしれない。三密の場所は一人ならプライベート空間になるからだ。アパホテルが今、東京でホテルを日中オフィスとして利用するキャンペーンを行なっている。これは同じ流れだ。
でも大切なのは、イメージではないかと。仕事を一人でやるのだから、モチベーションをあげないといけない。そのための仕掛けとして、スタバの美味しいコーヒーとか何かフックになるものが欲しい。
コトラーがいつも説いているのは、顧客にどう感動を与えるかだ。ワオという気持ちにさせること無くして、ビジネスの成功はないだろう。

カラオケだと、一人で気分転換に練習ができるというのはとても魅力的かもしれない。

これからは今までの前提を壊して、今の顧客のニーズ、ウオンツに答えること。そしてその中に感動を与える要素がないといけない。
でもチャンスはたくさん、ころがっているような気がする。

シリーズ#08 コトラーのリテール4.0を読み解く

アフターコロナに生き残る飲食店レストランはどんな店??

先日、いつも食べに行く鎌倉にある魚割烹の大将と一緒に家の近くの真鶴港から釣り船に乗って、13時から魚釣りに出かけた。私が釣り船に乗ったのは40年以上も前なので、船酔いするのではないか、釣りの用意はどうすれば良いか、いろいろとわからない事だらけであった。しかし、もう1人常連の友人のアドバイスもあり、無事に楽しく、釣りが出来た。しかもなかなか形の良いメジナを2匹も釣る事ができた。いやあ大将、友人などのおかげで感動的な体験となった。


船から下船したのが、18時、そして私の家に帰ったのが18時15分、それから大将が私の釣ったメジナやサバ、アジなど釣れた魚を刺身、煮付け、塩焼きにあっという間に調理してくれた。そして19時には3人でビールを飲みながら食べることができた。味はもちろん、間違いなく、美味い。何故なら自分で釣ったからである。その後20時すぎには2人は家路に着き、私は家で1人余韻を楽しみながら、もう一杯祝杯をあげた。
私の友人は数日後に鎌倉のお店に行くことになっており、彼が釣った魚はその日に提供されることになっている。もちろん、彼は行くのがとても待ち遠しく、ワクワク感いっぱいである。

この魚割烹では、大将が自分で釣った魚だけを使い、料理を提供している。それを楽しみにくるお客様が多い。そして常連になると、私のように仕入れで釣りに行く時に一緒に連れて行ってくれたりする。彼にとって釣りは遊びでもあり、仕入れなのだ。今回は私の家が港からすぐであったので、スペシャルサービス(家で調理サービス)となった訳である。

リテール4.0では、これからの小売業は「目的地であれ」という原則を紹介している。この意味はもはや、小売店は単に買い物をする場では成立しない。いくらでも、ほかに買える場所はあるし、店舗にいかずとも、ネットでも買うことは出来るからである。
販売拠点は経験拠点であり、消費者にとって行かなくてはならない場所から行きたい場所になるのだと。
よって購買するということよりも、そこでの購買に伴う価値をどうつけるかが大切だと述べている。
まさに今日紹介した小料理店は行きたい場所になっている。船でどんなことがあったのかをまた大将と共有したい、仲間にも伝えたい。知らないお客さんに自分が釣った魚を食べてもらい自慢したいなどいろんなことをお店でやりたいのである。

もともと飲食店は店に来て飲食して初めて、商売が成立するのであるから、目的地である。しかし、今日紹介した釣り体験プラスお店での食事は、目的地を単に食事をする場ではなく、それを超えた経験を共有する、もしくは他のお客さまに自慢出来る場と変化させている。


こう考えると、飲食店はもっとチャンスがあるのではないかと。最終的には店を起点にした体験共有、感動共有の場になるが、店で提供される魚を取れたその日に産地からオンラインで販売したりすることで、さらにお客様にワクワク感を提供できる。お酒でも酒蔵に行ったときには、できるかもしれないし、他の食材でも仕入れのときに一緒にお客様にもオンラインで買えるようにすることもできる。

しかし、そういう販売サービスを提供出来ているのかといえば、まだまだ飲食店は出来ていない。確かに、今のコロナで飲食店はデリバリー、テイクアウト、宅配などのサービスを進めている。しかしこのサービスは店舗に来れない代わりの苦肉の策である。決して店舗でのワクワク感を共有は出来ていない。
私が提案したいのは、店舗に来ないでも味わえるお店の味を売るのではなく、店舗にもっと着たくなるサービスの提供である。飲食店の店舗を一つのコミュニティを考えると、そのコミュニティを構成するメンバーがさらにワクワクするような体験、サービスを付加することで、ますます店舗の魅力がアップするのだ。その中に物販の販売もあるのではないかと。例えば、顧客と一緒にワインを買うことで量を増やし、仕入れコストを下げる。すると顧客が買うワインの値段も下がる。店で提供する単価も下がる。一石二鳥ではないか。今やワインの値段はアプリでいくらでも知ることは可能だから、別に顧客に仕入れコストを知られても問題ないはずだ。こういうコミュニティをどう醸成するかがこれからのポイントではないだろうか。

一方で百貨店のような小売店舗は飲食店の正反対ではないかと、私は考える。
小売店舗では商品を買って、家に持って帰ってもらうことばかりを気にしている。
モノ消費からコト消費へと言い出してもう30年になるが、あまり変わっていない。
販売した商品を使った消費体験の共有を顧客とはなかなか出来ていないのが現実だ。
例えば、婦人服売り場でジャケットの販売をするときには必ず、使用目的をお尋ねする。もし旅行ならそれに合わせた提案をしていく。そして販売が成立するとそれで終了なのである。
そのジャケットを着てどんな旅先でどんな体験があったのかを共有することが店舗において、組織的には出来ていない。もし常連のお客様とのネットワークがあれば、その仲間の中で、共有もできる。それが出来れば、みんながワクワクする場に売場が変化するのである。みんな、どんなことがあったかを話に売場に来るのだ。ジャケットを売るのではなく、旅行体験のお手伝いをするのがビジネスであると小売業者は考えなければいけない。


意外にこれは今でも地方の百貨店の店頭では行われている。コミュニティまで出来ているかは別だが、顧客は普段の話相手として販売員を捉えているのである。しかしそれも効率化の波に消えようとしているのが現実だ。

このように見てくると、小売店舗は飲食店でもファッション売り場でも、やはり体験を提供しなければいけないということになる。それが顧客にとって、ワオと思えるようなものでなければ感動体験にはならない。
今回の私の釣り体験は釣る楽しさだけでなく、それを調理する、味わう、そしてその全ての体験を販売する側と一緒に共有することで感動を生み出すのである。
ウオルマート創業者、サムウオルトンの名言、「お客様の期待を超える」ことをすれば必ず顧客は帰ってくるのである。

これからの飲食店は単にお店で料理、お酒を提供するのではなく、その店で体験できるものをテーマにしたコミュニティを作り、そしてそのコミュニティが中心となり、店主と一緒にそのお店をさらに感動できる場に作り変えていくことが、アフターコロナの生きる道ではないだろうか。
それにはデジタルの力が必ず必要なのである。ただ、デジタルはベースなのであって、目的ではないことを忘れてはいけない。

番外編@プルーストをリテール4.0で斬る

新しいロングテールビジネスの到来がきた!

みなさんはプルーストという作家を知っているだろうか?
私はお恥ずかしい話、昨年まで全く知らなかった。しかし今年に入り、いつも参加している音楽会でプルーストの「失われた時を求めて」の中に出てくる曲の演奏とともに、研究者の方の解説もあるとのことで、家にあったプルーストが書かれた脳科学の本を少し読んだ。中々興味深い作品であったが、なにせ全14巻という大作であり、難解という説明に実際の本にはなかなか手が出せないと感じていた。


そして5月の音楽会はコロナの影響で延期となった。しかしプルーストの読書会をしたいとの声が上がったようで、昨日、少人数でのプルーストを読む会をスタートするにあたり、オンライン説明会が開かれたので参加した。
流石に研究者の方の話に引き込まれて、益々興味を持つこととなった。
その中で研究者のお話の中で気になったことがある。彼女は15歳の時にこのプルーストの「失われた時を求めて」を読み、虜になったそうだが、大学に入るまではプルーストなんて、誰も知らないだろうと思っていたら、大学には意外に多くの人が知っていて、マイナー好きな自分としてはちょっとがっかりしたと話されていた。ただ東京大学教養学部フランス文学専攻の人たちの中での話なので、普通とは違う気がした。

今日の話はこのプルーストという作家をリテール4.0で考えてみるとどうなるかである。
いわゆるプルーストは一般j的にメジャーな作家ではない。アマゾンの本の品揃えで言えば、ロングテール、つまりあまり売れないけれども、たまに売り上げがある作品の一つだ。こういう本はリアルのお店では在庫をするには効率が悪く、中々置きづらい本である。しかしオンラインならコストをかけずに販売できるので、売れ筋商品だけでなく、幅広い品揃えができる。このような店頭では置けないが、オンラインなら販売できるマニア向けの商品群をロングテール(長いしっぽ)と言う。
これまでは、ロングテールは本などの物品販売だけであったが、私は、これからはロングテールビジネスは商品だけでなく、講演、授業などを含めた総合的なナレッジサービスとして大きく変化すると考える。


つまり、ZOOMなどのオンラインシステムでいつでも、どこでも繋がることできるようになったおかげで、本来ならば東京のセミナー会場に行かないと受けれなかった講演や授業を簡単に受けることが出来るようになったのである。


地方に住んでいて、マイナーな本をなかなか買えなかった人が、amazonの登場で買えるようになった。そしてZOOMの登場でその本の解説までも家にいながら聞くことができるようになった。しかも精神的、金銭的ストレスなく。

コトラーのリテール4.0にある「シームレスであれ」という原則には、スマートフォンとWIFIによって常に世界中と繋がる生活者が当たり前になり、それが世界を大きく変えたと考えられている。
そして誰もが発信者として、簡単に情報を文字でも映像でも発信することができるようになった。
とすると、今まで誰も知らないけれどもとても面白いことを研究している人の話を聞くことができる可能性が広がってきたのではないか。
また、今回のプルーストの研究者の方はテレビでも活躍されている有名な方だが、オンラインであれば、会場で聞くよりも、手軽に話を聞けるようになるのではないか。

ここで問題は、生活者がどんどん発信することで、あまりにも多くの情報が出回ることで、自分の合ったものを探し出すことが困難になってくる。グーグルは貴方に一度プルーストを読んで見ませんかと言ってはくれないのである。
そこで大事なのはコミュニティであろう。
自分のコミュニティが広く、多種多彩であればそこでいろんな情報が入ってくる。そこから、マイナーな話題に興味が出ても、今なら本を読むだけでなく、著者や研究者に講演依頼や直接質問をすることも可能になってきたのだ。

アフターコロナでは、デジタル社会がベースであり、生活者が常に世界の人と繋がっている前提となる。そして、ロングテールのこれまではマーケットが小さすぎて商売にならないと思われていた事でも、全世界の生活者をマーケットにすればマーケットサイズは巨大なものになるのである。
そして、それは物販だけでなく、ソフトを含めて総合的に生活者に提案する事でこれまでとは違う満足感、感動、驚きを与えることができるようになる。

しかし、大事なのはコミュニティであり、それは仲間づくりなのだ。
やはり最後は人しての人間力が大事なのかもしれない。

レナウン経営破綻に思う

レナウンが経営破綻した。ついに来たかというのが私の感想だ。
恐らくこれからアパレルも飲食店と同じように厳しいフェーズに突入することになるだろう。
特にリアル店舗に頼ってきたアパレルで、中間価格帯をメインにしてきた会社が危ない。

中国ではリベンジ消費ということで、今、各地でネット、リアルともに消費が盛り返してきているようだが、その中心は若い世代だ。彼からは元々、アパレルにはそこまでの興味はなく、今のトレンドはスポーツ関連ブランドである。
レナウンのような百貨店を中心にしたファッショントレンドを追いかけながら、中価格帯で展開するブランドには若者は動かない。その動きがミドルからシニアにも広がってくる。
特にこれからは在宅勤務など家にいる時間が増えてくる。そうすると、外出着と言われるものの需要が落ち込むのは必死である。
またアメリカでも売れているのはブラウス、セーターなどの上半身が中心とか。つまり、TV会議で見えるところだけに気を使っているのだ。
このようにニーズに合わせて消費が変化するということは、在宅での生活にはニーズ、ウオンツが発生するが、外出、特に会議、打ち合わせ、会食などでのニーズは極端に減る。

確かにこれから外出自粛が解除されて、日本でも一時的にはストレス発散諸消費は起きるだろう。しかしその消費としてお洋服を買う人がどれだけいるのであろうかと私は思う。
元々、小売の世界に36年もいた私がそう思うのである。人と会わない生活を2ヶ月近くしてきた自分の経験でいうと、アパレルにお金をかけようと思ったことはない。一方でジョギングやヨガのウエアをネットで買うことが増えた。しかしながらお金はかけない。もっぱら、私の最近のお気に入りはデカトロンだ。
https://www.decathlon.co.jp/
デカトロンはフランス発のスポーツ製品のユニクロみたいな企業で、シンガポールではまってしまった。
とにかく安い、しかもデザインが良い、でスポーツの種目が半端なく多い。私の趣味である、ジョギング、ゴルフ、ヨガ、ウインドサーフィンの全てに対応している。
そしてそのウエアで買い物にも行けるし、家着として問題ない。

今後の、仕事着を考えても、もはや今のようなフリーランスが主流になると、スーツを着る機会はほとんどないのではないかと思うぐらいである。するとカジュアルウエアで全然問題ない。
これまでは生活がカジュアル化してきたということがよく言われてきた。今、仕事の仕方そのものがコロナによって大きくカジュアル化させられた。家からリモートで打ち合わせしているのに、スーツを着て参加するわけがないし、それが当たり前になると、外部との打ち合わせもそうなるのが自然だ。飾らない生活スタイルには中途半端なブランドは必要ないのである。

つまり、アパレルそのものの需要が今回のコロナで大きく減少し、それが常態化すると私は見ている。
そして、これからはより健康志向(コロナに負けない抵抗力をつける)を中心とした生活関連のグッズがさらに注目される。


今朝、テレビでジャパネットたかたがケルヒヤーのスチームクリーナーを紹介していた。私のような家にずっといると、確かに家のフローリング、網戸、ドアノブなどの汚れが気になってきていた。思わず真剣に買おうかと思った。
この時期にこの商品の提案こそが顧客のウオンツを引き出して、「あ、そうそう、これが欲しかったんだ」と思わせることができるやり方だなと、感心した。

今からの時代、アパレルだからお洋服だけしか作らないという時代は過ぎた。顧客のライフスタイルの変化に対応して、すぐに方向転換する力がなければ、第2のレナウンはどんどん増えていくなと感じる。


個人的に一番気になるのは、百貨店アパレルが潰れると、一番困るのは百貨店である。そしてもしオンワード樫山、三陽商会が同じように危機になれば、百貨店の婦人服売場がガラガラになってしまう。最悪のシナリオはアパレル企業を起点にした百貨店連鎖倒産である。
都心にもうオフィスは要らないということが言われてきたが、都心にもうこれまでのような百貨店は要らないとなるのだろうか。
まだ打つ手はあると思うが。。。

シリーズ#07 コトラーのリテール4.0を読み解く

スマートフォンが変える私たちの買い物。しかし大事なのはそれを使う意味は何かをお客様に問うこと!

今日は第2の原則、「シームレスであれ」のパートについて話そう。
でもこの本を読んでいない人からすると、だいたい第2の原則って何?ってことになりそうだし、今日から初めて、このブログを読む皆さんもいるかもしれないので、今やってることを簡単に説明する。
昨年末に出版された、コトラー(マーケティングの有名な先生)のリテール4.0(これからの小売業は新しい時代、特にデジタルがベースとなる社会でどう変わらないといけないのかを説いている本)の中身を私なりに分析し、自分の経験を入れながら解説している。で、その本には小売業が守るべき大切な10の原則があり、今回は2つ目の原則ということだ。

前回は「不可視であれ」で今回が「シームレスであれ」。どちらもあまりピンとこないというか、ワクワクもドキドキもしない興味を引かないタイトルだ。だから読者も読む気がしない。これが消費者である。著者には申し訳ないが。
コトラーなんて私にとっては神様のような存在だが、他の人にしたら、マーケティング実務者の一人に過ぎない。今ならもっと若いデジタルマーケティングの有名な人がいるのだ。
だから、読んでもらうためには、こういうタイトルは大事なんだ。最初のアテンションが大事。それは歌でもドラマでも一緒だ。これが永遠に変わらない消費者心理であろう。

さて、本題に入るが、この本でも強調されているが、スマートフォンは私たちの生活を大きく変えた。私も自分がスマホ中毒ではないかと思うぐらいに毎日頻繁にチェックしている。それは仕事からプライベートまでありとあらゆる場面で使っている。そして買い物もアマゾン、楽天などを含めて24時間買い物ができる環境になっている。TVを見て、フェイスブックを見て友人がおすすめしてる商品をすぐにチェックして、他の評価を見て、それですぐにいくつかのサイトを比べて簡単に購買できるようになった。
先日もシンガポールの友人が絶対におすすめというコメントに触発されて、カナダ産メープルバターを購入したが、いまいちであった(悲)


一番大事なのは、オンラインで消費者は常に小売業者やブランドと繋がることができるようになったことだ。連絡もできる、情報も取れるようになった。顧客からするとお店と繋がっているということが当たり前になったのだ。そうお客様は思っているのだ。だから小売業も自分とは繋がっているのは当たり前だろうと思っている。ここが大事なところだ。


しかし実際には繋がっていない小売業者、ブランドはたくさんある。オンラインでは繋がっているが、リアル店舗とは違う部門のため、販売している商品もネットと店舗では違うといったところがあり、店舗の商品情報はネットでは分からないといったことが消費者のストレスを高めるのである。
特に広範囲の商品を扱っているところや、自ら仕入れをしていない百貨店やショッピングセンターなどでは完全なオムニチャネル化は実現できない。そもそも、百貨店には店舗で販売している商品全てのデータベースがないのである。ラグジュアリーブランドは在庫情報を百貨店と共有することはしない。また食品売場で店内厨房で作った出来立てのお弁当には在庫はデジタルで把握しずらいし、そもそもコストをかけてまでする必要性を小売業者は求めていない。このように、アマゾンのような全ての商品を把握できる状態からビジネスをスタートさせている会社と歴史があり、色々な小売業者が入り組んで出来上がっている小売業者では環境は全く違う。
しかし、消費者はそれを求めるのだ。なぜなら、そういうことは顧客には関係のないことだからだ。しかもそれも知らされていない。出来ない方がおかしいと思い込んでいる。そこに問題がある。

では、どうすれば良いのか。きちんと消費者に説明することではないかと私は思う。
オムニチャネルの出来ない百貨店、ショッピングセンターは出来ない理由とその代わりこういうことをしたいということを顧客にフラットな関係で説明すれば良いのではないかと。

昔、電車が突然止まったりしても、その理由も言わず、また動き出すことで大きなクレームとなった。しかし、今はアクシデントが起きた時にはすぐに説明をしながら状況報告をするので安心できる。お医者さんもそうだ。昔はインフォームドコンセントなどはなく、偉そうな先生に見てもらい、言われた通りの薬をただ飲むというのが当たり前であった。
小売業は色々な業種や業態がある。この本で言われている、これからの小売業は基本、シームレスであるべきだ。でもそれが出来ないのであれば、出来ないことをきちんと顧客に説明する。そしてそれを24時間対話することが必要なのではないか。それが「シームレスであれ」の意味だ。

百貨店などは私もそうだったが、「お客様は神様であり、口答えしてはいけない」と教えられてきた。しかし、今必要なのは、今の百貨店でできること、出来ないこと、でもこうしたいと考えているということを丁寧に顧客に説明し、そのご意見を真摯にしっかりと聞くことではないのだろうか。

例えば百貨店には外商という部隊がある。それこそ、アナログの塊のような御用聞き部隊である。そのお客様は60歳以上が大半を占める。しかし、常にいかにデジタル化を進めるかが議論されて、現場の声は無視されることが多い。お客様もシニア、外商部員もシニアであれば、それに合わせたアナログを支援するデジタル化で良いのではないか。

シニアでもスマートフォンは使う。ビデオチャットはとても人気だ。ではそれを使って顧客と対話し、販売する方法はある。それをどうデジタル化していくのかを考えるべきだ。常にアマゾン、ウオルマートを見て、これが未来の小売業であり、こうなければいけないという人に外商改革は出来ない。

どんな小売業でもまずはスマートフォンをベースにしたビジネスとして何が自分のビジネスとしてできるのかを問うべきであろう。
シームレスに繋がるにはアナログでも良いのである。消費者は絶対にデジタル化して欲しいとは言っていない。ただ、一つ、自分のストレスを減らして欲しいのである。
もっと柔軟に考えていかないと。
たかが、小売、されど、小売!


シリーズ#06 コトラーのリテール4.0を読み解く

コトラーの本でもわかりにくいところがあり、残念!不可視であれってわかりにくい!!

さて今日から、この本のメインである、小売業にとって大切なキーワードである、10の原則について話を進めていこう。
第1の原則は「不可視であれ」だ。この言葉そのものを最初見た瞬間にわかりにくいなと。これはアウトだ。

私の分析では、この本は結局大半をイタリア人が書いて、それをコトラー氏に監修してもらったからこうなったのか、日本語版訳者がイタリア語から日本語への訳として良い言葉が思い浮かばなかったのか、どちらかである。どちらにしてもわかりにくいことは一番ダメだと私は思っている。

この意味は、今日の私の経験で説明できる。
今朝、真鶴の自宅に特別給付金の申請書類が湯河原町から届いた。ちょうど、今朝のテレビでこの申請をマイナンバーでするためにマイナンバーのパスワードを忘れた人が大勢東京の区役所に押しかけて、区役所が大変なことになっているとのことであった。
さて、私はマイナンバーを持っているし、パスワードもわかっているので、早速PCで申請しようとトライした。しかし、申請をしようとしたら、アプリの登録がまず必要だとわかった。またそのアプリはどうもPCよりもスマートフォンの方が相性が良さそうだと気づき、またスマートフォンからアプリをダウンロードし、そして申請手続きをに取り組み始めた。しかし、どうも途中で何度も同じ画面でスタックし、結局また最初から申請をすること2回。もうちょっとイライラしてきた。そして、ある程度進んだところで、自分のマイナンバーカード、銀行のキャッシュカードをカメラにとって添付しないといけなかった。ここでもわかりにくく、一度スタックしかけた。でなんとか、そこをくぐり抜けると、どうも住所などの登録の画面で何か間違ったのか、またスタックし、結局また最初の申請画面になった。
もう、これはダメだと感じ、郵送での申請に変えることにした。
郵送での申請はアプリに比較すると、シンプルであり、スムースに手続きをすることができた。
まあ、マイナンバーカード、キャッシュカードをコピーする手間やそれを申請用紙に貼り付けたりする手間はあったが、作業そのものはスマートフォンでの作業に比べたら、まさにシンプルであった。


で結論。
総務省の作ったこのマイポータルというアプリは全くUX(顧客に対しての使いやすさを考えたシステム作り)ができていないということだ。私は申請を郵送に変更しながら、今マイナンバーで申請しようとしている人たちの中で、これから申請をネットで完結できる人がどれくらいになるんだろうと思ったこれがこの本の第1の原則「不可視であれ」のポイントである。
不可視であるという意味は、企業、小売業が顧客に提供するシステムや仕組みは顧客にとって、使いやすく、簡単で、イライラしないでスムースに手続きができたり、買い物を済ますことができるようにすることである。お客様に舞台裏は見せてはいけないということだ。
何でもそうだが当初のシステムはシンプルだが、色々な顧客の要望に応えるためにはどんどん複雑な仕組みになってくる。
しかし、その時のシステムや仕組みは顧客にとってはどうでもいいことだ。つまりややこしい仕組みは顧客には目の見えない所で済まして、顧客にはシンプルな形でサービスを提供することが大切なんだと説いているのである。
今回のマイナンバーカードの仕組みもそうだ。マイポータルというアプリはその典型である。完全に仕組みは作り手の目線で作られている。だから、非常にわかりにくい。だから説明を受けないと全然わからない。
実際、昨年7月に東京から真鶴に引越しをした時に、マイナンバーカードの住所変更を役場で行ったが、この時の手続きも複雑で、担当している町役場の女性ですら困り果てていた。
だから、今、長蛇の列が役所でできているのであろう。

小売業にとって画期的なデータが取れる仕組みができたとしても、それを取るために従業員、お客様に面倒な手続きをしてもらうことになるようなことは絶対にしてはいけないのである。
しかし、これまでの小売業は昔からのデータ管理を元に、そこに新しい機能を付け加えることで顧客データの精度を高めようとしてきたのである。これまでの投資を無駄にしたくなかったのだ。またこれまでのシステムを捨てて、最新の仕組みに変更できるだけの体力のある小売企業というのは数少ない。


今回のコロナでもそうだが、結局この中でも売り上げを伸ばしているのは、使い勝手の良い通販の仕組みを持った企業だ。
アメリカでもアマゾンが一人勝ちのように思われがちだが、デリバリーの急増に物体制がすでに対応できなくなっているようだ。一方でネットで注文して、店舗でピックアップするという、ウオルマートの方がデリバリーの負荷がかからずに、スムースに手渡しが出来、しかもドライブスルーだから安全ということで大人気だということである。まさにハイブリッドな小売業である。

チャットボットというAIを使った自動応答システムもそうだ。顧客の不便さよりも新しいデジタル技術を取り入れることに重きをおいている企業も少なくない。これも酷い仕組みが多い。シンガポールのDBSというハイテク銀行でも取り入れているが、何回トライしても全く役に立たない。
大事なのは自分たちがやろうとしていることは、常にお客さまのストレスを取り除くということに向いているのか、そして実際のお客様はどう感じているのかを確認することだ。


前述の給付金の件は日本の人口構成から言えば、お年寄りが過半数を占める。私の経験で言えば、今回は郵送の方が絶対に楽でスムースである。政府はむやみにオンライン申請を促すのではなく、顧客体験に基づいた取り組みが必要であり、それを忘れているような気がする。

「不可視であれ」という原則は今のNetflix、Spotify、Facebook、Amazonなどを利用していると本当に便利だと感じる。どのデバイスからでもストレスなく、前回の注文履歴、カートに入ったままの商品がチェックできるのである。
わかりやすさというのがコトラーを私が大好きなところだが、これは顧客にとってもそうなのだ。

日本の政府のデジタル化対応はまだ当分時間がかかりそうだが、何とかなるのだろうか???